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海のバビロン~淫蕩この上なき堕落の都と半魔の坊ちゃんが捧げる純情の行方~  作者: 初春餅
第3章:夜に蠢くもの

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40.夜に蠢くもの

「レオ、なんか燃えてんね……」


 今夜も自警団の夜回りに参加するというレオに、パオロが微妙な表情で声をかけた。


 出ていこうとしていたレオは肩越しに振り返り、


「こんなの、地域住民として当然だし」


「いや、でもお前だけ毎晩だろ。大丈夫?」


「大丈夫」


 女がむごたらしく殺されるのを、これ以上見過す訳にはいかない。トゥリパーノを確保しているのが誰であれ、その人間には彼の行為を止める気はないようだ。魔獣をさっさとこの手で祓い、パーリアの鼻を明かしてやりたいという気持ちもあった。


「無理すんなよ。お前、小っちゃい時、すっごいひ弱だったじゃん」


「フン……。そんな昔のこと」


 半魔は大抵脆弱で、ほとんどはうまく育たない。レオの場合は父方の血が優秀だったのだろう。年々丈夫になっていくのが自分でも分かる。今のレオなら、三日三晩裸で極寒の運河を泳いでも、多分何ともない。


「今日はどの辺を回るの?」


「そうだな……ずっと中心部ばかり回ってたけど、今日はもうちょっと離れたところに行ってみようかな」


 華やかで人通りの多い場所は女性の姿も多い。獲物の匂いに引かれて現れるなら、確率的に中心部かと思ったが、さすがに女たちの方でも警戒していて、夜間の外出を控えたり、外出しても連れと一緒だったりと隙がない。


 まあ、いいことだけど……。


 パオロも似たようなことを思ったようで、


「そうねえ……。そっちに流れていくかもね」


「うん。じゃあね」


 レオはカルミネのようにひらひらと可愛く手を振った。


「おう、頑張って。最近、女絡みの喧嘩も減ったし、ついでに酔っ払いの喧嘩も減ったし、お前と魔獣がうろつき始めてから、この辺の治安もちょっと良くなったわ」


「僕と魔獣を一緒にしないでくれる!」


 今、一番されたくないことであった。


 ――まったく、パオロの奴……。


 ぷりぷりと怒りながら、夜の街を歩く。


 さて、どこを回ろうか――運河の波音を聞きながら、夜の散歩と洒落込む魔界の紳士のように、レオは街灯の明かりの届かぬ闇の中へと足を踏み入れる。


 ああ、とレオは静かな夜の空気を吸い込んだ。


 やっぱり夜の方が調子がいい……。


 一緒にされたくないと思っても、所詮は同じなのだろう。レオも魔獣も、どちらも闇に蠢くヒトならざるモノ。


 神経を研ぎ澄ませ、レオは魔獣の気配を探る。


 恐らく、一瞬だ。


 世にも恐ろしい咆哮を聞いたという者はいるのに、地に轟く足音を聞いたという者はいない。ヒトから魔獣への変化は一瞬、あるいは、魔獣は突如として虚空から現れ、事が終われば再び虚空へと帰っていく。


 その一瞬さえ、捉えることができたら。


 ――あ。


 体を包む闇に身を任せ、路地をどこまでも進んでいるうちに、若い女の姿どころか、人影ひとつなくなっていることに気づいた。


 ――戻ろう……。このままじゃ、本当にただのお散歩だ。


 レオは赤い顔を夜闇に隠し、人の姿を求めてそそくさと中心部に戻っていく。


 ――出た……。


 ――魔獣……。


 おののき乱れる人の声が、ぽつりぽつりと意識の中に飛び込んでくる。


 ――今……魔獣、と言ったか?


 渦から跳ね出た水滴のような、いくつもの声に逆らうように、レオは渦の中心に向かって走り出す。


 嘘だ。まさか。だって何も感じなかった。この距離で僕が気づかないなら、きっと何かの間違いだ。


「――レオ、こっちだ!」


 パオロのこんな険しい声をレオは聞いたことがない。


 小運河に面した小さな路地の入り口で、子供の頃からよく知っている、たくさんの背中が立ち尽くしていた。


 ――ああ、嘘だ。


 今度こそ、はっきりと聞こえた。


「魔獣だ! 魔獣が出た!」


 そんな――。


「エズィレのお嬢さんが……!」


 エズィレ? まさか、ロベルトの……。


「――リーア!」


 立ち尽くすばかりのレオの横をロベルトがすり抜けていった。背後に足音が連なり、調査官を名乗る声がする。


「リーア!」


「ロベルト、駄目だ」


 ゴンドラ漕ぎのティーノを含む、屈強な男たちが総出でロベルトを止め、押し返そうともがくロベルトをそれ以上先へ進ませなかった。いつの間にかジャンニが皆と一緒になって、懸命にロベルトを止めている。


「リーア! リーア!」


 ロベルトが獣のように吼える。


 レオの後ろで低い囁き声が行き交った。


 ――妹だよ……。


 ――可哀想に……。


 行かせまいと阻む腕も、辺りを取り囲む人影も怒号も、すべてが別世界のことのように、ロベルトがその場にくずおれた。


 ――リーアと、いうのか……。


「……悪い。通して」


 ロベルトの妹は。


 この先で喉を喰いちぎられ、横たわっている娘は。


 レオの歩みに合わせ、入り口を塞いでいた大人たちの群れが緩やかにほどけていく。


 レオが途中で足を止めた。


 誰かの大きな外套にくるまった、十歳くらいの子供が冷たい路地にうずくまっている。


「あの子は……」


「メルクリオ。リーアの弟だ」


 虚ろな目。色のない唇。


 姉の死に様を見たか……。


 かける言葉もないまま、レオがメルクリオの前を通り過ぎようとした時だった。


「アアアーー!」


 メルクリオが突然、絶叫した。


 落ち着かせようと伸びる大人たちの手を、メルクリオは気が触れたように叫びながら振り払う。


「メルクリオ……」


「アアアーー!」


 メルクリオの怯えようは凄まじく、レオはその場に立ち尽くす。


 僕が少しでも近づけば、この子は死んでしまうのではないか――。


 正気を失った瞳にレオだけを映し、凍てつく冬の夜空の下、メルクリオは声の限りに叫び続けていた。


 あいつだ、あいつが姉さんを、と。

第3章:夜に蠢くもの(完)

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― 新着の感想 ―
お休みで一気読み、とか始めたら。……SAN値チェック失敗!!! 場面が>< しかし、魔力を感じないということは、やはり人間の仕業では。魔物に見せかけてるだけじゃないかなあ、事件起こしてレオくんの評判落…
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