36.愛しのジェルソミーナ1
さすがにちょっとやり過ぎたか……と、大人げない自分を恥じ入っている主の胸の内も知らず、お供の二人はサン・マルコ埠頭への道中ずっと、「人間の協力者は誰か」という話題で盛り上がっていた。
「そりゃもうパパ・トゥリパーノで決まりだろ。息子が誘拐された体を装って、いくらでもある屋敷のどこかに匿ってんだよ。息子がどんな状態だろうと、どうとでもできるカネもあるし。呆気ない結末だったな」
「甘いよ、ジャンニ。どうとでもできるカネがあるのはミディーカも同じだ。黒幕はベルトランド・ミディーカさ。彼は悪魔と契約したんだ。いけ好かない妻を殺し、妻の情人には死よりもおぞましい生を与える為にね」
好き放題喋っている二人には、なぁんだ人間の仕業かぁ~、脅かすなよぉ~という安堵感が漂っている。
「あの、まだ僕の見立てが正しいって決まった訳では……」
「ええ勿論、心得ております」と、仮面の助手は機嫌よく続けた。
「でも、正しかったら捜査は一気に進展しますね。替玉ゴンドリエレたちの身元はすぐに知れるでしょうから」
ヴェネツィア市民の足であり、大変身近な乗り物であるゴンドラは、素人が見よう見まねで操舵できる代物ではない。ゴンドラ漕ぎは世襲の専門職であり、共和国は元ゴンドラ漕ぎを含む全員の身元を把握していた。
「そうっスよ。ふん捕まえて担当者に尋問させりゃ、雇い主なんて一発で吐きますよ」
ジャンニも機嫌よく生々しいことを言った。十人委員会直属の担当者というのは、尋問というより拷問のプロである。
「旦那、エリオを呼んでくるついでに、待合にいる他のゴンドリエレにも話を通しておきますね」
カルミネはそう言って、レオの返事も待たずに小広場を軽やかに駆けてゆく。
レオは諦めたように息を吐いた。
「神の審判を待つ気分だよ……」
ぼやくレオにジャンニがニッと笑って大運河を指した。
「その時はもう近いでしょう。ロベルトがあそこにいるの見えます?」
大運河を颯爽と北上してゆくゴンドラに、背筋正しく乗船しているロベルトの姿が見える。
「あの人、結構、押せ押せだね……」
「アイツ、ああ見えて生粋のサン・ポーロっ子ですからね。火がついたらまっしぐらですよ。意外とすぐ火がつくし」
「そうなんだ……」
レオとしては、やたら沸点が低い人たちだの、お祭りの時だけ張り切る気性の荒い人たちだのというサン・ポーロ地区住民の評判を切に何とかしたい。
「ジャンニはどこなの」
「俺もサン・ポーロですよ。端っこの方ですけど」
「ああ……」
ここで納得してしまうあたり、レオも偏見の虜であった。
「カルミネもそうだろ」
これは合っている自信があった。あのちゃきちゃきした感じはどう見ても……。
「残念。あいつはカステッロです。ヴィンチ殿、サンタ・マリア・デッレ・ヴェルジニ修道院って分かります?」
「――分かる」
どうして分からぬことがあろうか。そこにはこの世で最も愛しい尼僧がいる。
「あいつはそこの使い走りなんですよ」
「何だって!!⁉」
まるで別人が乗り移ったかのような、活きのいいレオの反応だった。
「いや、そりゃ、あいつもああ見えて男ですから、いつまでも女子修道院のファットリーノなんかやりませんて。利発な子だし、多分このまま調査官見習いにでもなって……」
ジャンニが何か言っているようだが、レオの耳にはもう何も入ってこない。
――パツィエンツァ家の姫だろう? 確かに、この緑の瞳は……。
――生憎、その方のことは存じませんが。
「へえぇ~~……」
レオの口元に魔物めいた微笑が浮かんだ。
――あいつめ。
何も知らないカルミネがエリオを伴い、ゴンドラ漕ぎの待合から戻ってくる。
「旦那?」
「何でもない」
積もる話はゴンドラが動き出してからだ。
「じゃ、お気をつけて~」
笑顔のジャンニに手を振られ、レオとカルミネも笑顔で手を振り返した。
二人の着席を待って、ゴンドラがつつがなく岸を離れる。
「カルミネ」
「はい」
レオは主の威厳を持って、静かに訊ねた。
「お前、僕に隠していることはない? ――『ジェルソミーナ・パツィエンツァ』」
「……!」
カルミネがはっと立ち上がり、レオも腰を浮かせた。




