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海のバビロン~淫蕩この上なき堕落の都と半魔の坊ちゃんが捧げる純情の行方~  作者: 初春餅
第3章:夜に蠢くもの

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36.愛しのジェルソミーナ1

 さすがにちょっとやり過ぎたか……と、大人げない自分を恥じ入っている主の胸の内も知らず、お供の二人はサン・マルコ埠頭への道中ずっと、「人間の協力者は誰か」という話題で盛り上がっていた。


「そりゃもうパパ・トゥリパーノで決まりだろ。息子が誘拐された体を装って、いくらでもある屋敷のどこかに匿ってんだよ。息子がどんな状態だろうと、どうとでもできるカネもあるし。呆気ない結末だったな」


「甘いよ、ジャンニ。どうとでもできるカネがあるのはミディーカも同じだ。黒幕はベルトランド・ミディーカさ。彼は悪魔と契約したんだ。いけ好かない妻を殺し、妻の情人には死よりもおぞましい生を与える為にね」


 好き放題喋っている二人には、なぁんだ人間の仕業かぁ~、脅かすなよぉ~という安堵感が漂っている。


「あの、まだ僕の見立てが正しいって決まった訳では……」


「ええ勿論、心得ております」と、仮面の助手は機嫌よく続けた。


「でも、正しかったら捜査は一気に進展しますね。替玉ゴンドリエレたちの身元はすぐに知れるでしょうから」


 ヴェネツィア市民の足であり、大変身近な乗り物であるゴンドラは、素人が見よう見まねで操舵できる代物ではない。ゴンドラ漕ぎは世襲の専門職であり、共和国は元ゴンドラ漕ぎを含む全員の身元を把握していた。


「そうっスよ。ふん捕まえて担当者に尋問させりゃ、雇い主なんて一発で吐きますよ」


 ジャンニも機嫌よく生々しいことを言った。十人委員会直属の担当者というのは、尋問というより拷問のプロである。


「旦那、エリオを呼んでくるついでに、待合にいる他のゴンドリエレにも話を通しておきますね」


 カルミネはそう言って、レオの返事も待たずに小広場ピアッツェッタを軽やかに駆けてゆく。


 レオは諦めたように息を吐いた。


「神の審判を待つ気分だよ……」


 ぼやくレオにジャンニがニッと笑って大運河を指した。


「その時はもう近いでしょう。ロベルトがあそこにいるの見えます?」


 大運河を颯爽と北上してゆくゴンドラに、背筋正しく乗船しているロベルトの姿が見える。


「あの人、結構、押せ押せだね……」


「アイツ、ああ見えて生粋のサン・ポーロっ子ですからね。火がついたらまっしぐらですよ。意外とすぐ火がつくし」


「そうなんだ……」


 レオとしては、やたら沸点が低い人たちだの、お祭りの時だけ張り切る気性の荒い人たちだのというサン・ポーロ地区住民の評判を切に何とかしたい。


「ジャンニはどこなの」


「俺もサン・ポーロですよ。端っこの方ですけど」


「ああ……」


 ここで納得してしまうあたり、レオも偏見の虜であった。


「カルミネもそうだろ」


 これは合っている自信があった。あのちゃきちゃきした感じはどう見ても……。


「残念。あいつはカステッロです。ヴィンチ殿、サンタ・マリア・デッレ・ヴェルジニ修道院って分かります?」


「――分かる」


 どうして分からぬことがあろうか。そこにはこの世で最も愛しい尼僧がいる。


「あいつはそこの使い走り(ファットリーノ)なんですよ」


「何だって!!⁉」


 まるで別人が乗り移ったかのような、活きのいいレオの反応だった。


「いや、そりゃ、あいつもああ見えて男ですから、いつまでも女子修道院のファットリーノなんかやりませんて。利発な子だし、多分このまま調査官見習いにでもなって……」


 ジャンニが何か言っているようだが、レオの耳にはもう何も入ってこない。


 ――パツィエンツァ家の姫だろう? 確かに、この緑の瞳は……。


 ――生憎、その方のことは存じませんが。


「へえぇ~~……」


 レオの口元に魔物めいた微笑が浮かんだ。


 ――あいつめ。


 何も知らないカルミネがエリオを伴い、ゴンドラ漕ぎの待合から戻ってくる。


「旦那?」


「何でもない」


 積もる話はゴンドラが動き出してからだ。


「じゃ、お気をつけて~」


 笑顔のジャンニに手を振られ、レオとカルミネも笑顔で手を振り返した。


 二人の着席を待って、ゴンドラがつつがなく岸を離れる。


「カルミネ」


「はい」


 レオは主の威厳を持って、静かに訊ねた。


「お前、僕に隠していることはない? ――『ジェルソミーナ・パツィエンツァ』」


「……!」


 カルミネがはっと立ち上がり、レオも腰を浮かせた。

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