35.半魔が言うには3
嘘だろ……。
今日は魔獣問題そのものではなく、ヴィルジリオ・トゥリパーノの捜索について協議する分会だと聞いている。こんな小さな会合にまで補佐官自らお出ましになるとは、正直意外であった。マリーノといいパーリアといい、共和国のお偉方は皆、性格はどうあれ働き者だと思う。
挨拶にきたレオの為に立ち上がったパーリアは、触りたくもないであろう半魔の手をしっかりと握り、激励の言葉をかけた。
「帰郷早々大変だと思いますが、君にしか果たせぬお役目です。頑張ってください」
「勿論です。この身に代えても」
どうだ、マリーノ。満足か。
内心はどうあれ、にこやかに笑みを交わした両者が仲良く着席すると、ロベルトの仕切りで会が始まった。
ロベルト・エズィレはあの日、最後にトゥリパーノの姿を見た調査官である。
足元の覚束ないトゥリパーノに付き添い、玄関口まで同行したこと。トゥリパーノを乗せたゴンドラが大運河を下ってゆくのを見届け、すぐに邸内に戻ったこと。ロベルトは順を追って、冷静にあの日のことを振り返っていく。
「ミディーカ家の家令が言うには、トゥリパーノ氏は当初、随分怯えて泣きじゃくっていたそうで」
ああ、とレオが目を上げた。全裸で血まみれのトゥリパーノに抱きつかれたという、あの気の毒な家令か。元気でやっているのだろうか。
「これは、たまたま凄惨な事件に遭遇した人間の反応として、ごく自然なものだと当初は受け止めておりました。ですが、今思えば、自身が行なった加害に驚き、衝撃を受けていたという可能性もあるやに存じます」
「となると、本人の意思による逃亡か」
「いや、彼ならご自宅に戻って、ご両親に泣きつきそうなものだ」
「そうだな。もし突発的に逃げたのだとしても、感情や恐怖を制御できないなら、今頃とっくに発見されているだろう」
言われてるぞ、チチズベーオ。
貴族の体面にいちいち配慮していたら、進むものも進まない。
それまで黙っていたパーリアが一同を見回し、厳かに訊ねた。
「では何故、ヴィルジリオ・トゥリパーノの行方は依然、杳として知れぬのか」
「……」
調査官たちは皆、うつむいた。誰も言いたくないのだろう。由緒正しき旧家の坊ちゃまが既に人としての自我を失い、人ならぬモノになり果てて、善良な市民を食いちぎる一方、その魔性の本能でもって巧妙に身を隠しているかもしれない、などと。
パーリアはおっとりとレオを見やった。
「お若い方、どう思われる」
この人の前で、そんな振る舞いをしてはいけない――分かっていながら、レオは殊更、魔物のように微笑んだ。
「彼を匿っている者がいるのでしょう」
「何だと……?」
パーリアの表情から、胡散臭くも柔和な笑みが剥がれ落ちた。
一度では理解できなかったかと、レオはもっとはっきり言ってやる。
どうせなら――呼び出された悪魔が、人の問いに答えるように。
「トゥリパーノには、人間の協力者がいる」
「……」
うわぁ。パーリアさん、ものすごく怒ってる……。
すべての悪事は魔が為すと信じるパーリアにとって、さぞかし受け入れ難い回答だろう。この思い付きはレオではなく、もう一匹の悪魔のものなのだが。
「本件に人間が関与していると……?」
「ええ。トゥリパーノ氏を連れ去り、匿い、寛大にも彼の狩りに手を貸している人間がいる――という可能性がなきにしもあらず、じゃないかな? と」
言い切っておいて間違えていたら恥ずかしいから、断定はしない。
「それは誰です?」
「さあ、そこまでは」
こうやって余裕の笑みではぐらかすのも、いかにも魔物らしい。
ロベルトの硬い声が割って入った。
「若君、その人間の目的は」
「さあ? 僕はただ、裏で手引きをしている誰か――協力者でも黒幕でも、呼び名は何でもいいけれど――そういう人間がいれば、いろいろと綺麗に説明がつくなぁと思っただけだ」
レオはにこやかに続けた。
「僕も最近知ったのですが、ゴンドリエレは互いに何となく顔見知りなのだとか。ねえ、ロベルト」
ロベルトが弾かれたように「はい」と答える。
「トゥリパーノ家のゴンドリエレは、ダニエレとファブリツィオだ。あなたは彼らと面識はある? トゥリパーノを迎えにきたのは確かに彼らだった?」
「いいえ……ただ、トゥリパーノ家のゴンドリエレとしか……」
呆然と答えるロベルトの周囲で、調査官たちが騒めいた。
「まさか、ゴンドリエレがすり替わっていたと?」
「だが、それならトゥリパーノ氏が気づくのでは」
「いや、もしかしたら、トゥリパーノ氏は最初からその者と示し合わせて……」
人間たちの騒めきに、悪魔がひょいと入り込む。
「ああ、それはどうかな……。僕が思うに、『トゥリパーノ宮から参りました』とゴンドリエレが名乗り、ミディーカ宮の者がその通りに取り次ぎ、トゥリパーノは取り次がれた通りに自家のゴンドラだと思い込んで乗った。そんなところじゃない?」
「そんなバカなことが」
「いや、案外、そんなものじゃないかと思いますよ」
ジャンニが皮肉っぽく口を挟んだ。
「高貴なお方って、得てしてそういうところがあるもんです」
「……」
誰も反論しなかった。
「ジョヴァノット、君は何故そう思ったのです……?」
補佐官殿の猫撫で声は、一体どんな感情を押し殺して出しているのだろうか。
レオは肩をすくめて答えた。
「トゥリパーノ家のゴンドラと、すれ違ったというゴンドリエレがいないから」
レオに求められているのはこういうものではないのかもしれないが、ヴェネツィア人らしい現実的な答えだった。
もしも、一見不可解な出来事が、実は人の手によるものだったとしたら――?
共和国の奢侈禁止令により、ゴンドラはどんな大貴族の所有であろうと、黒一色と決まっている。だから、内装はどうあれ、外からの見た目はクッキアイオ家のゴンドラも、トゥリパーノ家のゴンドラもさして違いはない。
「でも、貴族仕様のゴンドラとなら、すれ違っていたはずです。漕ぎ手がいつもの二人ではなかったというだけ」
思い込みを利用した、簡単なトリックだった。トゥリパーノを乗せたゴンドラは、誰にも気づかれることなく、大運河を悠々と渡っていったことだろう。
「では、トゥリパーノ家のゴンドラとゴンドリエレは今どこに」
「さぁ……。ゴンドラはともかく、ダニエレとファブリツィオが今も息をしているかどうかは、人間の協力者――あるいは黒幕? そいつがどれほど冷酷かによる」
レオはパーリアにおっとりと微笑みかけた。
「実に、おぞましいですね」
人間という生き物は――。
言外の声が聞こえたのか、パーリアはレオに微笑み返してくれはしなかった。
「――パーリア補佐官、今からでもミディーカ宮に確認に行きたいのですが、よろしいでしょうか」
「よい。これにて散会とする」
既に腰を浮かせているロベルトに許可を出し、パーリアは早々に会のお開きを宣言する。調査官たちは興奮冷めやらぬまま、三々五々と散らばってゆく。
パーリアが乾いた声で訊ねた。
「ジョヴァノット、君には何が見えているのです……?」
レオは物憂い灰色の目を細め、意味深に囁いた。
「――あなたと、同じものが」
この人のことが、嫌いだったから。




