25.忠義者1
「トゥリパーノ宮はもう目と鼻の先ですが……」
レオがカルミネを抱き上げてよしよししたい衝動と戦っているとも知らず、カルミネが再び愛らしく首を傾げた。
「どうも様子が変です」
「あー、うん」
レオも周囲を見渡して同意した。
行き交う人間の数が明らかに多い。
うち、大部分は三角帽子に黒マントという、目立たない恰好をした男たちだった。先ほどミディーカ宮で特によく見かけた形である。
「あ、ジャンニ」
「おや、俺より先に出たお二方が何故……」
そんな男たちの群れから、見知った顔がひょっこり現れる。ジャンニと同じ調査官であろう、金髪の男と一緒だった。
「ミディーカさんに捕まっちゃって」
「それより、トゥリパーノ宮で何かあった?」
ジャンニの問いにレオが答え、ほぼ同時にカルミネが訊ねた。
「あー……あ、ヴィンチ殿、こちらは同僚のロベルト。ロベルト・エズィレです」
ジャンニに紹介された金髪の男が会釈し、レオも軽く頷き返す。
ジャンニは続けて声を潜めた。
「……チチズベーオの奴が行方知れずらしい」
「帰ってないの?」
「ああ。トゥリパーノの奥方が、心痛のあまり半狂乱になってる」
「どっか寄り道してるだけじゃない?」
――お前はトゥリパーノの奥方よりも、ご子息のことを分かっていそうだな。
「それがなぁ……。ミディーカ宮で何があったか、もうヴェネツィア中が知ってる訳だ。絶対に寄り道はならぬときつく言い含めて寄越した迎えのゴンドラだから、チチズベーオがどんなにゴネてもご自邸までまっしぐらのはずなんだよ。なぁ? ロベルト」
水を向けられたロベルトが思慮深げに頷いた。
「奥方は連れ去られたとお考えのようで、さっさと見つけてほしいとの仰せだ」
ジャンニが肩をすくめて付け足す。
「ま、ご当主はそれほど熱心じゃないけどな。大騒ぎした挙句、実はいつものようにほっつき歩いてただけでした、ってことになるのを恐れていると見た」
「ふーん……ジャンニたちは奥方の要請を受けて動いているの?」
ジャンニがニヤリと笑った。
「と見せかけて、目的はチチズベーオの確保だ。ヴィンチ殿がおっしゃるには、あいつは今、ヴェネツィアで最も危険な男らしいから」
「僕の言うことを信じてくれるんだ」
「当ったり前じゃないですか!」
「若君のご判断、妥当かと。ヴィルジリオ・トゥリパーノの名は伏せますが、十人委員会の名において、『魔獣出没注意』という警告がヴェネツィア全土に出される予定です」
「そう」とレオはほっとしたように息を吐いた。
「警戒しておくに越したことはないからね」
「ヴィンチ殿、ちなみにですけど、実際問題、危険性ってどれくらいなんです?」
「最悪、一瞬でカテリーナ・ミディーカと同じ目に遭う」
「え……」
この時、皆の脳裏によぎった光景はひとつだった。
「お、大人の男でも?」
「大人の男でも」
「さ、さ、最悪じゃない時は?」
「最悪の場合を想定しておくんだよ、ジャンニ」
レオは困った子だなぁと言わんばかりに物憂く眉を寄せた。
「旦那、こうしちゃいられませんぜ。僕たちも捜索を」
「そうだね」
レオは頷き、調査官たちに物憂い灰色の目を向けた。
「僕たちは僕たちで、魔物が好みそうな場所を当たってみるよ」
レオにしかできない捜し方である。調査官たちは勢いよく頭を下げた。
「お願いしますッ!」
「うん。他の調査官たちにも十分注意するように言って。気をつけておかないと、パクッとやられて死ぬぞ、って」
妙に可愛い言い方でレオが脅すように言い、その隣でカルミネが手をひらひらと振った。
「じゃあね~。また後で」
「おう」
カルミネに倣い、レオも二人にひらひらと手を振って別れる。
「……な? お可愛らしいだろ、ヴィンチの旦那。カルミネと並んで負けてないんだぜ」
「ジャンニ、その呼び方はどうなんだ。せめて若君と……」
背後で囁き交わされる会話を、レオの敏い耳が拾う。
――いや、確かにカルミネは可愛いけど、僕……?
「旦那、どこから行きます?」
「ああ、そうだな。おいで」
レオは張り切っているカルミネの肩を抱き寄せた。
「旦那……?」
「こっちだ」
あ。軽い……。
カルミネは覆いかぶさる波のようなレオにさらわれ、呆気なく細い筋に押し流されていく。
へえ、驚いた。こんなに手応えがないものなのか。
おませな口を利くから、少なくとも十四、五歳くらいだろうと思っていたが、もしかしたらもっと幼いのかもしれない。
だとしたら尚更、主としてこれ以上この子を酷使する訳にはいかなかった。
「朝から働きづめだろ。一度、腹ごしらえをしよう」
少し歩いたところに、よく知っている店がある。可愛い助手にたっぷり食べさせてやらなくてはならなかった。




