24.美し過ぎて3
「ミ、ミディーカ様。それは一体――」
「まあ、お兄様。そんなこと、いつまでも話題にするものじゃありませんよ」
尼僧の清々しくも揺るぎない声が、震え慄く小鹿のようなレオの問いを跳ね飛ばす。
そんな。尼僧様。
ミディーカにとっては単なるゴシップでも、レオにとってはそうではない。
ジェルソミーナ、大切な人。僕がそばにいない間、あなたに一体何があった?
貴族の死亡と婚姻ぐらいは、数週間遅れとはいえ、パリでも知ることができた。だからレオはジェルソミーナが息災で、まだどこにも嫁いでいないことを知っている。
知っているけど。
知っているのはそれだけだった。
「ミディーカ様、今のお話……」
「――生憎、その方のことは存じませんが、僕はお貴族様とは無縁の生まれ。僕のことはどうぞお捨て置きくださいませ」
カルミネは殊更に低く、作り込んだ声でレオを遮り、素知らぬ素振りでレオの後ろに立った。
「閣下、お待たせして申し訳ありません」
「あ、ああ……」
殊勝げな物言いとは裏腹に、早く行けと言わんばかりの、吸い付くような距離だった。
「で、では、これで――」
レオは何度目か分からぬ暇乞いを告げ、猟犬に追い立てられる子羊のようにミディーカ宮を後にする。思っていたよりも長居をしてしまったようで、来た時よりも日が随分高くなっていた。
「カルミネ、お前――」
「ゴシップ好きな男って」
バウタの目の部分から覗く濃緑の瞳は、凍てつく海のようだった。
「本っ当に、嫌ですよね」
「…………うん…………」
「あ、こっちです。トゥリパーノ宮」
カルミネに誘導されながら、レオは煉瓦敷きの小道をしおしおと歩く。
カルミネが出し抜けに訊ねた。
「あの衝立、怪しいんですか?」
「えっ? 何で?」
不意を突かれたレオが驚いたように訊ね返すと、カルミネは三角帽子ごと、おや? と首を傾げた。
「違うんですか? 旦那がすごく見てたから、僕はてっきり、あの衝立には何か秘密があるのかと」
「そうか、ごめん。そんなんじゃない」
レオは口元を綻ばせた。
首を傾げるカルミネの仕草が、土産物屋のバウタ人形のようで可愛らしかった。
「ああいうのが一つ、うちにもあったらいいかなと思って見てたんだ」
「……何でまた?」
「何でって、お前」
レオはカルミネをちらりと見やり、声を潜めて囁いた。
「お前は男の裸が怖いんだろう?」
カルミネがびくりと身を震わせる。
ほら、やっぱり……。
「僕の裸を見た時、様子がおかしかったものね。あの時、気づいてやれなくて悪かった」
レオは辺りを憚るように、更に声を潜めた。
「あまりに綺麗なお前は、そのせいで昔、貴族の助平親父に、その、あの…………」
「語尾を濁すのは止めてくれませんか。旦那が思っているようなことは何もありませんよ」
カルミネは嫌そうにレオから距離を取る。
「……では、あの衝立はただの衝立なんですね?」
「うん」
どこかに魔物の気配があれば、レオには分かる。この感覚は父方からもらったのか、母方からもらったのか定かではないが。
「ということはつまり、昨夜の件は、少なくとも東洋のありがたい神獣の仕業ではないということですね……」
カルミネは小さな顎にフームと手を当てた。
「ミディーカ氏のことはどう思います? 無害なのか、無害を装っているのか」
「あれが演技なら大したものだよ」
カルミネも同意見だったようで、肩をすくめて笑った。
「残念。動機はバッチリですけどね。寝取られ夫」
しばしの沈黙の後、カルミネは小声でぽつりと言った。
「衝立は、あった方が嬉しいです……」
「分かった」
淑女に対する紳士の気遣いのようだと思うが、何故だろうか、この子の気に入るようにしてやりたいと心から思う自分がいる。
「椅子とかテーブルとかも揃えないといけないし、ついでに見繕っておくよ」
「ご自分でお手配なさるので? ご実家にお願いしないんですか?」
不思議そうに訊ねられ、レオは物憂く眉を寄せた。
「シルヴィオに……クッキアイオ家の家令に頼めば揃えてくれるんだろうけど、何か高価な家具とか、あの家に見合わないものを持ってこられても困るんだよ」
「ああ。そういうことでしたか……って、寝室のご準備はどなたが?」
「シルヴィオ……」
「特に問題はなさそうでしたが?」
確かに、レオの為に用意された寝台は、素材も意匠もミディーカの奥方のものとは比ぶるべくもなかったし、あの狭い寝室の上半分を占領するような、ヴェネツィアンガラスのシャンデリアもぶら下がっていない。
レオは小さなため息を吐いた。
「シルヴィオがやると、一見おかしなところはなくても、貴族のお坊ちゃんがお遊びで庶民の暮らしをやってるみたいになるんだよ」
「ああ、成程……」
ヴィンチ家の寝台を覆う羽根布団は極上の最高級品、さりげなく置かれた盥や水差しも、控えめなデザインながらヴェネツィア手工業の粋を集めた、見る者が見ればそれと分かる逸品である。
「時のフランス王妃が農民暮らしを模した、プティ・トリアノンみたいになるんですね」
「そこまでは言ってない」
さすがに彼のマリー・アントワネット王妃になぞらえられるほどではない。
「まあ、シルヴィオさんも、主家の若君の身の回りの品に、あまり粗末なものは出せないのだと思いますが……」
「うん……」
そこはレオも分かる。
カルミネが濃緑の瞳をはっときらめかせた。
「もしかして、旦那はご自分がお育ちになった家のようにしたいんですか?」
「あ、そうだね」
「旦那のご要望を満たせる業者に心当たりがあります。手配を頼みましょうか?」
お前、そんなツテまで……。
「うん、お願い」
「承知しました」
レオは感嘆の眼差しを彼に向けた。
「カルミネ、お前って本当にすごいね……」
何でも知ってるし、何でもできちゃう。
カルミネはふいと視線を逸らした。
「止してくださいよ。僕はただ、旦那のお役に立ちたいだけです」
えー……もう……。
冷ややかさの中に時折不意打ちで混ぜてくる、この可愛らしさは何なのだろう。




