23.美し過ぎて2
レオはカルミネを背に庇うように立った。
「ええと、すみませんが、この子は……」
ミディーカがホッと微笑んだ。
「ああ、そういうご関係でしたか。どうして従者にそんな恰好をさせているのかと不思議に思っていたのですが、成程、美しい恋人の顔を誰にも見せたくない、というところでしょうか」
あっと思った瞬間、レオは真っ赤に茹で上がった。
ミディーカの注意を引いたのは、カルミネ本人ではなく彼の扮装の方――。
そりゃそうだ。
よくよく考えれば、美し過ぎるというカルミネの素顔を見た訳でもないミディーカが、彼の色香に迷うはずもない。
「随分、ご執心なんですね」
「……」
訳知り顔で微笑むミディーカに、この恰好は僕がさせているのではなく、最初からこうだったんですとわざわざ釈明するのも気が引けた。
「良かったらどうぞ、ご一緒に長椅子へ」
「い、いえ、もうお暇を……」
あらぬ誤解をされてしまったが、折角立ち上がったこの機を逃す手はない。
「そうおっしゃらず。クッキアイオ家の方とお話しできるなんて、滅多にないことですから。あなたがこうしてここにいるということは、やはりあの噂は本当なんですか? 我らが罪深きヴェネツィアを、悪魔の手から守っているのはクッキアイオ家だという、例の……」
「……」
気の弱い少年のように、控えめに高揚しているミディーカに、レオはパリ時代に会得した何も伝えない微笑で応えた。
それは最早、チチズベーオが単なるエスコート係ではないのと同じくらい公然の秘密であったが、万が一にも認めてしまえば、クッキアイオ家にも共和国にも不都合しか生じなかった。
その力と使命が白日の下に晒されれば、クッキアイオ家はヴェネツィアの守護者として強大な権力を手にしかねない。
一家系への権力の集中を徹底的に排除する、共和国の統治システムとは決して相容れない事態が起こるのだった。
そんなことになったら、ヴェネツィアから追い出されてしまう……。
レオは心から迷惑そうに首を振った。
「本当に、困った噂ですよね……。それより、お悲しみのあった家に、あまり長居することもできません。僕はそろそろ……」
この頃にはレオにももう、はっきりと分かっていた。
この人、普段は社交の場に出てこないクッキアイオ家の人間と、単に色々お喋りしたいだけだ……!
「あ、では最後にひとつ――」
「お兄様!」
ミディーカを遮る慌ただしい声と共に、一陣の風が衝立の中に舞い込んだ。
「聞きました、お義姉様のこと――あらっ、お客様?」
ミディーカの妹であろう、兄とよく似た面差しの、だが兄と違って溌溂とした、人の好さそうな女がレオに気づいて目を丸くしている。麗しのカテリーナ・ミディーカより、少し年下といったところだろうか。まだ羽織ったままの彼女のマントの下から、白い僧服が覗いていた。
――尼僧か……。
彼女の名前や所属する僧院を、カルミネが耳元に囁くかと思ってレオは少し待ってみる。
あ、今ので怒ってるのかな……。
レオの早とちりのせいで、屈辱の愛妾扱いである。カルミネは無言のまま、レオを屈ませようと腕を引く気配もなかった。
尼僧の方は、あわあわとどこか憎めないうろたえ方をしていた。
「ま、まあ、これはとんだ失礼を……」
「――尼僧様、驚かせてしまって申し訳ありません」
詫びようとする尼僧に皆まで言わせず、レオはさっと彼女に近づいて恭しく腰を折った。
「え? あの……」
紳士たるもの、いついかなる場合においてもご婦人方に詫びさせてはならぬ。悪いのはすべて、外から見えにくい場所にいたこの身なのだから。
「丁度、お暇するところでした。尼僧様がいらしたのは、まさに天の配剤。ご家族が駆け付けられたことで、ミディーカ様のお心もさぞ慰められることでしょう」
レオはパリ帰りの優雅を振りまきながら、けぶるような灰色の瞳で尼僧を優しく見つめる。
「どうぞ、おそばについて差し上げてください」
「あ、はい……」
花の都で過ごした五年の歳月が、下町の画家の息子を尼僧も見惚れる優美な紳士に変えていた。
「――では、これで」
ミディーカ兄妹に一礼し、クッキアイオの若君は悠然と衝立の外に足を踏み出す。
「あら、あなた……」
「なっ、何ですか」
思っていたよりもスムーズに、しかもごく自然にミディーカ家を辞することができたと内心ほくほくしているレオの背後で、カルミネが尼僧に捕まる気配がした。
「どうしてバウタなんか被ってらっしゃるの?」
「……」
美し過ぎるというレオの助手は、たとえ仮面を被っていても、他人の興味を引いてしまう運命なのだろうか。
レオの視界の端で兄ミディーカがあわあわと慌てていた。
まずい……。
兄ミディーカが気を利かせたつもりで余計なことを口走る前に、退散しなくてはならない。
辺りに漂う緊迫した空気も知らず、尼僧はうっとりとため息を吐いた。
「なんて綺麗な目。あなたを見ていると、私のよく知っている、お可愛らしい方を思い出すわ……」
兄ミディーカがあっと声を上げた。
「パツィエンツァ家の姫だろう? 確かに、この緑の瞳は彼女そのものだ!」
――パツィエンツァ家の姫!
ヴェネツィア広しと言えど、パツィエンツァ家に姫は一人。その名も麗しきジェルソミーナ・パツィエンツァ。
こんなところで彼女の名を聞こうとは……。
不意を打たれたレオの心臓がドクンと甘く跳ねた時、ミディーカが遠い目をして呟いた。
「お美しく聡明な方だったのに。あんなことになるなんて、本当にお気の毒だったね」
――何だって?




