第81話 裁判予告の鐘
王都の鐘は、朝の祈りより低い音で鳴った。
窓硝子が震え、朝食卓の銀匙が細く鳴り、七人分に並べた椅子の背へ冷たい波が触れていく。
聖約裁判の予告鐘だと気づいた瞬間、私の手袋の下で破約の薔薇が小さく疼いた。
「裁判、ですか」
セシリアが祈りの姿勢を作りかけ、途中で指をほどいた。
彼女はもう、怖い時に祈りへ逃げ込むだけの少女ではない。
それでも金色の睫毛が伏せられると、私は彼女を最初に救った夜の熱を思い出してしまう。
門番が取り次いだ王宮書記は、黒革の筒を抱えて応接室に入った。
彼の靴底には泥がないのに、屋敷の床板へ冷えた足跡だけが残るようだった。
「ヴァルトローゼ公爵令嬢レティシア殿。星冠教会および王宮法務院の合議により、聖約破壊の嫌疑について公開聴聞を予告する」
言葉は刃物ではなく、蝋で封じた綱だった。
こちらが暴れれば暴れるほど、結び目は正しく見える。
私は筒を受け取る前に、卓の端で震えている七つの小さなものを見た。
セシリアの祈り布、アイリスの剣帯、ノエルの朱筆、ミレイユの帳簿留め、サフィラの国境印、ユーリアの影糸、エリスの索引札。
どれも、彼女たちが自分を取り戻すために握ってきた証だ。
王宮はそれを、私が奪った戦利品に変えようとしている。
「受領します。ただし、読み上げは全員の前で」
書記が目だけを動かした。
私は彼に椅子を勧めず、七人が座る卓の端へ立った。
この家の礼儀は、彼女たちの声を消すために使わせない。
* * *
告知文には、私の名より先に罪名があった。
聖約妨害、聖女候補の誘導、騎士叙任への干渉、魔導研究の私物化、商取引への圧迫、外交文書の不当保留、教会記録の窃取、王家監視網への反抗。
並べられた罪は、七人の救出を丁寧に裏返したものだった。
セシリアが嫌だと言ったことは誘導に、アイリスが剣を握ったことは干渉に、ノエルが自分の論文を取り戻したことは私物化にされている。
私は怒りで笑いそうになり、手袋の指先を整えて表情を保った。
「都合のいい言い換えですわね。値札を剥がしたら窃盗、檻を開けたら誘拐、口を開かせたら扇動。ずいぶん商売が上手ですこと」
ミレイユの声は華やかだったが、帳簿留めを握る爪が白い。
「私の叙任は、私の名で受けたものだ。誰かの飾りへ戻すために裁くなら、私は鎧を着て証言する」
アイリスは窓の外を見ずに言った。
門の向こうには、鐘を聞いて足を止めた通行人たちがいる。
彼らの視線はまだ石塀を越えてこないが、噂はすでに屋根の上を走っているはずだった。
サロンの甘い朝は、今日から王都中の見世物にされる。
ノエルが朱筆を立て、告知文の余白へ小さく線を引いた。
「罪名が多いほど、焦っている証拠。ひとつずつ反証できる。感情も、時刻も、筆跡も」
エリスが皮肉な笑みを浮かべた。
「教会は本を燃やす前に目録を作る癖があるの。今回も自分たちで索引をくれたと思えばいいわ」
私は二人の言葉に頷いたが、胸の底では別の音が鳴っていた。
裁判は、正しさだけで勝てる場所ではない。
彼女たちを証言台へ引きずり出し、家名と役割で縛り直すための舞台でもある。
* * *
昼過ぎ、サロンの門前に最初の見物馬車が停まった。
紋章を隠した貴族の馬車、教会の白い外套を着た巡礼者、ただの野次馬を装った王宮の影。
ユーリアが帳面も見ずに数を告げる。
「正面に六、北塀に二、屋根筋に三。殺意より観察が多いです」
「観察なら、こちらも記録しましょう」
サフィラが薄青い便箋を広げた。
母国の紋を押すべき場所に、彼女はまだ印を置かない。
王女として抗議すれば国境に火がつく。少女として黙れば恋が踏みにじられる。
その二つを同じ手で持つ彼女の指先が、ほんの少し冷えていた。
私は燭台のそばへ移り、予告文を七つに分けて写させた。
誰がどの罪名に関わるか、誰を最初に守るべきか、どの証拠を屋敷から外へ逃がすか。
甘い生活の卓は、一刻で戦場の地図になった。
セシリアが私の隣に来る。
「レティシア様。私を最後にしないでください」
思わず息が止まった。
守りたい相手ほど後ろへ置きたくなる私の癖を、彼女はもう知っている。
「私も証人です。最初に救われたから、最初に奪われたことを話せます」
その強さが嬉しくて、怖かった。
私は彼女の手に触れず、触れたい気持ちだけを手袋の内側にしまう。
「順番は私が決める。でも、あなたの声を後回しにするためではないわ」
セシリアは小さく頷いた。
夕刻、二度目の鐘が鳴った。
その後、私は使用人たちを集めた。
裁判の予告は貴族だけの問題ではない。屋敷へ出入りする洗濯女、薬草を届ける少年、台所で働く老女まで、噂の刃は届く。
辞めたい者は今日のうちに出てよいと告げると、何人かが泣きそうな顔をした。
裏切りではない。怖いのは当然だ。
それでも残ると言った者たちへ、私は命令ではなく理由を尋ねた。
ある者はセシリアに薬の飲み方を褒められたからと言い、ある者はアイリスが雨の日に荷車を押したからと言い、ある者はミレイユの払いがよいからと正直に言った。
その答えの一つひとつが、裁判で問われる大義よりずっと生々しい。
サロンは理念だけでできていない。誰かが薪を割り、誰かが寝具を干し、誰かが震える手へ温かい茶を出すことで成り立っている。
私はそこまで守りたいのだと、鐘の音が薄れてからようやく理解した。
けれど守りたい範囲が広がるほど、敵に握られる場所も増える。
ユーリアが小声で、門番の家族にも監視がついたと報告した。
私は頷き、退避金の封筒を一枚増やす。
正しさだけでなく、生活を守るための銀冠が必要だった。
夜になると、鐘の余韻は噂に変わって戻ってきた。
市場では、薔薇のサロンに入った娘は家を捨てさせられると言われているらしい。
教会前では、私が聖女候補の祈りを穢したと囁かれているらしい。
王宮近くの茶会では、七人を侍らせる悪役令嬢という言葉が、甘い菓子と一緒に配られているらしい。
ミレイユが買ってきた噂の束を読むたび、私の指先は冷えた。
怒りより先に、彼女たちが聞いたらどう思うかを考えてしまう。
セシリアは自分のせいだと思うだろう。アイリスは剣で黙らせたいと苦しむだろう。サフィラは外交問題へ飛び火することを恐れるだろう。
だから私は、噂を隠すのではなく、全員で読んだ。
醜い言葉を一人で抱え込めば、私がまた彼女たちの前に壁を作ってしまう。
七人は傷ついた。
それでも、誰も目を逸らさなかった。
エリスが最後の紙を折り、低く言う。
「敵の言葉を知るのは痛い。でも、知らずに刺されるよりまし」
私は頷いた。
予告鐘は王都に鳴っただけではない。
私たちの食卓に、戦いがもう日常として入り込んだのだ。
同じ時刻に、七人それぞれの生家と所属へ、個別召喚状が出されたという報せが届いた。
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