表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

88/105

第80.5話 七人のサロンの朝

 薔薇のサロンの朝は、想像していたより騒がしい。


 私は丸卓の中央にパン籠を置きながら、七人分の好みを書いた小さな札を確認した。


 セシリアは蜂蜜少なめの温い茶。


 アイリスは甘いものを少しだけと主張しながら、焼き菓子の端を見ている。


 ノエルは徹夜明けで、匙を持ったまま眠りかけている。


 ミレイユは果物の値段を当て、サフィラは塩漬け魚の外交的価値を語り、ユーリアは私の皿へ勝手に野菜を増やし、エリスは本を読みながら席につこうとして椅子にぶつかった。


「全員、朝食を食べて」


 私が言うと、七つの返事が別々の速さで返ってきた。


 そのばらばらさに、胸の奥が少し温かくなる。


 ここにいる誰も、同じ理由で私の隣へ来たわけではない。


 聖約、婚約、研究、商談、外交、命令、禁書。


 それぞれ違う鎖を抱えて、違う傷を隠していた。


 それでも今朝は、同じ卓で焦げた卵を見つめている。


「焦げたのは誰ですか」


 エリスが眼鏡越しに疑わしげな目を向ける。


 私は沈黙した。


 セシリアがそっと手を挙げた。


「私です。浄化の火を弱めるつもりが、励ましすぎました」


「火を励ますという概念がまず危険です」


 ノエルが真顔で呟いた。


 アイリスは焦げた卵を皿へ取ろうとする。


「私がいただきます」


「騎士の自己犠牲を朝食で発揮しないで」


 ミレイユが笑いながら、焦げていない部分だけを器用に切り分けた。


「商品価値は下がるけれど、家庭価値は上がるわね」


「家庭価値とは」


 サフィラが首を傾げる。


「失敗しても笑って食べる価値」


 ミレイユの答えに、セシリアがほっと息をついた。


 私はその様子を見ながら、皿を配った。


 サロンは避難所として始まった。


 けれど避難所だけでは、人はずっと息を潜めてしまう。


 焦げた卵で騒ぎ、茶の濃さで言い合い、誰が私の隣に座るかで静かな争いをする場所になって初めて、ここは朝を迎えられる。


 問題は、私の隣の椅子が一つしかないことだった。


 セシリアが祈るように微笑む。


 アイリスが背筋を伸ばす。


 ノエルが眠そうな目で椅子の角度を測る。


 ミレイユが余裕の笑みで外堀を整え、サフィラが王女の微笑で譲歩の条件を提示し、ユーリアが無言で椅子を少し引き、エリスが本を閉じて参戦する。


「今日は交替制にしましょう」


 私が宣言すると、七人の視線が集まった。


「朝食の前半と後半で?」


 セシリアが尋ねる。


「そこまで細かくしないわ。日替わり」


「一週間で一巡ですね」


 ノエルが即座に計算する。


「では八日目は?」


 サフィラが涼しい声で言った。


 私はパンを取り落としかけた。


 ミレイユが楽しそうに笑う。


「八日目は競売?」


「却下」


「護衛実績による優先権は」


 アイリスまで真面目に言う。


「却下」


「勤務年数は」


 ユーリアの低い声が続く。


「却下」


「貸出延滞日数なら私にも勝ち目があります」


 エリスが眼鏡を押し上げる。


「それは誇らないで」


 結局、八日目は私が一人で座り、全員の顔を見渡せる席にすることになった。


 不満の声は出たが、誰も本気ではない。


 七人はそれぞれ、自分の皿へ手を伸ばした。


 セシリアが焦げた卵の小さな欠片を食べ、思ったより苦い顔をする。


 アイリスがすぐ水を渡し、ノエルが焦げの成分分析を始め、ミレイユが改善案を出し、サフィラが祖国の朝食を提案し、ユーリアが次回の火加減を記録し、エリスが料理本の禁書指定を疑う。


 私は笑った。


 裁きの場で奪われかけた声が、今は朝の卓で重なっている。


 誰の声も同じではない。


 だからこそ、ここは騒がしくていい。


 朝食の終わり、セシリアが小さな花を卓の中央に置いた。


「今日の無事を祈るためではなく、今日を始めるために」


 私はその花の横に、白手袋を置いた。


「では、始めましょう」


 七つの手が、それぞれの皿と杯と本と剣帯へ伸びる。


 薔薇のサロンの朝は、ようやく私たちのものになった。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ