第80話 聖約破壊者の告発
朝、ヴァルトローゼ王都邸の門前には人だかりができていた。
雨は降っていない。
だから噂を聞いた者たちは、傘で顔を隠す必要もなく、堂々とこちらを見ている。貴族の馬車、教会の白い外套、新聞売りの少年、好奇心を隠さない学院生。
私が悪役令嬢へ戻されるには、十分な観客だった。
玄関広間の卓には、昨夜届いた正式告発書が広げられている。
聖約秩序攪乱。聖女候補の誘導。近衛騎士への不当介入。魔導研究権の破壊。商会契約妨害。外交聖約への干渉。王家の影の奪取。禁書司書の逃亡幇助。
言葉はどれも硬く、冷たく、正しそうに整えられていた。
そして最後に、こう書かれている。
「以上により、レティシア・ヴァルトローゼを聖約破壊者として告発する」
私はその一文を見つめた。
破壊者。
壊したのは、確かに私だ。
セシリアの拒絶を封じた聖約を、アイリスから剣を奪う仕組みを、ノエルの研究を盗む契約を、ミレイユに値札をつける商談を、サフィラを外交文書に閉じ込める偽造を、ユーリアを影にする命令を、エリスを沈黙させる棚を。
壊した。
けれど、人を壊すためではない。
人を返すために。
「返書は出しますか」
ミレイユが尋ねる。
彼女の前には、すでに三種類の文案がある。穏当な抗議、法的な反論、噂へ流す短い声明。商会令嬢は戦場をよく知っている。
「出すわ」
私は告発書の横へ白紙を置いた。
「ただし、隠れて弁明する形にはしない」
サフィラが頷く。
「公開の文書にするのですね」
「ええ。教会が門前で私を呼んだなら、私は門前で返す」
アイリスが剣帯を締める。
「護衛は任せてください」
「抜くのは最後よ」
「分かっています。抜かずに立つのも騎士です」
セシリアは喉元の痕へ手を添えた。
「私の名前を使ってください。誘導されたのではなく、私が選んだと」
「名前を出す危険があるわ」
「危険でも、消されたくありません」
その言葉は、告発書のどの行より強かった。
ノエルは測定具と星座痕の写しを箱へ入れる。
「身体情報は伏せます。ただし、同一術式の存在は示せます」
エリスが禁書目録の写しを閉じた。
「私は司書証の複写を出します。逃亡ではなく、証拠保全だと」
ユーリアは、侍女服ではなく黒いドレスで私の横へ立った。
「私の報告書と命令書も」
「あなたへの追及が強くなる」
「もう死んだことにされています。生きている証拠が要ります」
彼女は静かに言った。
その顔には、昨日までの命令待ちの影がない。
私は全員を見る。
誰か一人の名前を盾にしない。
誰か一人の傷を見せ物にしない。
けれど、誰の選択も消させない。
「では、返書を書くわ」
羽根ペンを取ると、手首の薔薇の傷が疼いた。
痛みはある。
だが、怯えだけではない。
私は一行目を書いた。
「聖約を破壊したのではない。本人の拒絶を封じる鎖を解いた」
エリスが横から覗く。
「もう少し法的に」
ミレイユも覗く。
「もう少し噂に刺さる形で」
ノエルが淡々と言う。
「もう少し術式上正確に」
私はペンを止め、思わず笑った。
「全員で一通を書くと、大変ね」
「サロンの欠点ですわ」
ミレイユが肩をすくめる。
「でも、強みでもある」
アイリスが言った。
その通りだった。
返書を書き上げるまでに、三度書き直した。
一度目は怒りが強すぎた。
エリスが、これは燃えるが裁判では残らないと言った。
二度目は法的すぎた。
ミレイユが、読む前に民衆が飽きますわと容赦なく削った。
三度目でようやく、私たちの言葉になった。
セシリアは、誘導されたのではなく療養先を自分で選んだと短い証言を添えた。喉が痛む言葉は無理に書かず、選んだ事実だけを書く。
アイリスは、剣の所有権と叙任証を持参すると記した。怒りの言葉を削り、騎士としての事実を残す。
ノエルは、星座痕の術式写しを公開用と非公開用に分けた。身体を見せずに証明するためだ。
ミレイユは、噂の買い手と資金の流れを示す帳簿の写しを選んだ。全部出せば商会まで焼かれる。必要な一枚を選ぶのも戦いだった。
サフィラは、母国とロゼリア双方へ同じ文面を送ると決めた。王女の言葉を片方だけに渡せば、また利用されるからだ。
エリスは、禁書目録の原本ではなく索引の写しを出す。逃げ道そのものを潰されないために。
ユーリアは、自分の報告書の中から、王家が私を監視対象と呼んだ頁と、彼女自身が危害命令の遂行困難を書いた頁を選んだ。
「恋の行は出さないの?」
私が聞くと、彼女は少し考えた。
「それは、今は私の胸に残します。裁判で必要になれば、自分で言います」
「分かった」
私たちは誰のすべても差し出さない。
必要な分だけ、自分で選んで出す。
その作業は遅く、面倒で、何度も迷った。けれど、その迷いこそが聖約と違う。星冠教会の契約は迷いを消す。私たちの返書は、迷った跡を残している。
最後に、私は署名した。
レティシア・ヴァルトローゼ。
悪役令嬢でも、聖約破壊者でもなく、私の名前で。
ユーリアが封筒を差し出した。
封をする前に、私は皆へ尋ねる。
「これで出していい?」
一人ずつ頷きが返る。
その確認を終えてから、初めて封蝋を落とした。
薔薇の印が赤く固まる。
告発への返事は、ようやく私たちの手を離れる準備ができた。
* * *
正午、私たちは門を開けた。
外のざわめきが一斉に膨らむ。
教会の使者は白い法衣の裾を揺らし、こちらを見下ろすように立っていた。王宮の馬車も少し離れた場所に停まっている。黒い車輪。閉じた窓。中に誰がいるかは見えない。
私は門の内側に立ち、返書を読み上げた。
「ヴァルトローゼ公爵家は、星冠教会の告発を受領した。だが、保護下にある者たちを所有物として扱う前提を認めない。証言、診断書、命令書、報告書、禁書目録の写しをもって、公開の場で反論する」
人だかりが揺れる。
私は続けた。
「本人の拒絶を封じる聖約は、聖なる誓いではない。鎖である」
使者の顔が険しくなる。
「その発言自体が、破壊者の証しです」
「なら、記録しておきなさい」
私はまっすぐ見返した。
「私は鎖を壊す。人を返すために」
背後で、誰も息を呑まなかった。
七人はそれぞれの場所で立っている。祈り、剣、測定具、帳簿、印章、報告書、目録。並べれば証拠になる。けれど今は、ただの道具ではない。
彼女たちが自分で持つ、自分の未来への鍵だった。
使者は告発書の写しを門へ打ちつけ、踵を返した。
王宮の馬車が動き出す。
その後ろで、王都の通りに教会騎士の白い列が見えた。
アイリスが低く言う。
「包囲の準備です」
私は返書を胸に抱えた。
甘い勝利は終わった。
ここからは、奪い返したものを守る戦いになる。
男たちを攻略するための戦いではない。
彼女たちが自分の名で立ち続けるための戦いだ。
それでも、門を閉める直前、ユーリアが私の横に並んだ。
「戻りますか」
「どこへ?」
「サロンへ」
私は頷いた。
「ええ。皆のいる場所へ」
門が閉じる。
外では告発の鐘が鳴り始めていた。
第4章はここで区切りです。七人が揃ったサロンの続きも見守っていただけると嬉しいです。
次回は閑話を挟み、聖約裁判へ進みます。




