第78話 星座の痕
七つの痕を同じ部屋で見ることになるとは、思っていなかった。
食堂はすぐに診察室へ変わった。
卓布を片づけ、ノエルが測定具を並べ、エリスが禁書目録の写しを開く。セシリアの喉元には薄い星冠の輪。アイリスの剣帯の下、腰骨の近くには古い叙任印に紛れた線。ノエルの手首、ミレイユの鎖骨、サフィラの指輪跡、ユーリアの足首、そしてエリスの司書証を下げていた胸元。
場所も由来も違う。
けれど魔導光を当てると、どれも同じ星座の欠けた形を浮かべた。
「偶然ではありません」
ノエルが言う。
眠そうな目は消え、研究者の顔になっている。
「個別の婚約、叙任、研究権、商会契約、外交聖約、影契約、司書誓約。入口は違うのに、最終的な制御式が同じです」
エリスが禁書目録の頁をめくる。
「星冠教会の一括改竄術式ですね。古い棚に記録がありました。本人の署名や誓いに、後から同じ星座を重ねる」
セシリアが喉元を押さえる。
「私だけでは、なかったんですね」
「あなた一人の痛みではなかった」
私はそう言い、すぐに言葉の足りなさに気づいた。
「でも、あなたの痛みが軽くなるわけではないわ」
セシリアは小さく頷いた。
「はい。でも、私が弱かったから縛られたのではないと分かります」
その言葉に、アイリスが剣帯を強く握った。
「私もだ。守れなかったから奪われたのではない。奪う仕組みが先にあった」
ミレイユは自分の鎖骨へ触れ、笑みを消していた。
「値札をつけたのは家だけではなく、教会の帳簿も同じだったわけですわね」
サフィラの声は王女として冷えている。
「外交文書に混ぜれば、国と国の問題にできます。教会はそれを盾にした」
ユーリアは足首の痕を見つめていた。
「影契約も、同じ棚に並べられるのですね」
エリスが静かに返す。
「棚に並べられたものは、取り出せます。少なくとも、私はそう信じることにしました」
私は七つの痕を順に見た。
カタログのように数えるためではない。
一人ずつ違う人生が、同じ仕組みに手を入れられていた。その事実を、雑にまとめたくなかった。
「ノエル。これは裁判で証拠になる?」
「なります。ただし、痕を見せるかどうかは本人の同意が必要です。身体の証拠なので」
「エリス」
「禁書目録だけでは弱いです。改竄術式の原本、または運用記録が要ります。けれど、この星座は道標になります」
私は頷いた。
「では、急がない。誰の痕を、いつ、誰に見せるかは、本人が決める」
セシリアがほっと息を吐く。
アイリスは当然だと頷き、ミレイユはその条件を書面にしようと羽根ペンを取った。サフィラは外交文書で身体情報を守る条項を考え始め、ユーリアは椅子に座ったまま、自分の足を隠さずにいた。
その姿だけでも、昨日とは違う。
七つの痕を記録するために、私たちは大きな羊皮紙を広げた。
身体のどこにあるかを詳細に描くのではなく、術式の星だけを写す。ノエルがそう提案し、セシリアがほっとした顔をした。
「見せるための記録と、守るための記録は分けるべきです」
ノエルの声はいつも通り淡々としている。
けれど、その提案は優しかった。
アイリスは剣帯を外さず、上から浮かぶ光だけを写した。ミレイユは鎖骨の痕を見せる代わりに、鏡へ反射させた星の形を取った。サフィラは指輪跡を自分で紙に描き、セシリアは喉元に布を当てたまま、痛みの出る言葉を別紙へ書いた。
ユーリアは足首を隠さなかったが、しばらくして自分で言った。
「ここまでで十分です」
「ええ」
私はすぐに布をかける。
エリスは司書証の紐を外し、胸元を見せずに、証に残っていた魔力の残滓だけを採取した。
「この程度で分かるのですか」
サフィラが聞く。
「分かるようにするのが研究です」
ノエルが答えた。
「分からないと脅す相手に、分かる形を作るのが司書です」
エリスも続けた。
二人が同じ方向を向いている。
少し前まで、真実は救わないと皮肉を言っていた司書と、感情は研究の邪魔だと自分に言い聞かせていた魔導令嬢が、同じ机で傷を守る形式を考えている。
私は羊皮紙の中央へ、欠けた星座の輪郭を見た。
中心が空いている。
そこへ何を置くかで、この痕は鎖にも証拠にもなる。
「中心には何が入るの?」
私が尋ねると、ノエルは迷わず答えた。
「本人の言葉です」
エリスが頷く。
「教会はそこを奪って、空白にした。だから同じ星座が完成しない」
セシリアが小さく言う。
「嫌です、という言葉」
アイリスが続く。
「守りたい、という言葉」
ミレイユが笑う。
「損得では測らない、という言葉」
サフィラは静かに目を伏せる。
「国のためだけではない、という言葉」
ユーリアは足首に布を掛けたまま言った。
「戻りません、という言葉」
エリスは最後に、ペンを置く。
「黙りません、という言葉」
中心の空白が、初めて空虚ではなく、待っている場所に見えた。
* * *
午後、ノエルとエリスは書庫に籠もった。
私は二人の前に茶を置き、邪魔をしないよう扉のそばに立つ。エリスは禁書目録の古い索引を辿り、ノエルは魔導式を紙の上へ展開していく。
「星座の中心が欠けています」
ノエルが言った。
「欠けているのは、本人の拒絶語を吸い上げる部分です。そこを補えば、破約の薔薇は切断ではなく翻訳として働ける」
「あなたの昔の理論ね」
「はい。感情は研究の邪魔ではありませんでした」
エリスが皮肉を言いかけて、やめた。
「真実も、人を救わないだけではありませんでした」
二人の声が、同じ机の上で重なる。
私はその光景を見て、胸の奥に小さな希望を覚えた。
希望は危険だ。
期待すれば、折れた時に痛い。
それでも、折れないように隠しておくだけでは、王家と教会の思うつぼだ。
夕暮れ、門番が書庫へ駆け込んできた。
「星冠教会より、口頭通告の使者です」
私たちは玄関広間へ向かった。
白い法衣の使者は門の外に立ち、屋敷の敷居を踏まなかった。まるで中へ入れば汚れるとでも言うように。
彼は巻物を開き、王都の通りへ響く声で告げた。
「ヴァルトローゼ公爵令嬢レティシア。貴殿は聖約秩序を破壊し、聖女候補、騎士、魔導令嬢、商会令嬢、王女、影、司書を惑わせた疑いがある」
喉の奥が冷える。
使者は最後の言葉を、ことさらに大きく読んだ。
「枢機卿ベネディクト猊下は、貴殿を聖約破壊者と認定する予備審問を命じる」
背後で、七つの痕がまた淡く疼いた。
私は門の外の使者ではなく、隣に立つ彼女たちを見た。
星座は、私たちを縛るためだけのものではない。
同じ空を指す証拠にもなる。
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