第60話 聖約裁判の召喚状
正式な召喚状は、翌朝の鐘と同時に届いた。白い封筒に王家の金印、星冠教会の銀印。これまで別々に私たちを追っていた二つの権力が、初めて同じ紙の上で手を組んだ。
長卓へ封筒を置くと、誰もすぐには触れなかった。セシリアの顔は青く、アイリスの手は剣帯にあり、ノエルは眠気を忘れた目で銀印を見ている。ミレイユは費用の流れを考える顔になり、サフィラは外交文書としての重さを測っていた。
ユーリアだけが壁際に立ち、扉と窓を確認している。まだ席には座らない。
私は封を切った。
聖約裁判。罪状は、聖約破壊、王家婚姻秩序の妨害、聖女候補および諸令嬢への不当誘導、隣国王女の保護妨害。言葉は厳しい。だが一行ごとに、私たちが壊してきた鎖の形が見えた。
「出頭日は」
アイリスが聞く。
「まだ先よ。準備聴聞を経て正式日程を定める、とある」
「時間をくれたということですわね」
ミレイユが言う。
「いいえ、証拠を奪う時間でもあります」
サフィラの指摘に、部屋の空気が引き締まる。
* * *
私は召喚状を読み終え、全員を見た。
「逃げる選択もある」
誰もすぐには答えなかった。逃げない、と勢いで言う場面ではない。裁判は舞踏会の断罪より長く、重く、生活を削る。家も国も信仰も使われる。
最初に口を開いたのはセシリアだった。
「私は、もう黙って戻りたくありません」
アイリスが続く。
「私の剣を、証言として使う」
ノエルは薄紙をまとめる。
「術式の比較表を作る。指輪と聖約痕と署名欄」
ミレイユは帳簿を叩いた。
「資金経路を洗います。王宮も教会も、ただでは裁判を開けません」
サフィラは背筋を伸ばした。
「私は外交抗議を準備します。王女として、少女として」
最後に、壁際のユーリアが静かに言った。
「私は、影の動きを記録します」
席には座らないまま。でも、声は確かに卓へ届いた。
私は召喚状を畳んだ。悪役令嬢として裁かれるのなら、こちらも証拠を持って立つ。奪ったのではなく返した。その言葉を、今度は裁判官たちの前で証明しなければならない。
玄関で家令が来客を告げた。差出人不明の索引札を持ってきた人物が、面会を求めているという。
「お名前は」
家令は少し困った顔で答えた。
「聖堂図書館司書、エリス・クローチェ様と」
召喚状の末尾には、出頭時に提出すべき資料の一覧があった。聖約破壊に関する弁明書、保護中の女性たちの身元証明、各家または各国の同意書、医療記録、資金経路の説明。こちらを疲弊させるための要求が、丁寧な箇条書きで並んでいる。
「量で潰す気ですわね」
ミレイユが言う。
「なら量で返します。帳簿は厚いほど殴打力がありますもの」
「殴るの?」
セシリアが驚くと、ミレイユは微笑んだ。
「比喩ですわ。たぶん」
アイリスが真面目に頷き、ノエルが比喩ではない使用例を検討し始める。重い召喚状の前で、ほんの少し笑いが生まれた。私はその笑いに救われる。裁判は怖い。けれど怖いものを前にしても、彼女たちは自分の癖を失っていない。
サフィラは召喚状の王家印を指で示した。
「ここに外務局の副署がありません。王家は私の件を国内問題へ寄せたいのでしょう。国際問題になると、裁判の主導権が揺らぐ」
「つまり、あなたの外交抗議は効いている」
「はい。だからこそ、急いで黙らせに来ます」
セシリアは自分の喉元へ手を置いた。
「黙らせる術式は、私だけではなかったのですね」
「ええ」
私は召喚状を見つめる。セシリアの聖約、アイリスの剣、ノエルの研究、ミレイユの契約、サフィラの指輪。別々の事件だと思っていた鎖が、裁判という名で一つの輪になり始めている。
だからこそ、エリス・クローチェという名が告げられた時、私は直感した。教会の内側に、輪の継ぎ目を知る者がいる。
「通して」
私が言うと、家令は深く頷いた。
壁際のユーリアが、初めて空席の椅子に手を置く。座りはしない。ただ、そこに手を置いた。
「教会の司書なら、罠の可能性があります」
「分かっているわ」
「それでも会うのですね」
「ええ。裁判の扉が開いたなら、こちらも記録の扉を開ける」
ユーリアは短く頷いた。その指が椅子の背から離れるまで、私は何も言わなかった。彼女の選択も、少しずつこちらへ近づいている。
エリスを待つあいだ、誰も席を立たなかった。召喚状、名簿、帳簿、指輪の写し、索引札。長卓は証拠で埋まり、朝食の皿を置く場所もない。
「サロンというより作戦室ですわね」
ミレイユが言う。
「作戦室に紅茶は出るの?」
セシリアが尋ねると、サフィラが真面目に答える。
「外交会議では出ます。ただし、もっと苦いです」
「では、ここは勝っていますわ」
ミレイユが茶を注ぎ直す。そんなやり取りを聞きながら、私は召喚状の白い紙をもう一度見た。怖い。とても怖い。彼女たちを巻き込んだ責任が、胸の奥で重くなる。
その時、アイリスが静かに言った。
「レティシア様。私たちは巻き込まれたのではありません。席を選びました」
「そう」
ノエルが眠そうに続ける。
「観察結果。全員、かなり頑固」
サフィラが微笑み、セシリアが頷き、ミレイユが当然ですわと言う。
私は笑ってしまった。泣きそうになるのを誤魔化す笑いだったかもしれない。けれど、その笑いで息ができた。裁判へ向かう前に、私は一人ではないと何度でも確認する必要がある。
扉の向こうで足音が止まる。まだ見ぬ司書の気配は、紙と埃の匂いを連れていた。
家令が扉を開ける前、セシリアがそっと私の手に触れた。
「怖いですか」
「怖いわ」
「私もです」
彼女はそう言って、それでも手を離さなかった。アイリスが背後へ立ち、ノエルが薄紙を束ね、ミレイユが帳簿を閉じ、サフィラが外交文書の革筒を抱える。ユーリアは扉の影を見ている。
この光景を、私は忘れない。裁判の召喚状は私たちを震えさせた。けれど震えたまま、誰も卓を離れなかった。
「通して」
もう一度そう言うと、家令は扉を開けた。
白い髪の司書が、古い本の匂いをまとって立っていた。彼女の眼鏡の奥の目は、こちらを信じていない。だからこそ、真実を持っている目だった。
白い髪の司書は、入室してすぐ礼をした。優雅ではなく、最短距離で義務を済ませる礼だった。
「エリス・クローチェです。あなた方を信じて来たわけではありません」
「では、なぜ」
「聖約裁判で負けられると、困るからです」
皮肉な声。けれど彼女の腕には、古い索引簿が抱えられている。
召喚状、索引札、そして司書。第六の椅子はまだ遠い。だが裁判へ続く扉は、確かに開いた。
召喚状の白が、長卓の上で冷たく光る。次の証拠は、教会の内側から歩いて来ようとしていた。
第3章はここで区切りです。お読みいただきありがとうございます。
次章からは禁書司書と侍女の本心へ踏み込んでいきます。




