第59話 略奪令嬢の名簿
王宮へ提出するサロン名簿は、薄い紙一枚では足りなくなった。セシリア、アイリス、ノエル、ミレイユ、サフィラ。名前の横に、保護理由ではなく本人意思の写し番号を付ける。誰が誰を所有しているかではなく、誰が何を選んだかを記録するためだ。
「私の欄、長すぎませんこと?」
ミレイユが覗き込む。
「資金、噂、帳簿、商会交渉。多いわね」
「有能な女は欄を取りますわ」
サフィラが小さく笑う。
「私も外交抗議と国境照会で長くなりそうです」
セシリアは自分の欄を見て、少しだけ胸を押さえた。聖女候補ではなく、療養と本人拒絶の証言者。そこに彼女の名前がある。
「名簿に載るのは、怖いです。でも、隠されるより怖くありません」
その言葉で、提出の意味が決まった。
* * *
名簿を持って王宮記録局へ行くと、廊下の空気はすでに冷たかった。人々は私たちを見ると声を潜める。略奪令嬢。少女を集める悪女。王太子に逆らう危険な公爵令嬢。
悪名が広がっている。王宮が流した噂だけではない。貴族社会そのものが、私たちを分かりやすい怪物にしたがっているのだ。
受付の記録官は名簿を見て眉を上げた。
「保護対象者名簿、ですか」
「いいえ。薔薇のサロン参加者名簿です。本人意思の写し番号を添えています」
「参加者、という呼称は王宮では」
「誘拐対象、より正確です」
ミレイユが扇の陰で笑った。記録官は不満そうにしながらも受理印を押す。
その瞬間、背後から別の声がした。
「略奪令嬢の名簿か」
王宮の若い貴族たちが立っていた。笑いを隠さない顔。アイリスが前へ出ようとするのを、私は手で制した。
「そう呼びたいなら、ご自由に」
私は名簿の控えを掲げた。
「ただし、ここにあるのは私が奪った品目ではなく、彼女たちが自分で書いた選択です」
貴族たちは笑った。けれど記録官のペンは止まらない。笑われても、残るものは残る。
帰り道、サフィラが私の横へ並んだ。
「悪名を怖がらないのですか」
「怖いわ」
「そう見えません」
「見せ方の訓練を受けたの」
悪役令嬢として育てられたわけではない。王太子妃候補として、泣かず、怒らず、背筋を伸ばす訓練を受けた。それが今、悪名に耐える姿勢として役立っているのは皮肉だ。
門を出ると、教会代理人が待っていた。白い封筒を両手で持っている。
「レティシア・ヴァルトローゼ様。星冠教会より、聖約裁判への出頭準備に関する通達です」
記録局を出たあと、街の新聞売りがこちらを見つけて声を張った。略奪令嬢、五人目の姫君を屋敷へ。見出しは事実を歪め、けれど人の目を引くように短い。
アイリスが一歩出る。
「黙らせるか」
「剣で?」
「……声で」
「ありがとう。でも、今は買いましょう」
ミレイユが新聞を数部買い、紙面を広げた。
「語彙はひどいですが、流通経路は見えます。昨日の夜会にいた記者が混じっていますわね。王宮発だけでなく、教会側の筆も入っています」
サフィラは自分の名が姫君と書かれている箇所を見て、静かに眉を寄せた。
「王女ではなく姫君。責任を負う者ではなく、攫われる飾りとして扱いたいのでしょう」
「訂正文を出す?」
「出します。ただし怒りではなく、正式な抗議として」
彼女は新聞を畳み、自分の鞄へ入れた。傷ついた証拠を自分で持つ手つきだった。
セシリアも一部を受け取った。
「私も読みます。怖い言葉でも、知らないままだとまた喉を塞がれそうで」
重い空気になりかけたところで、ノエルがぽつりと言った。
「見出し、長い。読みにくい」
ミレイユが吹き出し、アイリスまで口元を緩めた。笑って消える傷ではない。けれど笑えないまま抱えるより、少しだけ軽くなる。
私は新聞の見出しを見つめた。略奪令嬢。そう呼ばれることが怖い。でも、その悪名の下に彼女たちの同意を埋めさせない。名簿はそのための杭だ。
教会代理人から白い封筒を受け取る時、セシリアの手が震えた。代理人の法衣、星冠の刺繍、封蝋の匂い。そのすべてが、彼女をかつての聖約へ戻そうとする。
私は代わりに受け取ろうとして、止めた。
「セシリア、どうする?」
彼女は封筒を見つめ、それから小さく息を吸った。
「一緒に持ってください」
「ええ」
私たちは二人で封筒を受け取った。重さは紙一枚分なのに、彼女の指先は冷たい。
教会代理人は不満そうだった。聖女候補が自分で選んだ補助を、彼らはわがままと呼びたがる。
「聖女候補殿には、教会へ戻る道もございます」
セシリアは震えながらも顔を上げた。
「戻るかどうかは、私が考えます。今は、ここで読みます」
代理人の目が細くなる。だが周囲には記録局の者も、新聞売りも、王宮の使者もいる。彼はそれ以上言えなかった。
名簿は悪名を広げた。同時に、彼女たちが人前で自分の意思を示す足場にもなった。私はその両方を引き受ける覚悟を、封筒の冷たさと一緒に握った。
帰りの馬車で、私は名簿の控えを膝に置いた。五人の名前が並ぶ紙は、守るべきものの一覧ではない。私が彼女たちに選ばれた重さの一覧でもある。
「重そうですわね」
ミレイユが言う。
「重いわ」
「分けましょうか」
サフィラが自然に手を伸ばした。セシリアも、アイリスも、ノエルも、それぞれ控えを一枚ずつ持つ。
紙の重さは変わらない。けれど私の膝からは消えた。
「あなた一人の悪名にしません」
サフィラが言った。
「私たちの名前も、私たちで持ちます」
その言葉に、私は何も返せなかった。救ったつもりでいた人たちは、もう私の荷物を分けて持とうとしている。
教会代理人が去ったあと、ノエルが封筒の蝋を眺めた。
「教会印、前より深い。正式手続きに近い」
「次は本当に召喚状ね」
私が言うと、セシリアの指が震えた。サフィラがそっと彼女の横へ座る。
「私も怖いです」
「サフィラ様も?」
「ええ。だから、怖い同士で読みましょう」
二人は封筒を挟んで並んだ。聖女候補と王女。違う鎖を持つ二人が、同じ怖さの前で肩を寄せる。その姿を見て、名簿はただの紙ではなく、関係の始まりでもあるのだと思った。
馬車の揺れの中で、セシリアは封筒に触れたまま祈らなかった。祈りたいからではなく、怖さをごまかすために祈るのは違うと知っているからだ。サフィラもまた、王女の微笑みで隠さなかった。二人の沈黙は弱さではなく、次に読むための息継ぎだった。
準備ではなく、もう召喚の匂いがした。名簿を出したその日に、教会が動いた。
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