表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/105

第57話 五つの席と一つの影

 長卓に五つ目の席が置かれた朝、王都邸の食堂は少し狭くなった。セシリアの祈りの香り、アイリスの剣帯、ノエルの散らした薄紙、ミレイユの帳簿、サフィラの青い外套。それぞれの生活が、同じ卓の上でぶつからないよう場所を探している。


「席札が必要ですわね」


 ミレイユが言う。


「順番を決めるの?」


 セシリアが不安そうに尋ねると、ミレイユは首を振った。


「違います。座りたい場所を変えたい日もあるでしょう。だから席札は固定ではなく、本人が置く形に」


 サフィラが微笑む。


「王宮の席次表より、ずっと贅沢です」


 アイリスは私の背後に立ちたがったが、セシリアに椅子を引かれて渋々座った。ノエルは半分眠りながら、私の隣の空席を見ている。


 そこには誰も座っていない。ユーリアは壁際に立ったままだ。


「ユーリア」


 私が呼ぶと、彼女はいつもの無表情で答えた。


「護衛中です」


「朝食中でもあるわ」


「私は後ほど」


 五つの席と、一つの影。彼女だけがまだ、自分の場所を任務の外に置けないでいる。私は椅子を引きたい衝動を抑えた。待つことも、選択を尊重することだ。


* * *


 食後、教会からの通達を開いた。聖約裁判準備。まだ正式な召喚状ではないが、王家と教会が共同で証拠収集を始めるという内容だった。私が聖約を破壊し、女性たちを誘導している疑い。


 セシリアは青ざめた。アイリスは剣へ手を伸ばし、ノエルは通達の術式癖を観察し、ミレイユは費用の流れを読み、サフィラは外交文としての危険を指摘する。五人の反応が同時に卓へ落ちた。


「怖いなら、ここを離れてもいい」


 私が言うと、五人がほぼ同時にこちらを見た。


「嫌です」


 最初に言ったのはセシリアだった。


「私はここで祈ります」


「私は守る」


 アイリスが続く。


「私は証明する」


 ノエルが薄紙を掲げる。


「私は資金と噂を回します」


 ミレイユが笑う。


「私は外交文書を書きます」


 サフィラの声は静かだった。


 胸が熱くなり、同時に怖くなる。彼女たちの選択を受け止める責任は、甘いだけでは済まない。


 その時、玄関から差出人不明の小さな封筒が届いた。中には索引札が一枚。聖堂図書館の蔵書番号と、短い一文が書かれている。


 聖約は、原本を見るまで信じるな。


 ユーリアが札を見て、わずかに目を細めた。


「教会内部の者です」


 朝食の途中、サフィラは席札を何度も眺めていた。王宮では席は上下を示すものだった。ここでは、今日は誰の隣で茶を飲みたいかを示すものになる。その違いを、彼女はまだ信じきれないようだった。


「私は、レティシア様の隣に置いても?」


「もちろん」


「外交上、問題は」


「この卓では、あなたが座りたい場所が先よ」


 サフィラは慎重に席札を置いた。するとセシリアが反対側へ自分の札を置き、アイリスが少しだけ不満そうに眉を寄せる。ノエルはその反応を観察記録に書き、ミレイユは笑顔で外堀を埋めるように、明日は私の隣を予約してもよろしいかしらと言った。


 甘い騒ぎに、私は手袋の指先を直す。照れている場合ではないのに、耳が熱い。


 サフィラが小声で尋ねた。


「これが、嫉妬ですか」


「たぶん」


「怖くないのですね」


「怖くならないよう、皆が気をつけてくれているの」


 嫉妬は所有に変われば鎖になる。けれど、相手を見たい、隣にいたいという気持ちをすべて禁じれば、恋まで痩せてしまう。ここでは、その危うさを笑いと約束で扱っていかなければならない。


 壁際のユーリアは、その甘い騒ぎを見ているだけだった。目を逸らさないのに、近づかない。彼女の影が床に長く伸び、空席の脚に触れて止まる。私はその影を見て、いつか彼女自身が席を選ぶ日を待とうと思った。


 差出人不明の索引札を見たサフィラは、外交文書と同じ慎重さで紙質を確かめた。


「国境便ではありません。聖都から王都へ来る巡礼路の紙です」


 ミレイユが頷く。


「巡礼路なら商隊も通ります。差出人を完全に隠す気はないのかもしれません」


 ノエルは蔵書番号の端をなぞった。


「禁書棚。普通の司書は触れない」


 セシリアが不安そうに手を組む。


「教会の中に、そんな危ないことをしてまで知らせてくれる人が」


「危ないからこそ、短い言葉しか送れなかったのでしょう」


 私は索引札を封筒へ戻した。エリス・クローチェ。原作では皮肉屋の禁書司書で、真実を知っても誰も救わないと笑っていた少女。まだ会ってもいない彼女の影が、卓の上へ落ちている。


 ユーリアが静かに言った。


「罠なら、サロンの情報を教会へ渡す経路になります」


「分かっている。でも、原本という言葉は無視できない」


 五つの席が埋まり、一つの影が見守る卓に、まだ見ぬ司書の索引札が置かれた。サロン成立の甘さは、すでに裁判の冷たさへ接続されている。


 昼近く、サロンの仮名簿へサフィラの名を加えた。王女の称号をどこまで書くかで、少し揉めた。


「全部書くと外交文書になりますわ」


 ミレイユが言う。


「省くと、王女としての責任を隠したように見えます」


 サフィラが返す。


 結局、名前の横にレーヴェ王国王女、ただし滞在は本人意思による、と記した。肩書きを消さず、肩書きだけにしない。その一行を書くのに、紅茶が一杯冷めた。


 私はその冷めた紅茶を飲み、苦さに顔をしかめる。サフィラが小さく笑った。


「外交文書の味です」


「あまりおいしくないわ」


「だから、蜂蜜が必要なのです」


 セシリアがすぐ蜂蜜を差し出し、また卓が少しだけ甘くなった。


 午後、ユーリアのための席札も一枚作った。本人に渡すと、彼女はしばらく黙ってそれを見ていた。


「不要です」


「今はそうでも、必要になった時に探すのは面倒でしょう」


「私は座らないかもしれません」


「それでもいい。席があることと、座ることは別だから」


 ユーリアは席札を返さなかった。胸元へしまいもしない。ただ、長卓の端へそっと置いた。その距離が、今の彼女の精一杯だと分かった。五つの席と一つの影。その影にも、名前だけは用意された。


 私はその席札を、誰にも片づけさせなかった。朝食が終わり、議事録が積まれ、索引札が届いても、長卓の端にはユーリアの名が残る。本人がまだ影を選ぶならそれでいい。けれど影のための灯りは、消さずに置いておきたかった。


 まだ知らない誰かが、次の扉の向こうで静かにこちらを見ていた。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ