第53話 青銀の夜会
青銀夜会の広間は、サフィラの髪色に合わせたように飾られていた。青い絹、銀の燭台、レーヴェ王国の小さな旗。美しい歓迎の形をした檻だ。
私はミレイユと並んで入場した。彼女は笑顔を戻しているが、扇の陰で周囲の金の流れを数えるように視線を走らせている。アイリスは護衛として壁際に立ち、ノエルは眠そうな顔で指輪の術式を記憶していた。
サフィラは玉座に近い席へ座らされていた。王太子ユリウスが隣に立つ。その距離が、まだ成立していない婚約を既成事実へ近づけている。
楽団が止まった。外務局長が進み出る。
「レーヴェ王国王女サフィラ殿下の安全確保のため、今宵より王宮内での保護を強化いたします」
言葉は保護。配置は拘束。
外務官がサフィラの椅子へ近づく。彼女は立ち上がろうとして、指輪の痛みに顔を歪めた。
私は一歩踏み出す。王宮の視線が一斉に集まる。
「保護の根拠文書を拝見しても?」
ユリウスが冷たく言う。
「君に関係はない」
「本人の意思を確認しない保護なら、関係があります」
広間がざわめく。略奪令嬢がまた王家へ逆らう。そんな期待と侮蔑が混じった音だった。
サフィラがこちらを見る。青い瞳に恐怖がある。けれどその奥に、昨日の噴水回廊で選んだ言葉が残っている。
「サフィラ王女」
私は呼んだ。
「あなたは、今夜から王宮の保護下へ移りたい?」
指輪が強く光った。サフィラの喉が詰まる。痛みで言葉を封じる術式だ。セシリアの時と同じ怒りが、私の中で燃えた。
* * *
サフィラは声を出せないまま、手袋を外した。広間が息をのむ。王女が人前で手袋を外すのは、礼を崩す行為だ。だが彼女は構わず、指輪を見せた。
青い石の周囲に、赤い線が浮く。本人の拒絶に反応している。
私は手首を押さえた。破約の薔薇が痛む。まだ壊せない。国際聖約の構造が複雑すぎる。だが痛みは、彼女が本心で拒んでいる証拠だ。
「痛みが出ています。聖堂医師を」
「外交の席で騒ぐな」
ユリウスの声が強くなる。
その瞬間、サフィラは痛みに耐え、私の名を呼んだ。
「レティシア様」
たった一言。けれど広間には十分だった。王太子ではなく、外務局でもなく、私を呼ぶ。攫ってほしいと願った相手の名を、公衆の前で。
私は彼女へ近づいた。衛兵が前に出る。アイリスの手が剣柄に触れるが、まだ抜かない。
「本人が医療確認を求めています。妨げるなら、その妨害も記録して」
ミレイユが記録官へ紙を差し出す。ノエルは指輪の発光を観察し、短く呟く。
「拒絶反応。強い」
サフィラは私の手を取った。指先は冷たい。
「私は、歩きます」
声は掠れていた。それでも彼女は自分の足で椅子から離れた。
外務局長が叫ぶ。
「王女殿下の移送を妨害するな」
移送。ついに保護という仮面が剥がれた。
広間の全員が聞いたその言葉を、ミレイユが素早く書き留める。サフィラは痛みをこらえながら、私の手を離さなかった。
広間のざわめきの中で、私は王太子の表情を観察した。怒りより先に苛立ちがある。思い通りの手順が崩れることへの苛立ち。セシリアの時もそうだった。彼は少女たちの悲鳴より、自分の段取りが乱れることを嫌う。
「レティシア。君はまた、本人の一時的な不安を利用している」
「一時的かどうかを、なぜあなたが決めるの」
「彼女は王女だ。個人の感情で国を揺らせない」
サフィラの手が震える。私は彼女の前へ出そうになる足を止めた。彼女は王女だ。だからこそ、自分の国を語る権利は彼女にある。
サフィラは私の手を握ったまま、王太子へ向き直る。
「殿下。国は揺れます。けれど、私を黙らせて作る静けさを平和と呼ばないでください」
広間が凍った。外交文書には載らない言葉が、夜会の中央へ落ちた。
ユリウスの顔がわずかに歪む。
「その言葉を誰に教わった」
「痛みが教えてくれました」
青い指輪がまた光り、サフィラは息を詰める。セシリアが人垣を割って近づき、祈りの布を差し出した。
「少しだけ、喉に」
王女と聖女候補。王家に並べられるはずだった二人が、王太子の前で互いを支える。私はその光景だけで、今夜ここへ来た意味があると思った。
アイリスは剣を抜かずに衛兵の前へ立ち、ミレイユは移送という失言を三人の記録官へ聞こえるよう反復し、ノエルは指輪の発光周期を数える。甘いだけの集まりなら、この夜会で潰されていた。彼女たちはもう、互いの自由を守るために動ける。
夜会の端で、ミレイユはひそかに二種類の紙を配っていた。一つは夜会の式次第。もう一つは、本人意思確認を求める短い質問状だ。貴族たちは扇の陰で読み、外務局の顔色をうかがう。広間の空気が少しずつ割れていく。
「あなた、いつの間に」
「夜会は噂の市場ですもの。品出しは早いほうが勝ちます」
ミレイユは涼しい顔で答えた。
その横でノエルは、指輪の発光を壁の燭台の反射に紛れさせて記録している。アイリスは衛兵の利き足を見て、踏み込む距離を測っていた。セシリアはサフィラの喉を心配しながら、自分がかつて痛みに言葉を封じられた時のことを思い出している顔だった。
この全員がいなければ、私は感情だけで王太子へ噛みついていたかもしれない。いまの私は、一人で悪役令嬢として立っているのではない。五人の選択と、一人の影の見守りを背にしている。
サフィラが私の名を呼んだ時、広間の視線は私へ集まった。けれど私は知っている。その声を支えたのは、この夜会の隅々で彼女たちが張った細い糸だった。
サフィラが椅子から離れた瞬間、レーヴェ側の従者が前へ出かけた。止めるためではなく、支えるために見えた。だが外務局の視線を受け、彼は足を止める。
サフィラはその迷いを見た。痛みの中でも、見逃さなかった。
「来なくていいわ」
従者の顔が強張る。
「でも、見ていなさい。私が自分で歩くところを」
その命令は冷たくなかった。彼にもう一度証人になる機会を与える声だった。
彼は深く頭を下げ、後ろへ下がる。裏切りの線はまだ消えない。けれどサフィラは、その線を即座に断ち切らず、自分の歩みの証人へ変えた。
控室へ向かう廊下で、サフィラは一度だけ足を止めた。広間の視線から離れた途端、膝が震えたのだ。
「歩けます」
「ええ」
私は支えず、隣で待った。彼女は壁に手をつき、深呼吸を二回してからまた歩き出す。
「公衆の前で名を呼ぶのは、怖かったです」
「呼んでくれてありがとう」
「お礼を言われると、また呼びたくなります」
冗談めいた声に、私は耳が熱くなった。重い夜の中で、その熱だけが少し救いだった。
その夜、青銀の飾りは歓迎ではなく証言になった。
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