第48.5話 商会令嬢の赤字な贈り物
ミレイユに誘われた先は宝飾店ではなく、王都の裏通りにある小さな織物屋だった。
店先の看板は日に焼け、窓辺には色違いのリボンが束で吊られている。
商会令嬢の買い物にしては質素だと思った瞬間、ミレイユが笑った。
「高いものなら、あなたは受け取る前に理由を三つ確認するでしょう」
「確認するわね」
「だから今日は、安くて面倒なものを選びに来たの」
面倒な贈り物とは何か。
そう尋ねる前に、彼女は店主へ挨拶し、仕入れの帳面を開かせた。
品物を買うはずが、先に原価と職人の工賃を見ている。
ミレイユらしい。
彼女は恋や親切にも、つい勘定の入口を作る。
それは冷たいからではない。
値札を知らずに手を伸ばす怖さを、誰より知っているからだ。
「レティシア。あなた、手袋を酷使しすぎ」
「破約の薔薇を使うと、どうしてもね」
「だから替えを贈る。けれど公爵家御用達の手袋では、あなたは公務に使って終わりにするでしょう」
ミレイユは棚から深紅の細いリボンを取った。
私の白手袋の手首に当てる。
「これは?」
「縫い目の補強。小さな薔薇の刺繍を入れて、ほどけにくくするの。見栄えは少しだけ華やか、実用はかなり高い」
「採算は」
「赤字」
即答だった。
店主が苦笑する。
ミレイユは赤字という言葉を、まるで勝利宣言のように口にした。
「私の商会で扱うなら利益を乗せる。でも今日は私個人の贈り物。あなたが受け取れる値段まで下げて、職人には正規の工賃を払う。差額は私の勉強代」
「それは贈り物ではなく、商売の訓練では?」
「そう言えば、あなたは受け取りやすいでしょう」
私は反論に詰まった。
ミレイユはいつも笑顔で外堀を埋める。
相手が逃げ込むための橋まで用意して、その先で待っている。
ずるい人だ。
けれど、彼女のずるさは私を困らせるためではない。
受け取ることに慣れていない私へ、受け取り方を作ってくれている。
織物屋の奥から、職人の娘が古い木箱を持ってきた。
中には半端な糸が色ごとに収められている。
ミレイユはその一つ一つを指で確かめ、私の手袋に合う白と薔薇色を選んだ。
「あなたは派手な贈り物を警戒する。安すぎる贈り物も、相手に無理をさせたと思って警戒する。だから、工程を全部見せる」
「私の警戒まで見積もられているのね」
「もちろん。好きな人への贈り物で、需要調査を怠る商人はいないわ」
店内の空気が一瞬止まった。
店主は帳面に顔を伏せ、職人の娘は糸箱を抱えてにこにこしている。
私は耳が熱くなるのを感じた。
「ミレイユ」
「はいはい、今のは商人の一般論です」
「一般論で私を見ないで」
口にしてから、自分で驚いた。
彼女も驚いていた。
赤茶の髪の下で、笑みが少しほどける。
「では、あなた個人として言うわ」
私は白手袋を外し、彼女へ差し出した。
「嬉しい。けれど差額は半分持たせて」
「贈り物にならないじゃない」
「あなたの赤字を、私が知らないまま受け取る方が落ち着かないの」
ミレイユはしばらく私を見た。
それから帳面の余白に、きっちり半分の額を書き込む。
「では共同出資。名目は、薔薇のサロン備品耐久試験」
「名目が急に硬いわ」
「照れているから」
正直に言われると、こちらまで黙るしかない。
リボンと糸が包まれ、手袋は一晩預けることになった。
店を出るころには、夕方の市場に焼き菓子の匂いが広がっていた。
ミレイユは小さな紙袋を二つ買い、一つを私へ渡した。
「これは黒字?」
「大赤字。あなたと歩く時間を買うには安すぎるもの」
私は紙袋を受け取った。
甘い菓子の熱が掌に伝わる。
彼女が損得を捨てたのではない。
損をすると分かった上で、笑って選んだのだ。
その贈り物を、私は今度こそ疑わずに受け取った。
翌朝戻った手袋には、手首の内側に小さな薔薇が縫われていた。
表からは見えない。
けれど力を使うたび、私だけが指先で確かめられる場所だった。
ミレイユは得意げに笑う。
「秘密の価値は高いのよ」
私はその秘密を、値段をつけずに大事にした。
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