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第40話 危険人物という告発

 王宮からの告発準備書は、夕刻に届いた。


 まだ正式な告発ではない。


 だが紙の厚さと封蝋の重さだけで、王太子の怒りが分かった。


 危険な存在。


 書面の中央に、その言葉が置かれている。


 ヴァルトローゼ公爵令嬢レティシアは、聖女候補、近衛騎士、魔導令嬢を相次いで自邸へ引き入れ、婚約秩序と王家の管理を乱している。


 私は一文ずつ読んだ。


 セシリアは隣で青ざめている。


 アイリスは怒りをこらえ、拳を握る。


 ノエルは帳面を開き、告発文の論理不備を数え始めた。


 ユーリアは扉のそばで外の気配を聞いている。


「危険人物、という分類は曖昧」


 ノエルが言う。


「危険対象は王家の支配手順。本人への危険ではない」


「王家から見れば十分危険でしょうね」


 私は苦笑する。


 悪役令嬢。


 略奪令嬢。


 その分類。


 名が増えるたび、自分の輪郭が外から塗りつぶされそうになる。


 けれど机の上には、こちらの記録も積まれていた。


 セシリアの拒絶記録。


 アイリスの叙任証と古い剣帯。


 ノエルの余白の花弁。


 そしてミレイユから届いた赤い手紙の控え。


 噂を買った証拠は、もう一通増えていた。


 夕方の便で届いた追伸には、王都で噂を流した者の経路が記されている。


 王宮の外郭役人。


 ヴェルナー家の使い。


 アシュフォード家の書記。


 ばらばらに見える名が、王太子周辺で交わっていた。


 ミレイユは最後にこう書いていた。


 値のつく噂には買い手がいます。今回の買い手は王宮ですわ。


 私は赤い手紙を告発準備書の横へ置いた。


「ミレイユ様の情報網が、もう役に立っています」


 セシリアが小さく頷く。


「まだお会いしていないのに」


「会う前から請求書が来そうです」


 アイリスが真面目に言う。


「護衛を増やすべきです。噂が実力行使へ変わる前に」


「同意します」


 ユーリアの声が重なる。


 二人の護衛が同じ結論へ達するのは心強い。


 同時に、包囲が本物になっている証でもある。


 私は告発準備書をもう一度読む。


 危険人物。


 確かに、私は危険なのだろう。


 誰かを所有物として数える人たちにとっては。


「怖いですか」


 セシリアがそっと聞いた。


 私は答えに迷う。


 怖い。


 王家も教会も、貴族社会の噂も怖い。


 自分のせいで三人がさらに危険にさらされることが、一番怖い。


 でもここで否定すれば、また強いふりになる。


「怖いです」


 私は正直に言った。


「けれど、戻す方がもっと怖い」


 セシリアの手が私の手へ重なる。


「戻りません」


 アイリスが反対側に立つ。


「剣はここにあります」


 ノエルが帳面を閉じる。


「研究資料も、私も、ここにいる」


 ユーリアは少し遅れて言った。


「外周は私が見ます」


 その言葉はいつもの任務報告の形をしている。


 でも今日は、ほんの少しだけ違う。


 含めない方が安全ですと言った彼女が、自分からここを守ると言っている。


 私は胸の奥が熱くなった。


「名簿に添える返答を書きます」


 私は新しい紙を広げる。


「三名はいずれも本人意思により滞在中。王家の求めに応じ、保護理由と同意記録を提出する。ただし身柄引き渡しには応じない」


 ノエルが即座に言う。


「危険人物指定への反論も」


「書きます」


 私はペンを取った。


「危険なのは、本人意思を確認せず婚約秩序の名で身柄と成果を管理する制度である、と」


 アイリスが小さく笑った。


「強い返答です」


「悪役令嬢ですから」


 セシリアが微笑む。


 その笑顔が、最初に舞踏会で震えていた少女と同じ人だと思えないほど柔らかい。


 告発準備書の最後には、王太子の署名があった。


 ユリウス・クラウンハルト。


 彼はまだ、自分が物語の中心だと思っている。


 けれどこの屋敷にはもう、彼の筋書きから降りた少女たちがいる。


 そして赤い手紙の末尾には、次の面会の日時が勝手に指定されていた。


 明後日の午後、ローゼン商会の別邸。


 お茶と噂と請求書をご用意しております。


 私は思わず笑ってしまった。


 危険人物という告発の横で、次の救出対象が優雅に手招きしている。


 薔薇のサロンは、まだ小さい。


 けれどもう、王宮の告発文一枚で閉じられる場所ではなかった。


 返答文を書き終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 窓に映る私の顔は、悪役令嬢らしく冷たく見える。


 内側では、怖さで胃が重い。


 でも三人が同じ部屋にいる。


 それだけで、逃げる理由より立つ理由の方が多くなる。


 セシリアが封筒へ祈りの小さな保護印を押す。


「これは命令を弾くものではありません。読んだ人が、少しだけ乱暴な気持ちになりにくくなるものです」


「十分ありがたいです」


 アイリスは返答を運ぶ使者の護衛配置を確認する。


「帰路まで見ます。途中で差し替えられる可能性があります」


 ノエルは赤い手紙と告発文を並べ、噂の経路図を作っていた。


「買い手が王宮なら、売り手はさらにいる。ミレイユは売り手側へ近い」


「近いから危険ですか」


「近いから有用。危険でもある」


 次の出会いの輪郭が見える。


 ミレイユはただ助けを待つ少女ではない。


 こちらの危険を値踏みしながら、自分の危険も隠しているはずだ。


 ユーリアが封筒を受け取った。


「私が届けます」


「危険です」


「だからです」


 いつもならそこで終わる。


 でも今日は、私はもう一言だけ足した。


「戻ってきてください」


 ユーリアの目がかすかに揺れる。


 命令ではない。


 帰る場所を示す言葉。


「承知しました」


 彼女はそう答えた後、ほんの少しだけ声を低くした。


「戻ります」


 その違いに、セシリアが微笑む。


 アイリスも頷く。


 ノエルは重要と書き込んでいる。


 私は笑いそうになりながら、告発準備書を閉じた。


 王太子が危険人物と呼ぶなら、受けて立つ。


 ただしその危険は、誰かの自由を奪う危険ではない。


 奪われた自由を返す危険だ。


 攻略対象の男たちが、名誉や恋の名で閉じ込めた婚約者を、私は一人ずつ本人へ返している。


 翌日、ミレイユに会いに行く準備を始める。


 薔薇のサロンの次の扉は、赤い封蝋の向こうにある。


 ユーリアが返答文を届けに出た後、部屋は妙に静かになった。


 彼女が消えることに慣れていたはずなのに、今日は空いた場所がはっきり見える。


 セシリアがその場所へ茶を置いた。


「戻られた時に、冷めていてもある方がいいと思って」


 アイリスは窓の外を見張りながら頷く。


「戻る場所の印になります」


 ノエルは帳面へ、帰還予定と書いた。


 私はその三つの行動を見て、胸が少し軽くなる。


 薔薇のサロンは、まだ正式な組織ではない。


 けれど誰かが戻る前提で茶を置く場所にはなった。


 王太子の告発文には、そんなことは一文字も書かれないだろう。


 だからこちらで書き残す。


 誰が来て、何を選び、どこへ帰ってきたか。


 危険人物の記録ではなく、自由を取り戻す少女たちの記録として。


第2章はここで区切りです。お読みいただきありがとうございます。

次章からは商会令嬢と囚われ王女の物語が動き出します。

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