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第38話 護衛と聖女と観察記録

 庭の薔薇は、朝の光を受けても赤すぎるほど赤かった。


 ユーリアはその前に立ち、外壁の向こうを見ていた。


 いつもの無表情。


 いつもの姿勢。


 けれど私は、彼女が食卓から離れた理由を知りたいと思った。


「朝食を取っていませんね」


 声をかけると、ユーリアは振り向かずに答える。


「任務中です」


「任務は食事を禁じません」


「私には不要です」


 また不要。


 その言葉を使う人が、私の周りには多すぎる。


 感情は不要。


 盾は物。


 聖女は拒まない。


 そして侍女は食卓に座らない。


 私は彼女の隣へ立った。


「不要かどうかは、私が決めることではありません。でもあなたが消えるように働くのは嫌です」


 ユーリアの横顔がわずかに動く。


「お嬢様には、守るべき方が増えました」


「あなたも含みます」


 沈黙。


 薔薇の葉から朝露が落ちる。


 ユーリアは小さく息を吐いた。


「私は含めない方が安全です」


 その言葉の奥に、王家の影が見えた気がした。


 まだ踏み込むには早い。


 彼女自身が言える時を待たなければ、私もまた別の命令になる。


 屋敷の扉が開き、セシリアが籠を持って出てきた。


 中には小さなサンドイッチと温かい茶の瓶が入っている。


「任務中でも、片手で食べられると思って」


 ユーリアが困った顔をした。


 本当にわずかな変化だ。


 でも私は見逃さなかった。


 アイリスも庭へ来る。


 彼女は外周の足跡を確認しながら、ユーリアの隣に自然に立った。


「北側の塀に新しい靴跡があります。二人分」


「確認済みです」


「共有してください」


「不要かと」


「護衛は共有した方が強い」


 アイリスの言葉に、ユーリアが初めて彼女を見る。


 同じ守る側でも、二人の在り方は違う。


 剣で前へ出るアイリス。


 影で消えるユーリア。


 その違いが、互いの傷を照らすかもしれない。


 ノエルは寝間着の上に外套を羽織って現れた。


 手には小さな帳面がある。


「護衛と聖女と観察記録。朝の関係性変化、非常に興味深い」


「寝ていてください」


 私が言うと、彼女は帳面を閉じない。


「寝ながらだと字が歪む」


「だから寝てください」


 セシリアが笑い、アイリスが真顔で頷く。


 ユーリアの口元が、ほんの少し緩んだ。


 その一瞬で十分だった。


 この庭にも、彼女の席を作れるかもしれない。


 甘い空気を破ったのは、門番の報告だった。


 王宮からの使者。


 名簿提出命令。


 ヴァルトローゼ王都邸へ出入りする者の名を、過去七日分すべて提出せよという書状だった。


 セシリアの顔色が変わる。


 アイリスの手が剣へ伸びる。


 ノエルは帳面へ素早く何かを書いた。


 ユーリアは私の前へ半歩出る。


「お嬢様。これは名簿ではなく、包囲の準備です」


「分かっています」


 王家は、ここへ集まった少女たちを一人ずつ取り戻すのではなく、屋敷そのものを問題にするつもりだ。


 聖女候補。


 女騎士。


 魔導令嬢。


 全員が元の婚約や管理から離れ、私の屋敷にいる。


 彼らにとって、私は危険人物に見えるだろう。


 見えるだけなら、まだいい。


 そう呼ばせる準備が始まっている。


「名簿は出します」


 私は言った。


 三人とユーリアが一斉にこちらを見る。


「ただし、保護理由と本人同意を添えます。名前だけを渡せば、王家は人を数にします」


 ノエルが頷く。


「観察記録も添付できる」


「それは内容によります」


「恋愛反応は除外?」


「絶対に除外」


 セシリアが頬を染め、アイリスが小さく咳払いをした。


 緊張の中に小さな笑いが戻った。


 ユーリアは籠からサンドイッチを一つ取り、無言で口へ運ぶ。


 それだけで、私は勝ったような気がした。


 だが門の向こうでは、王宮の使者が返答を待っている。


 朝の庭は甘く、同時に包囲の入口だった。


 名簿提出命令を読んだ後、私たちは応接室へ戻った。


 庭の甘さをそのまま持ち込むには、書状の文面が硬すぎた。


 だが硬い文面ほど、隙を探せる。


 ノエルは告発文ではなく名簿命令の余白へ印をつける。


「出入りした者、という表現が広い。使用人、医師、使者、商人まで含めると王家側の人間も載る」


「それを狙います」


 私は頷いた。


 王家が名簿を求めるなら、王家の使者も名簿に載る。


 教会代理人も、グレアムの使者も、リオネルの使者も。


 数えるという行為は、相手だけを裸にするとは限らない。


 セシリアが本人同意書を整理する。


「わたしの分は、もう怖くありません」


 その声には本当に少しだけ強さがあった。


 アイリスも自分の叙任記録を添える。


「私は、剣を置かない理由を書きます」


 ノエルは余白の花弁を一枚だけ選んだ。


「私は、研究室へ戻らない理由」


 三人の理由が机に並ぶ。


 王家から見れば、私が集めた証拠。


 私から見れば、彼女たちが自分で立てた境界線。


 ユーリアは名簿の警備欄を書いていた。


 筆跡は端正で、必要以上に自分の名を小さくしている。


 私はその小ささに気づいてしまう。


「ユーリア。あなたの名も同じ大きさで」


 彼女の手が止まる。


「私は使用人です」


「使用人の名を小さくする規則はありません」


 しばらくして、彼女は自分の名を書き直した。


 それだけのことに、胸が熱くなる。


 護衛と聖女と観察記録。


 そこに侍女の名も、同じ濃さで並ぶ。


 王家が数えようとするなら、こちらは人として記す。


 名簿は包囲の道具ではなく、居場所の証明に変えられる。


 使者へ渡す名簿には、余計なほど丁寧に理由を添えた。


 王家が読み飛ばしたくなるほど、本人の言葉で埋めるためだ。


 セシリアは戻らない理由を、自分の筆跡で書いた。


 アイリスは剣を置かない理由を、叙任証の写しと共に添えた。


 ノエルは研究室へ戻らない理由を、余白の花弁一枚で示した。


 私はそれらを見て、胸の奥で何かが静かに整うのを感じた。


 ここにいる三人は、私が奪った証ではない。


 自分で選んだ証を持っている。


「お嬢様」


 ユーリアが外から戻った。


「王宮使者の馬車に、別の封筒が隠されています」


「宛先は」


「王太子殿下の私室です」


 名簿の写しを先に彼へ届けるつもりなのだ。


 私は息を吐く。


 包囲は事務手続きの顔をして、もう始まっている。


「では、こちらも写しを残します」


 ノエルが即座に複写陣を描いた。


 アイリスが使者の動線を塞ぎ、セシリアが落ち着いた声で茶を勧める。


 三人の連携はまだ不器用だ。


 けれど不器用なまま、確かに噛み合い始めていた。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

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