第13話 正午の黒い馬車
正午の鐘が鳴る前に、黒い馬車は門の外へ着いた。
星冠教会の白い馬車の隣に並ぶと、薔薇の門前はまるで裁きの入口のようになった。
黒と白。
王家と教会。
どちらもセシリアの名を呼びながら、本人の眠りを待とうとはしない。
私は二階の窓からそれを見下ろし、手袋の指先を整えた。
「王太子殿下を門前で待たせるおつもりですか」
家令の声は静かだった。
「待たせます」
私は答えた。
「ここは王宮ではありません。約束のない来訪者は、身分に関わらず取り次ぎを待つものです」
家令の口元がわずかに動いた。
「かしこまりました」
背後で寝台の布が擦れる。
セシリアが起き上がっていた。顔色はまだ白い。けれど、膝の上に置いた筆記板を手放していない。
「殿下が、来たのですね」
「ええ」
「わたしに、会いに」
「あなたを動かしに来たのよ」
私はあえて言い換えなかった。
優しい言葉で包めば、王太子の圧力まで柔らかく見えてしまう。
セシリアは喉元に触れ、息を吸った。
「会わなければ、また連れ去りと言われますか」
「言われるでしょうね」
「会えば、戻れと言われます」
「それも、言われるでしょうね」
セシリアは目を伏せた。
怖いのだ。
けれど、逃げたいと言わない。
私はその沈黙を、勇気として扱うことにした。
「あなたは寝台から動かない。会うとしても、聖堂医師の同席、学院長への写し、扉を開けた状態。その条件を飲まなければ帰っていただく」
「そんなことが、できますか」
「できます」
私は微笑んだ。
「ここは私の家です」
その言葉を口にしてから、私は家令へ視線を向けた。
「応接室の椅子は三脚だけ。殿下の随員を増やすなら、こちらも記録係を増やします」
「承知いたしました」
「それから、茶は出しても歓待の言葉はいりません。今日は親しい訪問ではなく、条件つきの聴聞です」
家令は深く礼をした。
屋敷の作法が、初めて盾になる。
私はそのことに少しだけ救われた。
* * *
王太子ユリウスは、薔薇の応接室に通された。
窓は開いている。
扉も半分開けてある。
王太子の背後には、聴聞官が記録紙を抱えて控えていた。
廊下には家令、聖堂医師、ユーリアが立ち、奥の階段には学院へ送る写しを持った侍女が控えている。
密室にしない。
それだけで、王太子の眉間に薄い皺が寄った。
「随分な迎えだね、レティシア」
「急なご来訪でしたので、急な迎えになりました」
「僕は王太子だ」
「はい。ですから、王太子殿下としてのご発言はすべて記録いたします」
ユリウスの視線が机の上へ落ちる。
そこには王宮から届いた命令書と、教会から届いた命令書の写しが並んでいた。
黒い手袋の指が、王宮の赤い封蝋に触れる。
「君は、セシリアを使って王家と教会を争わせた」
「いいえ。争っていたものを、紙の上で見えるようにしただけです」
「同じことだ」
「違います。隠していた争いは、セシリア様の体を縄にしました」
その名を出すと、ユリウスの目が細くなる。
「彼女を呼べ」
「お断りします」
「君の屋敷にいるのだろう」
「休息中です」
「僕の婚約者だ」
空気が、硬くなった。
私はゆっくりと息を吐く。
「その言葉を、もう一度記録に残しますか」
「当然だ。聖女候補は王太子の隣に立つために育てられた」
「人は育てられた場所の所有物ではありません」
「綺麗事だ」
ユリウスが立ち上がる。
「君は悪役令嬢として断罪されるはずだった。なのに、聖女候補を連れ去り、王家の聴聞を乱し、教会の命令にも逆らった」
その言い方は整いすぎていた。
舞踏会の夜と同じだ。
怒りより先に、誰かが用意した文章の匂いがする。
私は手袋の内側で、破約の薔薇の痛みを感じた。
「殿下。その断罪の文言は、どなたが整えたものですか」
「何を言っている」
「舞踏会の夜も、今も、あなたの言葉はあまりに早い。証拠より先に罪名がある」
ユリウスの顔から、ほんの一瞬だけ余裕が消えた。
その一瞬を、ユーリアの目が拾った。
* * *
扉の向こうで、小さな声がした。
「レティシア様」
全員が振り向く。
廊下の先、薔薇の客間へ続く扉が開いていた。
セシリアは寝間着の上に薄い掛布をまとい、聖堂医師に支えられて立っている。
私の胸が冷えた。
「動いてはだめよ」
「動きました」
セシリアは弱く笑う。
「自分で、決めました」
その言葉だけで、ユリウスの表情が変わる。
彼は一歩踏み出した。
「セシリア」
セシリアの喉元の聖印が赤く光る。
痛みが来る。
私は駆け寄りそうになり、踏みとどまった。
セシリアが自分で立っている。
ならば、奪ってはいけない。
「殿下」
セシリアは震える声で言った。
「わたしは、今日はここで休みます」
「君は惑わされている」
「惑わされているなら、どうして昨日より息ができますか」
ユリウスが止まった。
その問いは鋭くない。
けれど、逃げ場を塞いだ。
「王宮では、言葉を出すたびに痛みました。ここでは、休みたいと言えます」
「それは、彼女が君にそう言わせているからだ」
「レティシア様は、待ってくれます」
セシリアの目が潤む。
「殿下は、待ってくれませんでした」
王太子の黒い手袋が握られる。
廊下の外で、白い馬車の鈴が鳴った。
風ではない。
誰かが、わざと鳴らした。
王家と教会が、同時にこの家を見ている。
ユリウスはこちらへ視線を戻した。
「明日、正式な聴聞を開く。逃げるなら、今度こそ聖女誘拐として扱う」
「場所は」
「この屋敷だ。君がそこまで自分の家を盾にするなら、その盾の中で裁いてやる」
聴聞官が慌てて書き留める。
裁いてやる。
その一言は、聴聞の中立を自分から壊していた。
私は何も言わず、ただ聴聞官の手元を見た。
消せば、消したことを記録させる。
残せば、王太子自身の言葉になる。
聴聞官の喉が小さく鳴り、羽ペンは紙の上を進んだ。
黒い馬車が去る音がした。
セシリアの膝が崩れる。
今度は私が支えた。
「無理をしましたね」
「はい」
セシリアは私の袖をつかむ。
「でも、待ってくれる人の前なら、立てると知りたかったのです」
その言葉の温度が、手袋越しに痛いほど伝わった。
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