090 ☈ 修行の日々①
目が覚めて起き上がり、目の前のカレンダーを見て、私は大きな溜め息をついていた。
ここに来て何日過ぎたのか、カレンダー以外には解らない。だけどもう、学校では夏休みが始まっている頃だろう。本来であれば補習合宿もあったはず。
それなのに、私は家に戻れるどころか、この森の結界からも抜け出すことが出来ないでいた。
咲九との約束では、自力で結界から出られるようになったら条件付きで携帯を持たせてくれるらしい。
もっとも、元の携帯は家に置いてきてしまっているが、それを咲九が取りに戻れるほどの余裕も(森には)無いらしい。
だから家の番号も親父の携帯の番号も覚えていなかった私にとっては、例え咲九の家に電話が設置されてあっても両親への連絡手段が無かった。
結界は咲九の言う通り、凄く厚くなっていた。
外の様子も解らないくらいで、結界に触れようものなら容易に弾かれてしまう。
もっとも、こんなに厚くても悪鬼ともなれば簡単にすり抜けるらしい。
今日も、既に日課となりつつある森の散歩をする。
今の森は比較的安全らしく、あちらこちらで天狗や烏天狗が飛び交い、私を見つける度に挨拶をされるので、一応返す。それ以外には、特にすれ違う存在は無かった。
しかし、こんな簡単なことでも私にとっては "修業" の一環になるらしい。
神社に戻れば、いつも通りに咲九が掃き掃除をしていた。そんなに掃くモノがあっただろうか、というくらいに砂埃が上がっている中、私は真っ直ぐに咲九に向かう。
咲九は顔を上げるような素振りも見せずに聞く。
「次は何を?」
「瞑想、だろ?」
「当たり。寝ちゃダメだからね?」
念を押されても、私は溜め息しか出せなかった。
そもそも、この家にはテレビが存在しない。
いや、実際にはある。だけどそれには電波を受信するアンテナが無いらしく、点けても何も映し出さなかった。
代わりにゲーム機は充実していたが、その全てにリュウ様独自の結界が張ってあり、蓮ですら迂闊に触ることすら出来ないらしい。
なお、そのリュウ様は同居しているものの、寝る時間以外には殆ど家に帰って来ないのだとか。
現代っ子の私にとっては、それはとても厳しい環境だった。
むしろ、この環境に居続けたらストレスが溜まりそう。
だから何としてでも、一刻も早く、私はこの環境から脱出しなければならなかった。
故に、今は咲九の "修業" をこなして力を付けること以外、考えないようにしてはいる。
咲九の指定した井戸のすぐ脇にある岩の上に普通に腰を下ろし、そこで背筋を伸ばして目を閉じる。
鳥の囀る音 …… 風が木々を揺らす音 …… それらの音に耳を傾け、さも自分がその環境に成ってしまったかのように微動だにしない。
これが咲九の言う瞑想だった。
あまり実感は無かったものの、蓮曰く、私の中にある魔力の蓄えられる量が日々増えてきているらしい。
不意に気配を感じて目を開ければ、目の前の地面の上に1匹の虎猫が座っていた。
虎猫がふわっと欠伸をしている。
だけど、それがただの虎猫ではないことに気付き、私は迷わず睨みつけていた。
『そう怒るなよぉ、邪魔しに来た訳じゃぁねぇんだからよぉ』
そう答えた虎猫は徐に立ち上がり、その場でジャンプして一回転する。そして人間の姿に変化した。
同じ化け猫の蓮とは違い、リュウ様よりも長身の男性。口調を聴く限り馬鹿っぽかったが、見た目はチャラ男の中の真面目君、という感じだろうか。
その虎猫だった男性がしゃがんで金色の目で私を見つめて来る。
―― 金色?ということは …… 。
「お前さんにとっておきの情報を持って来たんだよぉ」
そう言いながら私に手を伸ばす。
が、急激に咲九の気配が近づいて来ていた。
「チッ」
舌打ちして男性が私から離れた瞬時、私の目の前を右から左に何かが駆け抜けて行った。
それを目線で追えば、やがてソレは木にぶつかって大きな凹みを作る。
「ひぃっ?!」
男性はそう答えながらも一回転して虎猫の姿に戻り、更にバク天して家側に張られてある結界のギリギリまで後退していた。
私が右側の奥を見れば、そこには咲九が仁王立ちになっている。
「遠音に変な情報を与えようとしていることは解っていたの。この私が気付かないとでも?」
『いつかは知り得る情報なんだから、別に今だって良いでしょ?』
虎猫が、先程までの口調とは異なる敬語で咲九にそう答えていた。
が、それを咲九は許したくないのか、もう一撃、お見舞い出来る体勢を取っている。
『あーもー! 俺ぁ、』
その後の言葉は、恐らく咲九によって消されていた。
虎猫がワザとらしく溜め息をついていた時も、その言葉はただ息が吐き出されたようにしか私の耳には届いていない。
「テレパシー何て簡単に消せるのよ。解ったら消えなさい」
虎猫は諦めた様子でその場から一瞬にして消え失せた。
残った咲九は私にゆっくりと近づいて来る。
「今のは "情報屋の虎" …… 私よりも昔から情報屋を営んでいる、この森出身の私や蓮の先輩、というところね。もっとも、情報屋としての腕より詐欺師の方が似合っているのだけど」
「…… そいつは私に何を言おうとしていたんだ?」
「教えてあげたいけど、今は瞑想で魔力を蓄えるのが先」
咲九はそう言って私に微笑みかける。
「瞑想の時間を短く出来るようになったら …… 嫌でも解ることよ」
「嫌なこと、なのか?」
「多分ね」
「そうか ……」
私にとって嫌なことでも、何れ解ってしまうことならば、確かに今教えてもらっても良い気はする。
だけど、それを敢えてしないのは、咲九なりの優しさなのではないか …… と最近、そう思うようになっていた。
でも、核心は無い。何となくの域。
「お疲れ」
そんな声が聴こえて来て目をゆっくりと開ければ、私の目の前の縁側に蓮が座っていた。
そのすぐ脇には3色団子が置いてある。
目線で気付いたのか、蓮が仕方なさそうに肩を竦めている。
「お姉さんの分だって、姉さんが」
蓮の言う "姉さん" は咲九のことで、"お姉さん" は私のことらしい。
非常に聞き分けにくくて解りにくい …… のだが、一応世話をしてもらっている身だから今は黙って様子を窺うようにしている。
「餡子は苦手なんだけどなぁ ……」
「入ってない奴ですよ」
「それは良かった」
そう答えつつ私は立ち上がろうとしたものの、どうにも足腰が固まっていて動きにくくなっていた。
ちなみにこの後は仮眠して夕飯後、咲九の知識面の講義が入っている。
そんな予定を思い描いていたら、急に冷たい風が森の方から吹き込んで来たことに気付いた。
思わず身震いして、振り返って森を見る。
「今、気付きましたね?」
蓮はそう言って溜め息をついた。
「凄い勢いで魔力が身に付いていて …… 正直、僕はお姉さんが末恐ろしいです」
「…… 森に何が居るんだ?」
私は蓮のそんな言葉を気にせず訊ねた。
それは、何となくだった。
何となくでも、森が異常過ぎるくらい、静かになっている気がした。
それでいて、森から木々のざわつく音だけが聴こえて来ていて、私の恐怖を余計に煽っている。
蓮は溜め息を再度付いてから答える。
「お姉さんの命を狙う者が放った、強力な悪神が居ます。姉さんとお兄さんが対応中ですね」
「咲九とリュウ様が ……」
しかし、そんな気配は全く伝わっては来ない。
咲九が家の中に居ると思っていただけに、それが無いと知るなり余計に恐怖が湧いた。
「悪神なら、姉さん独りで何とかしてくれますからね」
そう呟いた蓮はまた、溜め息をついていた。
気になって振り返る。
「さっきっから溜め息ばっかりついて。何があった?」
「…… お姉さんには関係の無い話しですよ」
「嘘付け。お前の顔に思いっきり出てるぞ」
「…… そうですね。嘘は良くないです。ですが、優しい嘘もあるんですよ」
蓮はそう答えてから、少し悲しそうな顔をしていた。
「お姉さんは、姉さんのことをどこまで知っていますか?」
ギクリとして、私は黙り込む。
「その様子だと、姉さんの寿命が短いことは、知って居そうですね」
「…… まさか、咲九が魔力を使うともっと短くなる、とか ……?」
小説などでは良く有る話しだけに、そういうことなら蓮が溜め息をつく理由も納得出来た。
だけど、そういうことではないらしい。蓮は笑っていた。
「いえ、そういう理由だったらお兄さんが行かせませんし、そもそもそんな理由なら姉さんが最初から動かないと思いますよ?」
「確かにそういう奴だろうけど ……!」
お前が言うなよ!と思って思い切りツッコミを入れていれば、
「それまでに姉さんの夢は、きっと叶わないだろうなって、そう思っているんですよ」
蓮はそう言ってから溜め息をついていた。思わず首を傾げる。
「夢?」
「えぇ、夢です」
蓮は答え、失笑する。
咲九にも夢があるとは意外だった。
「お姉さんを守護神として、雷神として自立させるという目標は、恐らく叶います。このことは、お姉さんのやる気も関係していますけど、魔力の量もかなり溜まって来ていますからね …… 大丈夫だと思います。だけど、その先にある夢は …… 恐らく間に合いません」
「その夢の内容は?」
「それは、言えません」
蓮は悲しそうにそう答えていた。
「姉さんと僕が契約をした際の条件ですからね …… お姉さんに言えたら気苦労しませんよ」
「それは、オレが頑張れば済む話し …… なのか?」
「いいえ。だから、お姉さんとは無関係なのですよ。ただ …… 強いて言えば、お姉さんが今の特急で成長しても、姉さんの寿命までに自立出来なくても、どちらに転んでも半年以内に "敵" はお姉さんの前に現れますね、間違いなく」
蓮はそう答えてから空を見上げた。
「その敵をこの地界から消すこと …… それが何れ姉さんの夢に繋がります」
「天界にその敵を送るか、ここで殺すかすれば良い、ということか?」
「そういうことですね。しかし、その天界に送る方法、行く方法が解らない、更に殺し方も解らないのだから、どんなに焦ってもダメなんですよ。こればかりは、時間の問題です。だから、時間が無い姉さんの夢は叶えることが出来ない。僕はこのことが、凄く悔しいという訳です」
今思えば、蓮もリュウ様と同じように家に居る時間が少ない気はしていた。
もしかしたら、咲九には黙って2人して天界に行く方法を探しているのかもしれない。
「天界 …… ねぇ」
祖母は天界の空気を知っていた。ということは、祖母は行く方法を知っていた可能性が高い。
昨日の咲九の話しでは、核が前世の記憶を保持している割合は90%と高いらしい。
もしかしたら、私が雷神として目覚めたら、全ての記憶を取り戻せたら、その中に天界への手掛かりがあるのではないか。
「言っておきますが、今すぐにその方法が解ったところで、恐らく天界に行くことは出来ませんよ」
私の心を読んだのか、蓮はそう言って失笑していた。
思わずムキになって反論しようとしたが、それより先に蓮が言葉を続ける。
「その天界は今、本来あるべき場所に存在していないんです。だから "行く方法" が解ってもその方法は使えない」
「…… 待ってくれ。それはどういうことだ??」
私は意味が解らなくて訊ね返していた。
天界は崩壊した、とは前に咲九から聞いている。
だが、天界が本来の場所に無い、とはどういうことなのか。
「天界は …… そうですね、簡単に言えば核や神器と同じ構造なんですよ。詳細を言えばそれらよりもかなり複雑なんですけど …… "ガラスの器" だと思ってくれて良いかもしれませんね。だから、天界が崩壊した時点で粉砕してしまっているんです」
私は何故か窓ガラスを思い浮かべていた。
飛び散った窓ガラスはあちらこちらに落ちている。
「その大半の欠片を持っているのが邪神なんです」
「邪神 ……」
「天界を崩壊に導いた者」
「そして四大神の1人でありながら悪神に堕ちた者」
蓮の言葉のすぐ後に、頭上から咲九のそんな言葉が放たれていた。
私は嫌な予感がしてその場から家側に避ければ、そこに咲九とリュウ様がほぼ同時に舞い降りて来る。
「倒した悪神はやっぱり邪神の分身体だったわ」
「これで確信出来ましたね」
「あぁ」
咲九の言葉の後に蓮、リュウ様が続いた。
そして3人がほぼ同時に、真っ直ぐに私を見つめる。
—— 3人のその目は金色に輝いていた。




