089 ☴(⛩) 未知なる世界
お店の側面の扉から入ると、そこは広々とした1つの空間になっていた。
目で見ることは初めてだったものの、恐らくセットと呼ばれているモノらしい。漫画の世界観を写し出す壁の対面にカメラが設置されてある。
私が見ている間にも、宮本さんはどんどん奥に進んでいた。
そして、スタッフオンリーと書かれた場所をノックする。
しばらくして、黄色い派手なエプロンをした女性 …… と思われる人が出て来た。
「千尋ちゃん、どうしたのよ、もう ……って、あれ? お友達かしら?」
明らかに男性の声だったものの …… その女性は私に近寄って来る。出逢ったことが無いタイプの人間だった。
一瞬は警戒したものの、宮本さんは黙って女性を見つめていた。
信頼しているのか、どこか笑顔のままだった。
なので後退したくなる体を何とか押し留めて、私は真っ直ぐにその女性を見上げた。
何て背の高い人。骨格も男性そのものだし。
「うん、この子 ……」
「レーイ役に良いかなーって思うんだけど?」
「そうねぇ…… でも、ちょっと惜しいっ」
女性はそう言ってから軽くしゃがみ、私の長くなった揉み上げを耳にかけた。
「貴方、お名前は?」
「純 ……」
「純ちゃん、ね。そう …… お化粧とか、興味ある?」
無い訳ではなかった。
今まではずっと隠し続けている感情だけに、私は黙ることしか出来ない。
―― はて、どう答えるべきか。
「ああっ?!」
急に女性が叫ぶ。
私は驚いて思わず身構えてしまっていた。
「そもそも、アタシの紹介がまだだったわ、ごめんなさいね。
アタシはこの店の店主で …… 本名を言うと引かれるから、"店長" と呼んで頂戴ね」
「宜しくお願いします ……?」
呆れながらもそう答える間に、店長さんは奥に居るらしい誰かに大声を出している。
「キサキちゃん! レーイちゃんのコス、用意しておいて頂戴!」
「えー、何事ぉ?」
奥に居るらしいキサキと呼ばれた女性がだるそうに返答をしていた。が、姿は見えない。
そんな間にも店長さんの後ろから宮本さんが笑顔のままやってくる。
『ビックリしたよね。急にごめんね。でも、店長に悪気は無いから許してあげて』
そうテレパシーを使って言われた。
私は黙って何度か頷く。
何が何だか理解出来ていない、が私の答えだった。
目まぐるしく店長さんに宮本さんと共に奥に案内され、セットの奥に居るらしいキサキと呼ばれた人の間に挟まれ、大声で2人が会話をする中、私はただただ、その2人のやりとりを耳にしながら空間を見回し、少しでも理解しようと試みている。
だけど、さっぱり解らない間に物事が進んでゆく。
しばらくして、キサキと呼ばれた女性が私の視界の範囲内に現れた。
それとすれ違いに宮本さんが奥に行ってしまう。
一気に不安に思った私に気付いたのか、キサキさんが私の前にやって来る。
「貴方がレーイちゃん役の子ね?」
「え? えっと、」
周囲を見回しても先程まで傍に居た店長さんすら既に居なくて。
返答に困っているとキサキさんが笑顔になった。
「大丈夫。どうせ千尋ちゃんに連れて来られただけなんでしょう? 貴方は最初から何もしなくて大丈夫。私に任せて。…… あとは、そうね。着替えて写真を撮るのだけど、何か要望はある?」
写真という単語を聞いて、私は頭を大きく横に振る。
が、自分を撮られる、と思い返して答える。
「顔を出すことだけは …… 出来たら避けたいです」
―― もしこんなことをやっていると知られたら貴まで殺されるかもしれない。
だけど、本当にそんな要望を飲んでもらえるのだろうか。まして写真を撮るということは、顔を写さなくては始まらないのではないか。
不安に思っていたらキサキさんは大きく頷いた。
「解った。それなら頭の半分以上を包帯で巻けば良いわ!」
そんな発想があるとは思ってもいなかった。
驚いて目を丸くし、思わずキサキさんを見つめる。
「キャラクターの公式の設定でそういうシーンもあるから大丈夫よ。それとも …… 作品を知らないとか?」
「し、知らないです ……」
少し残念に思いながらも答えれば、
「それなら、あのソファーの近くにその作品の漫画が置いてあるから、雰囲気だけでも掴んで来ると良いわ。まだ撮影まで時間もかかるし」
そう言ってキサキさんに指された先には、確かに赤茶色のソファーが置かれてあった。
その脇には本棚らしきモノがあることまでは、何とか目視出来る。
その間にも、キサキさんは奥に向かいながら宮本さんに声をかけている。
「千尋ちゃんー、今着替えている奴じゃなくて、劇場版の最初の衣装に変更でー!」
「えーっ?! あれだと髪のセットがっ」
「今日は手伝うから、お願い!」
何て会話が聴こえて来る中、私はそんな会話を背にしつつソファーに向かった。
革製のしっかりした製品で2人掛け。
その前の小さめのテーブルには誰かの飲みかけのコーヒーとカバーがかけられた本が開かれ、下向きに置かれてあった。
その脇をスルーし、奥の本棚を覗き込む。
すると、確かに先程から飛び交っている作品らしきタイトルが書かれた背表紙が沢山詰まっていた。どれもこれも同じようなタイトルなのに、若干違っている。
その中でも、先程からキサキさんや宮本さんが言っている "劇場版" と書かれたタイトルの1巻を抜いてみる。
表紙は変なヘルメットを着けた大きな男性(?)と少年が描かれてあった。
キサキさんが奥に行った光景を見て、私はその漫画を手にソファーに腰をかけた。
しばらく様子を窺っていたものの、会話の内容から時間はかなりかかりそうだったので、私はその漫画を読んで呼ばれるまで待つことにした。
―― 確か、漫画というものは刺し絵が主軸の本だったような。
そう感じながらも1ページをめくる。
これが、私にとっては人生初の漫画だった。




