069 ▲ 何も知らない可能性
大会から数週間が経っていた。
真っ白い壁の病院の窓を開ければ、心地良い風が入って来た。
ベッドの上の香穂里が窓の外を見つめる。
「早く退院したいなぁ ……」
「あと1週間の辛抱デショ。我慢しなさい」
私の睨みで香穂里は布団を引っ張り、少し隠れて見せた。
魔力暴走と魔瘴の影響で心身共に衰弱していた私達は、駆け付けた理事長の指示で病院に運ばれ、そのまま入院を余儀なくされた。
その際に、香穂里の身元引受人が居なかったことから私が両親に頼んだところ、親戚という証明を提示して何とか病院側を丸め込んでくれたらしい。
お陰で香穂里は完治するまで入院・安静を強制されることになったが、私はそれで良いと思っていた。
ちなみに、私は数日前に先に退院している。
しかし学校に戻れるほど回復はしていなかったし、そもそも勉強をしていなかったのに戻ってすぐに中間試験というのも厳しいものがあったので、今はこうして香穂里の病室で香穂里を見張りつつ2人で勉強をしている。
あの時の如月さんが千尋と紫に放った言葉を、私も薄らと耳にしていた。
だから今、私は凄く葛藤している。
過去を知らなければ先には進めない。
だけど、過去を知っても清算出来ていないのも意味は無い。
結果は同じ ―― 成長の妨げになっているということ。
千尋も紫も過去に何かしら事件があって成長出来ていないらしい。
でも、このことは香穂里にも言えることなのではないか。
香穂里は過去を知らない。
過去を知ったとしても清算出来る保証はどこにもない。
ましてや、このことで過去の入院時と同じ魔力暴走を引き起こしかねない、のかもしれない。
だから下手には伝えていなかった。
でも、もしもこの所為で神様の成長の、神様の記憶を呼び起こす妨げになっているのであれば、それは重大な私の判断ミスなのではなかろうか、と。
そう …… そもそも、香穂里は私に何も話してはくれない。
知っている情報は多いけど、それはあくまでも香穂里の今の気持ちでは無く全ては過去のこと。
今、香穂里はどう思っているのか …… 私の想像できる範疇では無い。
「ねぇ、紗穂里」
急に声をかけられて、私はハッと我に返った。
香穂里が私を覗き込んでいる。
「この "defect" ってどんな意味だっけ?」
「欠点とか欠如とか欠陥とか …… そういうあたりだったような?」
「じゃぁ "defect of memory" って記憶障害ってことか」
香穂里はそう答えつつも課題の英文と睨めっこしている。
「記憶障害を抱えた多くの超能力者がある病院の火事によって命を落とした ―― これってあの病院の事件の話し? 嫌だなぁ ……」
「どうして嫌なのデショ?」
むしろ私好みの内容だっただけに疑問だった。
香穂里はやっと私に顔を向ける。
「だってあの病院に入院していたことがあるんだもの」
私は思わず目を丸くさせていた。
あまりに驚き過ぎて動きが止まってしまう。
香穂里はそんな私に気付いていないのか続ける。
「あの病院でさ、私の魔力暴走の原因を追及してくれていたらしいよ。でもお陰で病室から一歩も外に出してくれなくて。ちょっと暴れたら1週間も眠らされちゃうから暴れないようにしていたつもりだったんだけど、それでも半年も眠らされていたと聞いた時にはショックだったっけ。
でもまぁ、あまりに長過ぎて不審に思ったのか、パパがお金積んで退院させてくれた時には安堵したよね」
あの入院の記憶が香穂里に残っているとは知らなかった。
思わず香穂里を見入る。
そんなことを嬉しそうに話してくれた香穂里は、しかし溜め息をついて暗い顔をした。
「あの時もそうだったけど、私が入院していても、パパがお見舞いに来てくれることは無いんだよね。病室から覗き込んだ廊下を行き交う家族を見て、他の子が羨ましいなって思っていたけど …… お仕事だもの。仕方ないよね」
私は思わず黙り込んだ。
あの時の入院は、恐らく香穂里の体を研究に使っていたのだと思う。
そう考えていたら、香穂里が失笑していた。
「まぁ、あの病院は医療法人じゃなかったみたいだし、そもそも超能力者の研究機関だったみたいじゃん? だからね、あそこで私も体を研究に使われていたのかなって思うと今でもゾッとするんだよね。血とかいっぱい抜かれたし、薬もいっぱい使われたから」
「怖い病院だなぁ ……」
知らぬフリをして答えた。それが何故か胸を痛ませる。
「今でも時々思うんだよね。あの病院の薬の所為で記憶障害が起きているんじゃないかってね」
その一言で私は更に目を丸くしてしまっていた。
私も同じ考えだった。
だけど、このことは香穂里には言えないのだと思っていた。
だが、香穂里は知っていた。気付いていた。
「それにあの病院に入院してから学園に入学するまでずっと悪夢を見ていたから …… あ、今は全然見ないから大丈夫だけどね」
平然と嬉しそうに話す香穂里を見て、私は少なからずショックを受けているようだった。
―― 私は香穂里を知っているようで、実は何も知らないのかもしれない。




