043 ☈ 休暇の過ごし方⑤
―― どのくらい経ったのか解らない。
目を覚ませば、そこはどこかの部屋のようだった。
木目の天井が目に入って来る。
が、次の瞬間には気だるそうな人間の顔が視界を遮っていた。
「っ?!」
あまりにビックリして言葉を失っていれば、その人はすぐに顔を退けてくれていた。
そして声を発している。
「おーい、起きたみたいだぞー?」
どうやら気を失っていたらしいと気付くと同時に、あの青い死体を思い出してしまった。
吐き気はしたものの、我慢できるレベル。
ゆっくりと体を起こした。
そこはやはり和式の部屋のようで、真新しい畳みの上に布団が敷かれ、その上に私が寝かされていたようだった。
私を覗いた人は襖を見ており、私の位置からだと顔までは判別出来なかったが、着物の柄や座高から男性だということはすぐに解った。
しかし、今時着物とは珍しい。
まさか蓮と同じような妖怪なのか …… などと思いながらジロジロと見ていた所為か、その男性は怪訝な表情をして私を振り返っていた。
凄く綺麗な顔立ちに、綺麗な長髪。
その髪型は独特で、私は瞬時にある名前を口にしていた。
「リュウ様 ……」
それは雑誌で見たままのリュウ様だった。
ただ、その雑誌に載っていたような洋服では無かったので違和感はある。
名前を呼ばれたリュウ様は、驚くこともなく無表情のままだった。
しばらくして、
「…… おう」
と小さく返答している。
そして手を一度も使わずに立ち上がっていた。
予想以上の長身に驚き、次に着物の違和感を更に強まらせて驚く。
着物といっても、歴史モノのドラマで見るような昭和や明治よりもっと前の、鎌倉時代まで遡ったかのような格好に、寺の住職などが着けている袈裟をかけている。
またそれが現代的な髪型とは似合わない。
あまりに驚き過ぎて言葉を失っていたら、不格好なリュウ様がその背中越しに、私からは見えない襖を開けているようだった。
「蓮か咲九が来るまで布団の中から出るな。出たら殺す!」
私に振り返ってそう言っている間にも、襖の奥の廊下らしき所に蓮がやって来ていたのか、驚いた様子で部屋を覗き込んでいた。
それからリュウ様を見上げている。
「僕ならここに居ますよ?」
その一言でリュウ様は慌てた様子で襖から手を放していた。そして蓮を退かせて部屋から退場している。
代わりにその蓮が中に入って来た。
「大丈夫ですか? 記憶、残っていますか?」
「し、失礼な! というか、あの死体は ……」
「あの後、近くに居た烏天狗に手伝ってもらって運ぼうとしたら、あの猫が戻って来て隙を見て掻っ攫って行ったようですよ。僕は貴方を背負って神社まで逃げて来たので、後から聞いた話しですがね」
「そうか ……」
死んだ天狗に心の中で両手を合わせつつ、訊ねる。
「そういえば …… さっきのって、リュウ様だよな?」
「そうですよ? 撮影時以外は女性という女性を拒絶するリュウ様です」
思わず唖然としていれば、近くまでやって来た蓮はニッコリと不敵に微笑んでいた。
「どんなに慣れているはずの姉さんでも滅多に触れることは無いですし、そもそも見知らぬ女性とは "仕事" じゃない限り話せないみたいですね」
「怖いだけなのよね?」
聞き慣れた声がして、すぐに私はその名を呼んでいた。
「如月!!」
懐かしい!
凄く会いたかった!!
そんな思いが何故か私の中に流れ込んで来ていた。
(如月は、というと蓮と混ざるので)咲九は襖の向こう側に立っている。
その脇には、先程部屋から出て行ったはずのリュウ様の姿があった。
長身なのに咲九に隠れようとしているあたりが可愛らしくも思える。
咲九は平然と部屋に入ってきたものの、リュウ様は恐る恐るという感じで入って来たが、襖のすぐ脇に座り込んでしまっている。
一方、咲九は私の目の前、蓮の隣までやってきて座ってくれた。
「まさか天狗が殺られるとは思ってもいなかったから油断していたわ」
恐らく蓮やリュウ様にそう言ったらしい。
すると、一瞬にしてリュウ様の表情が変わった。キリッとした目付きで表情に影を落とす。
「いや、俺も同感だ。天狗はこの森では最強と言っても良い。その天狗を殺ったんだ …… そろそろ狩り時だろ」
「僕もそう思いますよ、姉さん。そもそも、こんな時に彼女を招く何て ……」
「この時だからこそ招いたのよ」
蓮の発言を遮って咲九は答えた。
2人を見てから、私を見る。
蓮はリュウ様を返り見ていたが、リュウ様は首を横に振っていた。
今のは、何かしらの会話が成り立っていたのだろうか。
「やっと本来のこの森の守護者が帰って来たのだもの。でも、この事実を受け入れるかどうかは遠音次第だし、そもそも遠音には記憶が無いのだから、現状を見てもらうのが一番だと思ったのよ」
そう言った咲九は私を見てニコニコと微笑んでいた。
それはつまり、私がこの森の守護者だと言っているのか?などと思っていれば、後方のリュウ様が仕方なさそうに立ち上がる。
「正確には土地の守神、だろ? 現状を見せるつったって、本人連れて来る必要は無かっただろ?と俺は言っているんだが ……」
「あぁ、そういうことですか。でも、それなら初めから教えてくれても良かったのに。本当に姉さんは言葉が足りないです!」
「はぁ。ま、いつも通り、だな」
「付き合う方の身にもなってほしいものですね」
リュウ様の発言の後にそう続けた蓮は立ち上がり、そして白く輝く牙を口の中から出してニヤリと不敵に笑っていた。
が、何故かリュウ様は嫌そうな表情をして明後日の方角に顔を向けている。
「無事に終わったら皆で打ち上げだから、それで許してもらえない?」
どこか嬉しそうに咲九が言った次の瞬間、部屋の中を凄く強い風が駆け抜けて行った。
あまりの強風に私が後方に飛ばされそうになったが、それを咲九が私の腕を掴んで引き止めてくれていたらしい。
そしてしっかりと目を開けて部屋を見れば、既に咲九以外の2人の姿が無かった。
壁にかかっているカレンダーが揺れ、私の下半身の上にまだ乗っていたはずの布団が私の上半身に完全に覆いかぶさってしまっている。
ズボンの内側に生足があるとはいえ、肌蹴た箇所が少しひんやりとした。
「2人は "狩り" に行ったのよ」
どこか嬉しそうに咲九が答えてくれた。
「一応言っておくと、この森で人間は私だけだと思ってくれて良いわ」
「蓮は妖怪だと言っていたが (リュウ様も)?」
「厳ちゃん? あぁ、えっと、一般的にはリュウ様だったっけ? 本名は "五十嵐 厳龍" って言うのだけど …… リュウ様は悪魔ね」
一瞬、間があった。
私は何度もその単語を頭の中で回す。
それでも理解するまでに時間がかかった。
否、結局は理解出来ずに咲九に突っかかる。
「あ、悪魔だとぉ!? 悪魔と言ったら、黒い肌に尖った耳と角があって、黒い翼のある …… あの悪魔か??」
「いや、流石に全員がそんな姿をしていたら、人間社会に溶け込めないと思うけど」
咲九に冷静にツッコミを入れられて、私の思考も少しずつ戻って来始める。
そう …… ここも国内で、今もこうして話しをしている白っぽいワンピースの咲九も、雑誌の中でしか知らなかった悪魔のリュウ様も、可愛らしい容姿の蓮も、さっき見てしまった天狗の死体も、全ては現実に存在していること。
幻想でも、夢の中でも無い。
非現実的な結界と存在に囲まれてはいても、これも列記とした人間社会の1つということを念頭に置いた。
「表情に出やすい蓮には言わなかったけど、実は "狩り" をするために皆を集めていたの。皆っていうのはこの森に住む住民 ―― 仲間のことね。猫の囮にはイケメンを使うしかなかったから厳ちゃん …… リュウ様を呼んだの。こういう集団的な狩りには滅多に参加させないのだけど、蓮の変身じゃバレるし、かといって他の参加者にイケメンは居なかったから …… 仕方ないかなぁ、何て」
「咲九じゃ勝てない相手なのか?」
「私では殺せないもの」
私の質問に即答した咲九は、廊下とは反対側に結界を張ってくれたらしい。薄い膜がかかっていた。
咲九から殺す、何て言う物騒な単語が出て来るとは思わなかった為か、私は愕然としてしまう。
その咲九は少し困った様子で続ける。
「それに何故か知らないけど、猫が私を嫌うから下手に近付けないのよね」
「そうなのか。(猫をも怖がる存在、と思っておこう。)」
「何か嫌な存在じゃない …… まぁ良いわ」
そう言った咲九は私の肩に手を置いた。
「それで、これから私が遠音に憑依するから、遠音に "狩り" に行ってもらうわ」
「…… はいぃ??」
あまりに突拍子もない展開に私は目を丸くしている。
が、咲九は気にせず続ける。
「いやぁね、その方が色々と後が楽になるのよ。説明している時間も惜しいから、後からきちんと説明はするわ。それに遠音には憑依するけど、魔力は私のを使うし、そうね …… 言うなれば、遠音の体と命の無事を保証するための憑依ね」
「いやいやいやいや!! もう憑依されるのはゴメンだ!! 怖いっ!!」
花子に憑依された時の記憶も残っている。
ただ、あの時は何が何だか、理解するまでかなりの時間がかかっていた気がする。
憑依されても自分では解らずに "意志で行動している" と思っているだけに、理解した時の恐怖と言ったら ……!
「今回は前以って言っているのだから恐怖にはならないと思うけど」
「確かに言われているけどな?!」
「んー ……、じゃー、」
咲九はそう言いながらも、何かを思い付いたらしい。
「今回の "狩り" に参加したら、遠音が普段、見られなかったモノが確実に "見える" ようになる」
「見られなかったモノ ……?」
「遠音ってさ、強いオーラは見えているでしょ? でも弱いオーラは集中しないと見えていない。違う?」
「ま、まぁ、確かに ……」
「その弱いオーラがしっかり見えないと、相手が人間か妖怪か、区別がつかないのよね。ま、中にはそのハーフ …… 半妖は居るかもしれないけど」
「・・・」
「その弱いオーラが見えるようになったら、悪鬼なら判別出来るようになるわ。まぁ、恐らく一度見たら恐怖に思うかもしれないけど、警戒して距離を置く、助けを呼ぶ、くらいなら容易に出来るわね。
…… あと、テレパシーが使えるようになるかもしれない」
なんだかんだ最後が決め手だった気がする。
口を使わずに会話が出来る何て、夢のような話し。乗らない手はなかった。
だから仕方なく、しかしこれから自分の身に起こることにどこかでワクワクしていたらしく、いつの間にか顔を綻ばせて頷いていたと思う。
「きっと遠音が想像していることよりも、恐怖と感動で溢れているわよ」
そう言った咲九は優しく私を抱いていた。
しばらくして、あまりにも咲九の体が動かないことに気付く。
きっとこれが憑依なのだろうと思ったら、いつの間にか咲九の体を、自分の代わりに布団の上に寝かせていた。
異様に咲九の体が軽い。
『軽く感じたでしょ?』
不意に咲九の声がして周囲を見回したが、姿は布団の上の動かない体しか無い。
自分の体を見ても、どこにも憑依されているような感じはしなかった。
が、自分の体すら軽く感じていることに気が付いた。
『憑依にも種類があるのよ。私が常にやっていることをまんま遠音に持って来たような感じだから、重力をあまり感じないはずよ』
そう言われてジャンプしようとしたが、それは咲九によって強制的に止められる。
『家の中だと頭、怪我するわよ?』
「何だと ……?」
と答えた矢先、私は自然と家の外に向かっていたらしい。
廊下とは逆側の障子を開ければ、そこもまた廊下で、先が縁側になっているようだった。
縁側にも古いガラス戸がある。
元から2人が出て行っただろう幅は既に開いてはいたものの、ガラス戸を完全に開け切れば、外からの冷たい風が家の中にじゃんじゃん入って来た。
冷たいと言っても、流石は森の中という感じだろうか。
どこか温かくも感じる。
そして私は、何故かそこに準備されていた自分の靴を履いていた。
「よーし、」
私はいつも通りに地面を蹴ってジャンプする。すると、
「うわわわわわっ?!」
普段の2、3倍まで跳ね上がっていた。
あまりの高さで恐怖に思ったが、恐らくこの状態が咲九の普段なのだと思えた。
地面に落ちた私は上手く着地していたものの、恐らく咲九の影響で上手かっただけで、自分1人だったら難しかっただろうと思う ―― 今なら空をも飛べそう。
『流石にソレは持って来てないかなー』
あっさり打ち砕かれたが、それでも私はあまりに面白くて、何度も強弱を付けてジャンプを繰り返している。
が、流石に数回目で足を止められる。
『体の感覚はもう慣れたでしょ?』
「まぁな!」
『そろそろ行かないと私が厳ちゃんに怒られるわ』
呆れた感じで咲九はそう言った。
そして私は走りだす。
まるで風になったような感じだった。
一蹴りで1メートルくらい前進している。
これに弱いジャンプを入れたら、あっさりとその倍は前進しているように思えた。
しかも疲れにくい。
普段ならちょっとした早歩きでも10メートルくらいでガタが来るのに、そんな疲れは全くと言って良いほど感じていない。
多少のカーブはあったものの、森の中にしては大きめの道だったのか、凄く走りやすかった。
あっという間に、木々が全くない広場のような場所に出ていた。
広場は周囲を木々に覆われていたものの、いくつかの獣道がこの広場に繋がっていることには気付く。
『やっと主役の登場よ』
咲九が私の頭の中から皆にテレパシーを送ったらしい。
言葉が私の頭で周回した後に、脳天からいくつにも割れた言葉が溢れ出て行った。
しばらくして、目の前に1匹の黒猫が現れる。
その黒猫はジャンプして前転したかと思えば、瞬時に蓮の姿に変わる。
赤い首輪に金色の鈴が良く似合っていた。
咲九が言っていたオーラで出来ているのか、先程までは見えなかったモノだった。
私はその首輪を外してやる。
「…… 良いの?」
蓮はどこか不安そうに訊ねてきたが、私は頷き返しただけだった。
だが、蓮はそれだけでニヤッと笑う。
「今なら姉さんを襲い放題ですが …… まぁ、我々がピンチであることに変わりは無いですからね!」
『やっぱり、強かったかー』
あっさり答えた咲九に私がツッコミを入れる。
「いやいや、蓮がピンチって。オレ、相当ヤバイんじゃねーの?」
「大丈夫ですよ」
そう言ったのは蓮だった。
背を向けて少し準備運動をした蓮は私をチラッと振り返っている。
「ピンチなのは囮になった僕とお兄さんだけです。何せ本気を姉さんに封じられている状態でしたからね」
「…… と言うと?」
「これから僕が本気を出せば良いだけの話です。お兄さんが本気を出したら森が消えちゃいますからね」
どうやら赤い首輪は魔力のストッパーだったらしい。
蓮はもう一度黒猫の姿に戻ると、急激に真っ黒のオーラを放ち始める。
が、黒いと言っても魔瘴のような嫌な感じはしない。むしろ、その中に居ても温かみが感じられていた。
そのオーラが蓮に集束しながら戻って行く。
蓮はいつの間にか、人間の少年の形をした化け物に変化していた。
頭からは2本の角を生やし、黒い獣の耳がある。
背中からは小さめの黒い翼もある。
下半身は完全に獣そのもので、猫とは思えない長い尾が伸びていた。
『動物の黒猫が年月を得て妖怪化したのだけど、その時に悪鬼に襲撃されてね。その悪鬼が本来は吸血鬼だったせいで、蓮も同じ吸血鬼になっちゃったのよ』
「えっと?」
『蓮は化猫と妖怪と吸血鬼ってこと。うん、ややこしいわね』
そんな説明の間にも、部屋で感じたあの強風を纏って蓮は立ち去ってしまった。
どうやらその後を追うらしく、先程とは比べほどにならないくらいのスピードで、私は蓮の背中だけを見て追い掛けている。
先程の走りとは違って、今は体にかかる負担を感じられた。
頭も少しクラクラする。
『 "覚醒" した蓮は流石に速いわねー』
何て咲九が呑気に言っているが、咲九でも限度はあるらしく、どんどん距離を離されていた。
が、不意に近くに嫌な気配を感じてスピードを徐々に落とす。
そしてある地点で立ち止まり、軽くジャンプして太い木の上に上がった。
嫌な気配の方角から隠れているつもりらしい。
『視線を感じたら自然に解るはずよ。だから、今はまだ気付かれて居ない』
咲九の一言で安堵しつつも、すぐ真下に気配があることに気付いて覗き込んだ。
服装からリュウ様だと気付いたが、その残像だったらしい。
既に姿は消えていた。
『速さに目も体も慣れていないだけ。嫌でもすぐに慣れるわ』
咲九の言う通り、嫌な気配は私の周辺で時計回りに移動を繰り返していた。
その嫌な気配を追って、小さな気配が2つほど動いている。
時折、その嫌な気配と小さな気配が重なっていた。
そう言えば、先程から私のオーラがあまり出ていないことに気付く。
『私がオーラを少なくしているのよ。こうやって気配を小さくさせているの』
まるでピッタリはまるプラスチックのケースに閉じ込められているかのような窮屈感。
押し入れよりも狭くて、手にはゴム手袋をしているような感覚。
「(これが気配を絶つということか)」
そう思った瞬間、私は突き刺さったかのような痛みを背筋に感じていた。
あまりの痛さに驚いて、虫を払うように擦ってしまったが、それは本当に一瞬の出来事だった。
『バレたわね』
咲九の一言でゾッとした。
これが狙われるということらしい。
が、途端に私の体はかなり軽くなる。
頭の中も、酷い風邪をひいたかのようにフワフワしてくる。
『憑依を強めたわ。集めた仲間の誰かを猫が "食った" みたいでね …… ただの悪霊では無く悪鬼に進化しているから、かなり怖い目を見るかもしれない』
「なんだって ……?!」
『でも大丈夫。初期の悪鬼相手に死ぬことは無いわ』
そう答えた咲九は、ほぼ完全に私の体を乗っ取ったらしい。
私が感知出来ないようなスピードで嫌な気配に近付いて行く。
嫌な気配 …… つまり猫もそれに気付いたらしい。
近付く度に突き刺さるような痛みを強くさせながらも、咲九は立ち向かって行く。
視線の先の猫は、もはや猫の姿を保ってはいなかった。
むしろ、どこからどう見ても理想上の悪魔のような姿にしか見えない。
しかも、凄く嫌な魔瘴を悪魔の翼のように放っていた。
咲九は私の体の周囲に凄く薄い5重の結界を張って、両手を器用に使って猫の両腕に着いた巨大な爪の攻撃を弾く。そしてそのまま、右足を上げて猫の片足を蹴っていた。
その勢いで猫はバランスを崩している。しかし、流石に大元が猫らしく、体を不気味なくらいにくねらせて地面に這い蹲ったかと思えば、そのまま地面を蹴り上げて目の前から消え去った。
嫌な気配が急激に遠退いて行くのが解る。
「こ、こ、こえええぇぇぇぇぇ!!」
それは時間にして一瞬、恐らく数秒の出来事だったが、一瞬にしてはあまりに長く感じられた。
猫の魔瘴は黒い結界と比べようがないくらい酷く、自分の感情どころか、体ごと、巨大な何かに飲み込まれる感覚があった。
『だから言ったでしょ?』
咲九はあっさりとそんな発言をしている。
『でも、これで ”遠音にはすぐに勝てない" と向こうが感じたはずよ』
確かに、猫の嫌な気配はかなり遠くまで行っている。
その遠くで小さな2つの気配が戦っていることは良く解った。
どうやら咲九は自身の強さを猫に見せつけただけらしい。
『どっちにしても私では猫を倒せないのだけど、猫の魔力でも私を倒すことが出来ないの。無駄な争いをしても無駄に魔力を消費して他の者に殺される。まぁ、それなら最初から私ではなく他を狙った方が良いって訳。今の猫も遠音に対してそう判断したはず』
「(でも、それだと他の2人が危険なんじゃないか?)」
『あの2人は殺されても猫に食われないようにしてあるから、勝っても負けても、結果的に猫の利益にはならないのよ。そもそも今の2人は絶対に殺されないから …… あるとすれば魔力が枯渇する、くらいね。もし空になっても自動的に私の結界が張られるようにしてあるから問題では無いわね』
「(無敵だな)」
『うん。あ、でもね、今のはこの森の中だけの話しね。森の結界から先の外の世界では通用しないの。だから学校でいつもの感覚で戦うと重傷を負うわ』
「(なるほど。如月がこの森にオレを呼んだのは ……)」
『そう、それが理由。それに今は、他の森に行っても動物すらあまり見かけないでしょ? そういう森からここの森に食料を求めてやってくる悪霊や悪鬼が居る所為か、最近はこういう凶悪な "狩り" が頻度を増していてね。でも逆を言えば、それだけ良い経験になるのよ』
「(オレを経験させる為に …… いや、しかし、オレには危険過ぎるだろ!
そもそも ―― )」
「あ、咲九ちーん!」
不意に咲九を呼ぶ声がしたかと思って振り返れば、そこには同じくらいの女の子が私を見て手を振っていた。
女の子はニコニコしながら私に近寄って来る。
「初めまして! あたしはアコ! 宜しくね!」
恐らく咲九が私に憑依することを知っていたらしいアコは、そう言って私の手を取ってブンブンと振っている。
『あれ? アコ、相方は?』
咲九の声に反応したアコが手をパッと放す。
「えっとね、ウーちんは人里の方に居ると思うよ?」
『あれ? 何でまた ……』
「携帯失くしたって言って、慌てた様子で行っちゃったー」
『携帯依存症だったっけ ……』
咲九の一言でアコは頷いていたが、私は失笑してしまっていた。
人間とは異なるオーラの流れが見えるあたり、恐らくアコも妖怪なのだろうと思う。
そして双子ということは、そのウーという奴も妖怪なのだろうと思った。
こんな山奥の妖怪でも携帯依存症には成るらしい。
「あ! あのね、咲九ちん、」
アコが何かを思い出したかのように言い始める。
「天狗のイズミさんと、夢魔のライズさんが食われたの!」
『ライズが?!』
これには咲九も驚いているようだった。そう言われてもさっぱり理解出来ていない。
『…… 説明は後回しね』
咲九はそう言いながらも、私の周囲に張っていた結界を増やす。
アコが尊敬の眼差しで咲九を見つめていた。
『アコ、今すぐ天狗に避難警報を出すように言って』
そう言った咲九は早くもその場を後にしていた。
凄いスピードで嫌な気配の方向に向かっている。
アコはそんな私に手を振ってくれていた。
『夢魔は天界の種族なの』
「天界 ……」
『地球を "地界" と呼ぶなら、"天界" は神々が住む場所ね。でも、その天界は崩壊した。だから一部の種族はこの地界に逃げ込んだの。その種族の内の1つが、夢魔。天界の種族の大半は、地界の生物を直接的には相手にしないことが多いのだけど、夢魔のように "魔" と付く種族だけは別。そうね …… さっき厳ちゃんが悪魔って言ったでしょ?』
そう言われてみれば、蓮が説明してくれた地界の種族に "魔" と付く存在は居なかった気がする。(居ても覚えていないだけかもしれないが。)
ということは、リュウ様も天界の種族ということになる。
『天界の種族と渡り合えるのは天界の種族だけなの』
そう答えた咲九は、いつの間にか嫌な気配のすぐ近くまでやって来ていた。
そして小さな気配を捕える。
服装からしてリュウ様だと解った。
『悪霊と悪鬼が面倒なのはね、食った種族の能力を扱うところなのよ』
それはすなわち、嫌な気配の大元は猫でありながら、天狗と夢魔の能力を扱えるということ。
つまり、下手をすれば最強無敵の悪鬼が生まれてもおかしくはないということ。
咲九が "狩り" をする理由はそのような悪鬼を生まないためなのだとやっと理解した。
『悪霊も最初は憑依という術を使う。憑依された相手は次第に悪霊の術によって心臓を食われる。そこに悪霊は侵入し、完全に相手を乗っ取るの。そして次々に生物を襲ってその体ごと食らう。生物なら何でも良いのだけど、能力が高いほど得られる能力も高くなるから、当然選りすぐりし出すのよね。こうして多くの能力を得た悪霊は悪鬼に進化する』
「(なるほど ……)」
猫の流れ玉に邪魔されて、咲九はリュウ様に近付けないようだった。
一定の距離を保ったまま、リュウ様は猫からの攻撃をギリギリで避けている。
ただ、猫はこちらに気付いているが、私には直接、攻撃してこない。
そこは咲九の読み通りになっていた。
『だから高度な能力を持つ天界の種族を食らった悪霊は、どんな種族であっても悪鬼に進化する。しかも、魔の付く種族には直接、地界の生物を攻撃する術があるの。どんな超能力者であっても、地界の生物であれば決して逃れられない術が …… ね』
そんな攻撃を食らったら地球の生物は一貫の終わりということなのだろう。
私は少しだけ背筋を凍らせていた。
―― 生物の消えた地球には何が残ると言うのか。
『何も残らないわよ』
咲九はそう言ってリュウ様との距離を保ったまま、リュウ様の少し横の方に移動をした。
『餌が無い世界で悪霊と悪鬼の共食い競争が始まって、やがて最後の1匹になって終焉を迎えるわ。だって餌が無いのだから悪鬼として体を保っていられなくなるもの。そして跡形も無く消える。悪霊と悪鬼の目的は、大概が人間の消滅だからね …… 全てが終わったらそれが終焉なのよ』
その説明の間にも、私はリュウ様の前方に飛び出ていた。
そのすぐ脇に、木の上に飛び乗って猫の攻撃を避けたばかりのリュウ様が降り立つ。
猫が木を避けた一瞬の間に、咲九はリュウ様の差し出した右腕から鎖状のブレスレットを外していた。
そしてリュウ様はそのまま駆け抜けるように去ってしまった。
咲九も反動でそこから少し前進したものの、立ち止まってからはリュウ様が木々の間に消えるまで見送った。
『さて、私達も避難するわよ!』
『了解!』
テレパシーで全体に伝えたらしい。
すると、周囲の木々から一気に複数の気配が現れた。
気配はやがて思い思いの場所に降り立ったかと思えば、そこでは体勢を整えただけらしく、その一部は早くもリュウ様とは逆方面に向かって走り出している。
その残っていた一部と共に、咲九も同じ方面へと走り始めていた。
すると、今度は上空から声が降りて来る。
『迷宮結界の中、又は森の西側か、隣の森に避難!
避難!
避難しないと死にますよ!!』
恐らく天狗なのだろうと思ったが、最初に話しをした天狗ではなさそうだった。
いつの間にか私の斜め後ろを音も無く走っていた1人がケタケタと笑いながら言う。
『ワシはもう死んでも平気じゃがなぁ』
『じぃさんは良いかも知れないけど、あたしゃまだ死にたくないねぇ』
木々の上を走っているらしいもう1人から返答があった。
これには周囲が笑っている。
同じ方面を走っている咲九の集団は、恐らく咲九の後ろに3人、前方に4人、木々の間に3人くらいだろうと思われた。
そして遥か前方を進む組が居ると考えれば、咲九の言っていた仲間はかなりの数だと思われた。
『あれ? 何だか増えてない?』
咲九の一言で私はギョッとしていたが、それは遥か前方に居るらしい蓮の言葉で解決される。
『イズミさんとライズさんが殺られたことで、天狗がほぼ総出で猫を隅に追い詰めてくれていたんですよ。で、あの心優しいライズさんが子供達を守って殺られたことで、その親の堕天使が知り合いの夢魔に連絡してくれたみたいです』
『夢魔って珍しいんだがなぁ』
斜め後ろのじぃさんがそう呟いていたが、私にはその夢魔の情報が無かったので解らなかった。
しかし、咲九には十分な情報だったらしい。
『その夢魔、この森に住みついてくれないかしら』
その一言に全員が失笑していたように思えた。
どのくらい走っていたのか解らない。
だけど、都内では見たことが無い景色に遭遇していた。
川辺に、
湖畔に、
木々が無く代わりに1本の太い大木がある開けた場所に、
大きな岩場に。
それらを軽々と越えても尚、迷宮結界の端は見えてこなかった。
この森はかなり広いらしいと理解はしたが、この森を消してしまうくらいのリュウ様の覚醒とはどのくらいのモノなのか …… 少し恐怖にも感じた。
『このあたりで良いわね』
咲九はそう言って集団の足を止めさせた。
そこは迷宮結界の端が目視出来ているものの、決して近くも無い場所。
だが、迷宮結界の薄い方の結界内には居るのだと理解できた。
何となくだったものの、私が入って来た街とは逆の西側なのだろうと感じていた。
咲九がやっと、今まで走って来た方角を向く。
すると、今居る場所が森全体を見渡せる岩場の高台だということに気付かされた。
背の高い木々に邪魔されていたものの、かなり遠くにはなるが、小高くなっているあたりに駅らしきモノも見えなくはない。
『全員、避難した?』
『恐らくは。残っているとすれば猫を狙う悪霊達でしょう』
咲九の質問には、上空で旋回する天狗が答えていた。
やはり天狗には管轄する地域があるらしい。微妙に違う顔だった。
そして見回せば、数匹の天狗が一定地域の旋回を一斉に止め、各々が最も近い迷宮結界の中に入って行ったことを確認出来た。
中には上空の迷宮結界に入っている者もいる。
「迷宮結界の中は安全なのか?」
私の質問には、いつの間にか近くに立っていたアコが笑顔で答える。
「うん。でも、絶対に安全って訳じゃないよ? 結界の泡が割れたり、ヒビが入ったり、下手すると泡と一緒に消されちゃうこともあるって聞いたー」
「うわぁ」
「でも、滅多なことでは壊れないよ。壊れる前に違う泡に潜ればいいだけだし」
『じゃ、神主の一部を解放するよー』
咲九はあっさりと言って、先程のリュウ様から取ったブレスレットを真っ二つにしていた。
その瞬間、東側で爆発音がした。
駅がある場所よりは手前のような気はする。
しばらくして、その音がしたあたりから猛烈な強風がまるで刃物のように吹き付けて来た。
私は踏ん張ったが、耐えられそうにも無い。
すると、私らの上空に居た天狗は傍まで降りてきて、その風を巨大な結界で遮ってくれた。
少しはみ出ていた数人が結界の中に入って来る。
『うーん、ブレスレットだけじゃぁ、若干、パワーが足りなかったかなぁ?』
咲九のそんな呟きに私は失笑してしまう。
「(もしかして、数ヶ所に封印が施されてあるのか?)」
『うん。ブレスレットはその中でも一番量が少ない所なのよ。でもまぁ、厳ちゃんはソレだけで十分って思ったから片腕しか出さなかったのだと思うけど …… 少し心配』
「(心配って …… )」
『全部外したら森1つどころじゃないけど、ブレスレット1つだと、どのくらいの威力が出るか解らないのよね。だって今まで1つだけ外す、何てしたこと無かったから』
「(そんな …… )」
『あぁ、でも、避難は間違いでは無かったみたいね』
咲九がそう言ったかと思えば、視線はある1点に向けられていた。
その1点は次第に円のように広がっていく。
「あわわわ …… 凄い魔瘴 ……!」
アコの発言に私は目を丸くさせてしまっていた。
その円は真っ黒の霧状になっていて、やがて森の木々を包み込んで行く。
「あんな濃い魔瘴に当たってしまったら ……」
『ワシは無理じゃな』 『誰も正常では居られなくなるわねぇ』
ほぼ同時にじぃさんとばぁさんが返答していた。
2人は良く似ていたが、1本角か2本角かで若干の違いはあった。
「サーニャも本気になったってことね ……」
アコの一言に誰もが黙ってしまっていた。
流石に解らないと思ったのか、咲九が私に説明をしてくれる。
『あの猫の名前よ。元の猫だった時は蓮の配下で、稀に神社へ参拝にやって来る人間の案内を進んでやってくれていた良い子だったの。
だけどある日、彼女は案内をしてはいけない人達を神社に案内してしまった。
結果的にその人達に囚われた彼女は、今では珍しい妖怪と謳われて実験体として売られたの。
どうにかこうにか自力で帰って来たみたいだけど、既にその時には厳ちゃんでも悪霊を祓える状態では無くなっていたのよ』
それが事実なのだろうと思った。
だから蓮は私に警戒しろと言い、リュウ様は狩り時が来たから諦めろと咲九に言っていたのだと思った。
これが、咲九が私に見せたいと言っていた森の現実。
サーニャが私に見せた姿は、きっとその案内をしてはいけない人達や、実験体として買い取った人達が思い描いた理想の女の子だったのだろう。
『少しでも生物に怨みを感じた生物は、同じような思いの悪霊や悪鬼に憑かれる率が極端に高くなるの。
きっと彼女は人間に怨みを持ったと思う。理想の女の子になったはずなのに、その身は実験に使われた。沢山の薬を使われて辛かった。それなのに家に帰してくれない …… そんな感情が私に流れてきたの。
人間に愛されたいと願った結果、彼女は人間に愛憎を抱いてしまっていた』
愛憎は怖い。
それは花子の時に十分過ぎるほど経験した。
『この森で彼女は皆に愛されていたみたいでね。でも、私にだけは懐かなかったの。それは私が彼女に愛情を注がなかったから。私は厳ちゃんと蓮にしか、自分の本心から愛情を注いでいるとは思っていないわ。彼女はその本心からの愛情が欲しかった。…… 遠音も彼女と出会って、別に本心から可愛いと思った訳ではないでしょう?』
「(まぁ、確かに …… )」
『だから彼女は遠音を何とも思わなかったのでしょうね。お陰で攻撃を一切受けなかったから私まで助かっちゃった』
「(あれ? でもお前の体は神社にあるんじゃ ……?)」
『私は大丈夫。というか、悪霊や悪鬼、その魔瘴は何も無い死体に悪影響を及ぼすことはないのよ。もし悪影響を及ぼしたら大変じゃない …… 墓の中からわんさか死体が蘇って来ることになって』
「あばばばば ……!」
思わず声に出してしまっていたらしい。
光景を見守っていた全員が一斉に私を注目してしまっていた。
咲九がクスッと笑う。
『ちなみに教えておくけど、私の抜けた体にも結界は張ってあるし、そもそもさっき居た住居の方は、本来はあの場所に存在しないモノだから全く以って無害なの』
「(凄い能力だな!)」
『これは能力じゃないわ。この土地が昔からそうやって分けている場所なの』
そう言った咲九はクスクスと笑っているように思えた。
すると、仲間の1人が声を出す。
「サーニャの気配、無くなった ……」
「終わったのね」
アコが皆を代表するかのように、どこか悲しそうにそう呟いていた。
やばい、思ったより長かった!
ので、今日の更新はここまでで。




