184 ▲(☴☉☈) 魔物とは
千尋が目覚めることもないまま、比較的マシだった校舎の傍、大聖堂の前あたりに転がっている適当なベンチに腰を下ろした。
結界のお陰か、黒い仮面も人の気配もしない。
凄く不気味なほど静かな中、香穂里は独りあの鏡を見つめていた。
「あの時、使い方を教わった訳じゃないんだろ?」
遠音がぶっきらぼうに香穂里に訊ねた。
香穂里は頷きながらも答える。
「ポケットに突っ込まれただけ。小さい所為か、着替えられなかった為か。すっかり忘れていたけど」
「それが境界に行ける神器……までは知っていても、ボクもそこまでしか知らないデショ」
「……ダメね。私の覚えている術を殆ど使ってみたけど全て効果がないわ」
各々が答えて、全員で溜め息をついた。
そしてまた沈黙が訪れてしまう。
本当は、あの子猿の居る境界の図書館に行ければ、その方法が解ると思っていた。
しかし、その図書館までの道どころか、図書館のある校舎は火元の傍だっただけに既に上層の原形は残されていない。
なお、隣の旧校舎も、見た目は無事だったけど内部は酷かった。
どの校舎も階段は壊滅的で、上階を調査するために飛ぶことも考えたが、全員の魔力が少なくなっている状況では難しい。
まして私では上手く飛べないし、かといって飛べる人に頼むのも烏滸がましい気はする。
だから、どう行けばいいのか解らなかった。
「そもそも境界に行けたとしても、戻って来られる手段があるのかどうか……」
「1人だけこちらに残れば問題は無いのでしょうけど」
香穂里の言葉に答えた風見さんが遠音を見た。
これに遠音はコクリと頷いている。
「その方法に関しては1つだけ心当たりがあるんだ。まぁ、一方通行専用の扉みたいなモノだな。そういうのが無いと守護神だって出入り出来ないだろ?」
「じゃぁ、この学園のどこかにそれがあるってこと?」
「実際には、境界の中の学校の中にある、だな。こちら側から見ても何ともないモノでも、向こう側から見たら魔力を強力に放つモノらしいから、まぁ見ればすぐに解るだろうと咲九の手記には書いてあった」
香穂里の質問に答えながらも遠音はその手記らしきノートを小さな鞄の中から取り出して見せてくれる。
そのノートを香穂里が受け取ろうとして、何故か小さな火花が散った。
「咲九が死ぬ前に雷神にしか扱えないようにしていたらしくてな……どうして他の連中が読まなかったのか訊ねたら、単純に蓮でも触れなかったらしい」
「蓮……貴が言っていた、如月さんの弟さんよね?」
「あぁ。ちなみに、今はその蓮が正式な死神だ」
その一言に私達は同時に驚いていた。
特に風見さんは立ち上がってしまっている。
「ただし、その蓮も死神の記憶を失っていたらしい。だから死神の自覚は無かったようだが」
「じゃぁ、兄上はやはり死神……ではないのね」
どこか悲しそうに風見さんは答えていた。
遠音は頷きながらも、風見さんに座れば、というようにベンチを叩いている。
しばらくして落ち着いたのか、風見さんは再度座った。
「咲九が、どういう訳か死神の核を持っていたらしくて、それを蓮に譲ったらしい。詳しいことはオレも良くは解ってないんだ。ただ、だから "里の主" ――風見の兄貴が死神を名乗った時は、"そう来たか" と思ったみたいだが」
「その蓮君は、今はどこに?」
気になって遠音に訊ねた。
遠音は頭を横に振って大きな溜め息をついている。
「家出してどっかいっちまったよ。元々は咲九と契約していたからか、咲九が死んだ時点で咲九の居た森に住み続ける道理は無かったからな。ただ、蓮は四大神の鬼神の正体を知っているらしい。そしてその鬼神を助けたいが為に、咲九と行動を共にして情報を得ていたことまでは理解した」
「鬼神……そっか、鬼神もこっちに居るのか」
どこか納得した表情で香穂里は呟いたものの、遠音はやはり溜め息をついていた。
鬼神と私達こと炎神・地神は仲が良かったらしい。
前の炎神と地神が鬼族という特殊な種族だった所為もあるかもしれない。
気取っていた女神と死神と比べても、鬼神には親しみがあった、と思う。
とはいえ、鬼神は私達に直接、何かをしてくれた訳では無かったが。
「風見は、弟の心配はしないのか?」
「・・・」
遠音の質問に風見さんはあまり良い顔をしていなかった。
心配はしていても、私の家族への想いのようにそれは口に出さなかっただけかもしれない。
「オレも良くは解らんが――風見が風神だということも、お前の兄貴が間違った道を進んでいることも、オレと咲九が出会った4月の時点で既に気付いていたらしい」
その言葉に風見さんはただただ黙っていた。
遠音がどこか恥ずかしそうに目を逸らしながら続ける。
「多分、過去を覚えていたんだろうな。超能力者だけじゃなく普通の妖怪の中にもそういう存在がいるらしいから、人間だったとしてもその可能性は高い。
だからお前を宮本の家に派遣するよう兄貴に頼んだんだろうな。その代償としてお前の弟は心臓を兄貴に奪われた」
「何で心臓のこと、永瀬さんが知っているの?」
「この情報源はリュウ様だよ。お前の弟のことを心配して、相談に乗って、少しでも永らえさせるために契約までしていたらしい。咲九はそこまでする必要は無いって言ってたが。
多分、リュウ様は自分とお前の弟を重ねたんじゃないかと思う。命をかけてでも、誰かを守りたいという想いは同じだったみたいだから」
遠音はそう答えてまたも溜め息をついた。
今の話しから、リュウ様は如月さんを守りたかったのだと思った。
そして幾度か巡った過去を思い出す。
リュウ様と如月さんの仲に嫉妬した円が暴走した過去や、如月さんとリュウ様の2人が命を賭けて私達を守ってくれた過去などが脳裏に流れた。
まるで意識を共有しているかのような2人の動きに私達はただ唖然としているしかなかった。
「咲九曰く、お前の弟が風見を守った過去は一度も存在しなかった。多分、そういう "相手への気遣い" や "幸せへの願い" から今のオレらに繋がっているんだと思う。
咲九は、自分が死ななかった過去は一度も無かったと言っていたものの、本当はもっと早くにオレが気づいていれば、アイツも死ぬことは無かったんじゃないかって、今でも思う。それに、また輪廻を起こして咲九が居る過去に戻って欲しいという思いも無い訳じゃない。
だが、それは咲九が望むことじゃないから……咲九の手記を読んで解っているから、立ち直れたんだよ」
そう言った遠音は立ち上がり、風見さんの肩に手を置いた。
「咲九と違って、お前の弟はまだ生きている。岸間の父親も、紗穂の家族も、オレの母さんも生きている。その生きている人の為にも、オレらが先に進まなきゃいけないんだって、そう思うようになったんだ」
「千尋が目覚めてもいないのに?」
呆れながら香穂里が答えたものの、遠音は失笑しながらもノートを軽く上げて注目させる。
「目覚めない要因は既に解ってはいるんだよ。ただ、どれが大元の原因かが解らないから、その理由を知る為にも境界に行きたいんだ」
「境界に行けば解るということ?」
風見さんの質問に遠音が大きく頷いた。
「学園の境界には本の神が居るらしい。その神が理由を知っている可能性がある」
嫌な予感がしていた私は、思い切り溜め息をついてしまっていた。
なお、この話しに驚いた香穂里も私を見つめている。
「"境界の図書館" と私は勝手に呼んでいるのだが」
「知ってるのか?」
これには遠音が目を丸くさせていた。
私は頷いてからあの図書館の話しをする。
図書館には何でも本が揃っていることと、子猿のことと、場所のこと。
そして木属性を持っていないと入れない、的な司書さんの話しを思い出しながら話す。
「……ということだが、」
「木属性か……扱えるだけでは、ダメなんだろうなぁ」
遠音はそう答えながらも大きな溜め息をついていた。
「図書館が無いのに、心配はそっちなんだ?」
香穂里の質問に遠音は失笑する。
「あー、境界は、ほぼ別の空間だと思って良い。この世界と同じ建物、同じ風景をしているんだが、地界での変化が境界に影響するのには数年、古い守護神だと数百年かかるらしい。だから恐らくは、境界の中からならまだそこに行けると思う……が」
遠音はそう答えてから黙り込んでしまった。
続きが気になった風見さんが訊ねる。
「……何かあるのね?」
「その境界が繋がっていれば、の話しだよな。その子猿は、こっち側の学園と繋がっていること以外は特に言っていなかったんだろ?」
「うん。そうだが……それがどうかしたのか?」
「境界側の学園と既に繋がっていなかったとしたら、お前らとは別行動をとらなきゃいけないんだな、と」
暗い表情をした遠音はそう答えていた。そして、何故か一気に赤面する。
「……オレも、本当は怖かったんだろうな。独りで戦っている感じがして……その所為か、正直、もう二度とお前らと離れたくないと思っていたらしい……」
「それは私も同じよ」
風見さんは、そう答えて遠音の手を握ってあげていた。
遠音が驚いてその手を見つめる。
「ずっと千尋と一緒に居たから、千尋が目覚めないことも不安だったけど、このままずっと独りになってしまうのではないかとも思っていたわ。皆と合流出来るまでずっと不安だった。だから、気持ちは良く解るの」
「風見……」
「でも、永瀬さんはもう独りではないわ。それに、千尋を目覚めさせてあげたい。それで千尋が魔力暴走を起こさないという保証はどこにも無いけど……その為に永瀬さんが動いてくれるのであれば、私も手伝うわ。……ううん、手伝わせて。私はどうなっても構わないから……!」
「どうなっても構わなくはないデショ!」
思わず私は言っていた。
風見さんと遠音が驚いて私を振り返っている。
「ある人が、『雷神以外の属性神には、天界を再編する能力がある』って言っていたデショ! もし天界を再編出来たら、天界に逃げれば良いのだから地界が壊れても問題は無いのデショ? その為には風神も必要なのだと……」
「天界を直すのにどのくらいかかるか、解って言ってんのか?」
遠音が呆れながらそう言っていた。
その反論に今度は私が驚いてしまう。
「そもそも、天界は崩壊して粉砕しただけで、その欠片の大半は未だに里の主が持っているらしい。だから里の主からその欠片を奪い返さない限りは絶対に無理なんだよ。まして、それだってどのくらいの大きさの内の欠片なのかも解らない。1人が入れる空間を作るのに3年かかるらしいから、その賭けには乗れないな」
「そうなのか……」
「ただ、風見が居なくなったらダメだってことは、それ以外にもある」
遠音はそう言いながら私から風見さんに目線を変える。
風見さんは不思議そうに頭を傾げた。
「オレら属性神が魔力暴走を起こしても、核を破壊されて死んだとしても、この世界――地界だけではなく境界を含めて、全てが崩壊するように呪術がかけられているらしい。それが "世界の加護" の真の正体。だから誰一人として欠けたらダメなんだ」
「待って。ということは、千尋も……」
「そういうこと。だからオレは宮本を目覚めさせたい。それに、お前らも見ていただろ――宮本の過去を」
その一言で私達は黙った。
千尋は魔物の子供だった。だから魔力暴走に陥りやすかった。
しかし、このことは過去の千尋にも、まして今の千尋にも言えない。
―― もし言えば、千尋は壊れてしまうから。
「宮本が知っている結界の方法は、その黒い仮面から身を守る方法の中でも最も強力なモノなんだ。ただ、その代償がデカイ」
「その代償というのは?」
「偽物の体……と言って通じるか?」
香穂里の質問に遠音は答えた。
風見さんは解っていたのか、遠音から目線を逸らしている。
「その身を結界という巨大な器に転化させ、その器内部に集めた瘴気で器を支えることで、1つの空間を守るという古からの邪法なんだ。だから、お前らが遊園地で出会い、何も知らない宮本がその方法を用いて器――つまり、その体に瘴気を吸収させてしまったから、その代償で器である体が瘴気に耐え切れなくなった……まぁ、そういうところだろ」
遊園地での出来事も知っていたらしい。
私は失笑する。
「じゃぁ、千尋が目覚めないのは……」
「その器、つまり体がもう限界なんだろ」
遠音は答えながらも、もう片方のベンチに横たわらせていた千尋の傍に行った。
そして優しく額に触れる。
3人で遠音の元に行けば、前髪に隠れた頭の一部にヒビのようなモノが入っていた。
「風見は薄々、このことに気付いていたんじゃないか?」
「……えぇ」
風見さんの返答に私達は素直に驚いていた。
その風見さんが、まるでヒビを隠すかのように遠音の手に触れて離させる。
「訳が解らないよ……! そんなことしたって、誰が得する訳っ?!」
そう言ったのは香穂里だった。
香穂里は今にも泣きそうな表情で遠音と風見さんを交互に見ている。
それを打ち破ったのは風見さんだった。
「千尋は "ぬい魔"、なのでしょう?」
遠音に確認するように訊ねた風見さんは、遠音の頷きを見てから私達に話しをしてくれる。
「 "ぬい魔" は、色んな魔物の中でも最下級の魔物。天界から追い出され、地界の悪鬼によって堕転した悪魔が地界に住み続ける為には、最低でも誰かと契約しなければいけないの。そして、その主人から最初に与えられたモノを器……体として憑依して生活を送らなければならないという規則があるわ。その与えられたモノによって、魔物としての地位が決まる仕組みになっていて……その中でも、下級に当たるぬいぐるみに憑依した魔物、それが "ぬい魔" 。
恐らく、宮本という家系は魔物を消費して宗教化したのだと思う」
「過去の中で見た宮本の母親に違和感を抱いて、帰ってから独自に調べたんだろ?」
遠音の質問に頷いて答えた風見さんは続ける。
「そういう資料は千尋の家に……実際には千尋の父上の部屋に沢山保管されていたから、隠されていてもそれに関するモノはすぐに見つかったわ。ご丁寧に燃えにくい桐の箪笥だったし。
そして調べる内に、その子供にも、それは適用されると書かれてあったの。半分人間であっても、無関係に。だから、千尋は既に誰かと契約をしていたのだろうと、そう思っていたのだけど……」
「契約はしていたな」
遠音はそう言いながら溜め息をつく。
「それが宮本の兄貴だ。だから主人だった兄貴が死んで、何度も輪廻していた母親の寿命が尽きて、契約の事情を知る者がいなくなって――あの悪夢の時に活動限界に達した」
「永瀬さんは、既に知っていたのね」
「オレが、というよりは、咲九が、だな。だから咲九も色々と調べていたみたいだが、それでも延命が出来るくらいで解決策には至らなかったらしい。新しく契約をしたくても、生涯で1人しか契約出来ないと云われていただけに、再契約してどうなるのか、咲九でも怖くて誰にも話を持ち掛けられなかったらしいしな。
でまぁ、紗穂が言う "境界の図書館" があるとしたら、そこに廃病院で研究されていた魔物に関する当時の資料があるんじゃないかっていう……まぁ、こちらもあるかどうか解らないから、結果的には賭けみたいなもん」
「如月さんは、その図書館には入れなかったのかね?」
「みたいなことは書いてあったな。その図書館にかけられた結界を破壊すれば入れる、みたいなことはあったが」
「そんなことしたら子猿の呪術が……!」
私の発言に頷いた遠音は失笑していた。
子猿の呪術は境界の図書館に縛り付けるモノでもあった。
もし図書館の結界が破壊されたり、子猿自身が破壊したりした場合は、その図書館自体が無くなってしまう……つまり、子猿も人間の姿に戻ることなく消滅してしまうらしい。
私はそのことを調べて知っていたものの、如月さんもどこかでその情報を仕入れて知っていたようだった。
そこまでは説明していなかったためか、今の遠音の発言に香穂里は不思議そうな顔をしていた。
風見さんも同じような顔をしていたものの、関係ないと思ったのか話しを切り返す。
「それで、あの病院で魔物の研究をされていたというのは、本当のことなの?」
「さぁね。そこまではオレも解らん。ただ、咲九の母親はその病院の看護師をしていたらしくてな。そのことはちらっと書かれてあった」
「ねぇ、その如月の母親って、もしかして "如月 咲穂" とか言わない?」
香穂里の質問に遠音は目を丸くしていた。
なるほど……そこで繋がりますか。
ざっと香穂里がウチに来た経緯を話し、その後に双子という事実を話した。
これには遠音も驚いていたものの、詳しいことは省いて続ける。
「その人が "キサキ" という写真家らしくてね。その人の写真集の中に、何故か栗原病院の火災前の写真があったのだよ。だから不思議に思って遊園地内の展示会に行ったら、偶然にも千尋と風見さんに出会った。(展示会にはそれらの写真は一切、見当たらなかったが。)」
「その人が、2人の母上の、妹さん?」
「あー……なるほどな、そういう繋がりなのか」
風見さんの一言に遠音は納得した様子で続ける。
「咲九が何であんなに詳細に如月家の歴史を話ししてきたのか、やっと解ったわ」
「……遠音に?」
「あぁ」
そう言って遠音は自分の成り行きを話し出す。




