178 ☉(▲) 学園へ①
熟睡していたらしい私が朝の日差しで目覚めると、夜には隣に居たはずの紗穂里の姿が無いことに気付いた。
「……紗穂里?」
声を出しても解らない。
だから、目を閉じて紗穂里の気配を追った。
パパの時と同じようにすれば、と思い描く間もなく、すぐ近くでその存在を特定することが出来た。
『紗穂里?』
それがどのあたりでどんな地形か、までは解らなかった。
ただ、明らかに外だった。
だから上着を羽織って、少しひんやりとする朝靄の中を進む。
こういう時は黒い仮面もあまり動かないのか、平日の都内というのに凄く静かで人の気配すらしないという不思議な感覚だった。
大通りにも、車が停まっていても走っているものは無い。
進路が、穴はまだ無い方面だったことが凄く有り難かった。
余裕で道を歩きながら進めば、路地を入ってすぐに、その公園は存在した。
恐らくはその奥にあるだろうベンチに座る、安らかな2つの気配がある。
声をかけようとして、紗穂里ではない方が私を気付いた気がする。
静かな為か、その紗穂里の相手の声が聴こえて来た。
「お迎えが、来た……よ」
「……香穂里?」
紗穂里の返事があってすぐに、その当人がベンチから飛び下りて砂を踏む音がした。
相手がヒラヒラと手を振っているようで、紗穂里が相手を振り返ったのか、その長い髪が私に向いたらしい。
「き、気にしないで!」
相手はそう紗穂里に言っていた。
「お、俺は、大丈夫……だから。それに、ここで、やらなきゃいけないことが、あるから」
「ここで?」
「……うん。だから、本谷さんは、本谷さんの、やらなければいけないことを、やって……下さい。それが、結果的には、良い方向に、進む……と思う、から」
「……解った。要君も、絶対にあの黒い仮面なんかに捕まらないように、ね」
「解った。約束、する」
そう言い合ってから、紗穂里がこちらに真っ直ぐに近付いてくることが解った。
朝靄の中からやっと姿が見えたことに安堵して、私は紗穂里に近付く。
そして途中から走って来た紗穂里が飛び込んできたので、そのまま受け止めることにした。
紗穂里が要君と呼んでいた彼との話しは、気になったものの敢えて聞かなかった。紗穂里も話したくはないのか、彼のことに関しては口を閉ざしたままだった。
良く考えてもみれば、来年には嫌でも高校生になる。そんな年頃の女の子なのに、彼氏が居ないとは限らなかった。
特に紗穂里は、私の知らない所で漫画家の手伝いをしたり、自身の描いた漫画をサークルで販売したりもしている。
しばらく経っても、外に広がる朝靄は消えそうにもなかった。
それどころか、益々濃くなっているような気がする。
2人で部屋に戻っても、朝日が昇ってきて仮眠しても、霧は益々その白さを増し続けていたらしい。
仮眠から目覚めた、そんな時、唐突に声が聞こえた気がした。
『聴こえるか?』
それが永瀬だと気付いた私は答えようとして、しかし戸惑っていた。
相手の場所が特定出来れば声を届かせることも出来たが、今はその永瀬の場所が解らない。
だから安易に返事は出来なかった。
『あぁ、そうか、すまん。声を核や、お前の持つ十字架に集中して言ってみてくれ』
すぐにアンクのことだろうと思った私は、手からアンクを取り出して、それを永瀬に見立てて答えてみる。
『こう?』
その声が、何故かかなり遠くまで運ばれた気がした。テレパシーとはまた少し異なる感覚。
『上出来』
そう永瀬が答えてくれる。
が、下にみられた気がして少し嫌な気分になる。
『今からそっちに向かうが、家のドアをノックされたら相手の名前を聞いてくれ。もし本物のオレだったら、紗穂の本名を答える。それまでは、絶対にドアを開けるな』
『ど、どういう……』
という間にも、家のチャイムが1階に響いていた。
2階に居た私は慌てて下に降りる。
飲み物を取りに行っていて玄関の近くに居た紗穂里は、どこか嬉しそうに私を振り返っていた。
「そこに遠音が来ているみたいデショ!」
『待って、紗穂里! 開けないで!!』
珍しく大声を出していた。
紗穂里が目を丸くして、ドアノブにかけようとしたその手を止めている。
『それは永瀬じゃない』
『……どういうこと?』
『今さっき2階に居たら、永瀬が声をかけてきた。アンクを通して、ね。その永瀬が、ドアをノックして紗穂里の本名を答えるまでは、ドアを開けないでくれって言って来た。恐らくは、そのドアの向こうの永瀬は偽物なのだと思う』
『……もし、本物だったら……』
紗穂里が小さなドア窓から外を覗き込む。
そして、ドア越しに声を放った。
「遠音だったら、ボクの所属するサークル名を知っているはずだ。答えてくれないか?」
相手は知らないのか、返事は無かった。
しばらくして紗穂里が覗き込むのを止める。
「なるほど……そういうアクドイ手で来た、か」
「むしろ、今の私の話し、良く信用したわね……私もまだ、完全には信用していなかったのに」
『申し訳ないが、現状のオレもあまり余裕はない。説明は、そちらに着いたらする』
こちらの事情は解っていないのか、永瀬はそう言って一方的に話しを切ってしまった。
が、アンクを通して本人が話しをしてきたことは間違いないと思う。そういう機能があることは、何となく思い出していた。
「遠音は、前にボクの所属するサークル名を聞いて驚いていたし、会話が盛り上がったこともあるから覚えているはずなのだよ」
紗穂里は失笑しながらそう答えていた。
「それに、この濃霧はただの霧ではないって、要君が言っていたのを思い出したから」
「やっぱり。じゃぁ、この霧は一体?」
「要君は結界を張ってくれていたが……それに意味があるのかまでは、解らなかった。ただ、濃くなったら注意が必要だ、的なことは言っていたよ」
そんな時に、ドアがノックされた音がした。
紗穂里は覗き込みながらも首を傾げている。
しかし、すぐに覗くことを止めてしまった。
「どうしたの?」
「いや……ちょっと、彼にしては、有り得ないだろうと思って」
階段を降りかけていた私はそのまま紗穂里の傍まで進んだ。
そしてドアの外を覗き込む。
そこには、しっかりとした男の子の顔立ちをしているのにも関わらず、アイドルのようなスカートをはいた変人の姿があった。




