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169 ☉(☴▲) 一度きりのやり直し③

「凄い……!」


 それは、あまりにも一瞬の出来事だった気がする。

 千尋がどこからか取り込んでいた瘴気が一気に、全て尋雪に移ったのだから、それはもう、感嘆の声しか出て来なかった。


 しかし、その所為で尋雪の堕転は進行してしまう。

 体を重そうに、まるで引き摺るようにゆっくりと歩き始めていた。


「千尋の過去には、一度もこんなこと、無かったわ」


 唖然としていたらしい風見がそう言った。

 どうやら、私らよりも前から千尋の悪夢の中に居たらしい。


 しかし、過去に無かったということは、それだけ未来に進めている証拠なのではないかとも思えなくはない。

 それに、今のお陰で千尋の中に少なからず存在していた瘴気はほぼ全て消えている。


「そうか」


 私はやっと理解した気がした。


 当初は、千尋の兄・尋雪の殺害を阻止すれば、千尋が瘴気を吸い込むことは無くなるし、千尋が女の子と出会って堕転することも無くなる、そう思っていた。

 しかし、この場で尋雪が死ななくても、近い将来に起こる尋雪の魔力暴走、又は尋雪の悪魔の部屋によって千尋は巻き込まれて死んでしまうのだろう。実際、尋雪の放つ瘴気の量は限度を超えているように思えた。

 そう考えれば、尋雪はこの場で死んでおく必要がある。


 尋雪の死が避けられないのであれば、千尋を安全な場所まで逃がすしかない。


 その説明を2人にしながらも、1つの案を続ける。


「千尋が振り返ってお兄さんの最後を見なければ、女の子と会うことも避けられたのかもしれないな、と思ったんだけど」

「確かに、そうね」


 ほぼ即答で風見が答えてくれる。少し間を置いて理解したのか紗穂里も頷いたので、次の言葉を言うことにした。


「でも、それを避けられたとして、あの千尋は過去の肉体。本物の、私らの良く知る思念体の千尋はあそこに居るのか、という疑問は残る。とはいえ、今は解らないから考えても仕方ないのだけど。どちらにしても、思念体を見つけて私らのように過去の肉体から引き離せれば、思念体の千尋による悪魔の部屋化は阻止出来る訳でしょ?」


 確かに、と呟きながらも紗穂里は次の進む位置を指していた。


 既に土手沿いに入ろうとしているためか、周囲に建物どころか、看板すら少なくなってきている。

 この状態で隠れ続けるためには、紗穂里の能力が必要不可欠だった。


 今は紗穂里の土壁で3人の身を隠しながらも、紗穂里の休憩の為に稀にある建物の影に隠れているような感じだった。


『そ……は、まか……ろ』


 あの謎の声が聴こえてくる。

 少しイラッとしたものの、何となく意味は伝わった。


「それは任せろ、かな」

「ったく、肝心な時にしか答えないのは止めて欲しいわー」


 紗穂里の翻訳の直後に嫌味を言ったものの、それに対する返事はやはり無かった。

 私が溜め息をつけば、風見が口を開く。


「何となくだけど、電波障害が起きているのではないかしら?」

「……携帯じゃあるまいし」

「この悪夢の中で、瘴気の影響で障害が起きていることは、考えられないかしら?」


 その一言に私は目を丸くしていた。

 それに答えるように風見が続ける。


「私の住んでいた場所の周辺は、兄上の結界の中に存在していたの。兄上は瘴気を充満させていたから、どんなに頑張っても外に居る者とは会話が出来なかったわ」

「だとしたら、声の人は既に本物の――堕転しかかっている千尋を発見しているのかも。任せろってことは、そういうことじゃないかね?」


 紗穂里の一言に、俄然やる気が湧いて来る。


「じゃぁ、後は私らが千尋を振り向かせないように頑張れば、どうにかなるってこと?」

「それだけで悪魔の部屋化しないとは限らないが……まぁ、」


 紗穂里はそう言いながらも土壁の隙間から前を見た。

 あの例の場所が見えて来る。


「時間もないし、とりあえず1人はこっちで様子見して、残る2人は手分けして道の物陰に隠れていよう。2人の内、1人は例の少女を阻止し、もう1人は千尋を導く。もし、このまま悪夢が続くようだったら――このあたりに、千尋の家があるのデショ?」


 風見の頷きを見てから紗穂里は続きを言う。


「その千尋の家に集結すること。もし例の少女がこちらの計画に気付くか、こちらが千尋と会うのを阻止されそうになったら、千尋を導く人以外が相手になること。で、どう?」

「それなら、私が千尋を見張るわ」


 風見は答えながら薄過ぎる結界を張っていた。そして土壁から出ようとする。

 それを紗穂里が制止した。


「待って。風見さんでは、どっちに向かったのか合図が出来ないし、解りにくいデショ」


 その一言に一瞬だけ悩んだ風見が慌てて内側に戻って来た。

 安堵したのか紗穂里が続ける。


「見張るのは香穂里が一番適していると思う」

「あれ、紗穂里じゃないの?」

「この綺麗な夕日の中で土壁の巨大な影が不自然に出来ても良いなら、引き受けようか」


 確かに、良く見れば土壁は私らを十分に陰らせていた。まして夕日の作る影は異様に長い。

 それで合図しようものなら、余計に千尋を振り返らせてしまう可能性はある。


 想像して、思わず失笑を返してしまった。


「解ってくれたみたいで何より」


 そう答えた紗穂里は右側に見える細めの道を指した。


「風見さんとボクはこの道から大回りして向かうから、後は香穂里が上手く隠れて合図しておくれ」

「了解」


 そう答えてから、私らは別れた。




 ちなみに、我ながら雑な作戦だとは思う。

 でも、どうしたらこの悪夢から出られるのか、本物の千尋はどこにいるのか、何て誰も解らなかった。


 ただ何となく解っていることは、千尋の思念体を発見出来ていないことと、その千尋を堕転させてはいけないこと。

 それは不思議と、言葉としては共有していなくても、いつの間にか私らの目標になっていた。


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