163 ☴▲(☉) 悪夢か凶夢か⑧
温かい手に揺さぶられて私が目を覚ますと、そこは病院の一室の中だった。
私の目の前には無表情の看護師が居る。
が、いつもの看護師ではなかった。
「いつまで寝ているのですか?」
冷たく私に言い放つ。
「ったく、隣の子が退院して忙しいっていうのに、貴方と来たら……」
隣の子と言われて、私は大慌てで身体を起こし、ベッドから飛び降りて窓の外を見た。
病院の下には花束を持った少年が居る。
その両隣には、付き添うように老父と少女の姿が見えた。
『千尋!!』
心の中で叫んだ瞬間、私は思念だけを外に向けて飛ばしてしまったらしい。
振り返ると、羨ましそうに下を眺める私の姿が映った。
しかし、そんな自分に別れを告げてでも、私はその3人を追うことに決めた。
かなり長い時間、3人は歩いていたと思う。
病院を出た頃は、まだ若干東側に傾いていた日は、いつしか西の空を赤く染め始めていた。
もっとも、道中でお昼代わりの喫茶店に入っていたり、公園のベンチで休憩を取っていたり、おやつに屋台の鯛焼きを食べていたりしていた所為もあるかもしれない。
それでもゆっくりと、確実に土手に向かって歩いている。
そして、その3人の後方をゆっくりと、着実に何かが近付いて来る気配を感じていた。
私は必死に千尋に道を変えるように言っていたものの、聴こえていないのか無視され続けている。
そして、問題の土手に入る。
しばらくして、千尋が先陣切って階段を降りて行こうと走り出した。
その時だった。
その後方に居た気配が、突如として走り出して千尋に向かっていくことを感じとった。
「千尋!!」
しかし、私よりも先に動いたのは、松葉杖を持っていた少年だった。
松葉杖に退魔の力を込めてそれを千尋の近くに投げる。
それだけで瘴気を纏った相手は邪魔されたことに怒りを感じたのか、少年にその刃の矛先を変えていた。
少年の傍に居た老父が身構えている。
「千尋は何も悪くないんだ!」
少年は、相手を知っているかのような口調で話しかけていた。
相手の瘴気が一瞬だけ歪む。
しかし、それでも相手の姿はその瘴気の所為で見ることすら出来ない。
そんな光景を見た老父が手にして居た短剣を放っていた。
「おじいちゃん! ダメ――」
気付けば、老父の胸にその短剣が刺さっていた。
短剣がUターンした感じはない。ただ相手に刺さったと思ったら、いつの間にか老父に刺さっていた。
老父は胸を押さえて、しかし、瞬時に絶命したのか倒れてしまう。
それを見ていた千尋が叫んでいた。
少年は悔しそうに下唇を噛む。
「本当は、もっと早くに、俺が君の病気を解っていれば、良かったんだ。だから、千尋は悪くない。お願いだから、千尋にだけは、手を出さないでくれ……!」
「おにい……」
「千尋は、こっちに来るな! 逃げろ!」
少年の罵声に慄いた千尋が身を竦ませた。
それを相手が振り返り、やはり千尋を狙っているのか、近付こうとする。
それに気付いた少年が、そんな相手の前に立ちはだかった。
「お願いだから……少しだけで良い。時間を、くれないか」
相手は動きを止めていた。
相手の醜い声が周囲に響く。
しかし、少年には理解出来たらしい。
少し微笑んでいた。
「ありがとう」
振り返って千尋を見、千尋に駆け付けた少年は何かを千尋に伝えていた。
そして、首からネックレスを取ると千尋にかけてあげている。
「家に走って戻るんだ。そして、おじいちゃんとお兄ちゃんがここに居ることを、お父さんとお母さんに伝えるんだ。良いね? お兄ちゃんとの約束だからね?」
「いや……いや……!」
「いやいや、じゃないよ。お兄ちゃんは、入院していても、いつだって千尋の傍に居ただろう?」
そう言いながら少年は千尋のネックレスを指す。
「これからも、お兄ちゃんは一緒に居る。だから、早く家に戻るんだ。良いね?」
しばらくネックレスを見ていた千尋だったが、コクンと頷くなり、家に向かって走り出す。
その背中を見送った少年は相手を振り返った。
ギリギリだったのか、相手は今すぐにも千尋を追いかけそうな雰囲気を出している。
「待たせたね」
少年は手を震わせながら答えた。
そして答えながらも強固な結界を張っている。
GOを出された相手は千尋を凄い勢いで空から襲おうとするが、結界に阻まれて地面に落ちた。
その衝撃だったのか、少年のギブスをした右足が不自然な方向に折れる。
少年の顔が痛みで歪んでいた。
「そうやって、相手を傷付けることで現実逃避しているだけだってことは、解っているんだ」
少年はそう言いながらも、器用に左足だけで相手に近付いて行く。
「自分が傷付きたくないから、自分を守りたいから、傷を敢えて相手に返して誰も近付かないようにしているだけなんでしょ。実際には、病気でも何でもない、ただの我儘――」
「チガウ!」
相手が醜い声で否定し、少年の腕を折る。
少年は倒れ込んだものの、その笑みは変わらない。
「じゃぁ、何で一緒に遊んだ時、君は俺の所為で怪我をしたのに、俺はどこも怪我をしなかったの? 本当は、抑えようとすれば抑えられるんじゃないの?」
「チガウ!」
今度は少年の左足が折れた。
それでも、少年は不気味に笑っている。
地面に転がったままの少年は嗤う。
「君はそう、単純に自分が傷つくことが嫌だっただけ。君が欲しがっている友達は、ただの人形なんだよ。痛いこともありえるのが友達なのに」
「チガウ!!」
今度は、少年の首が飛ぶ。
それでも少年は嗤っていた。
「お友達ハ、私ノ願いヲ、聞いてクレるノ。欲しイノ、何でモ、クレるノ」
「そう。じゃぁ、俺が身を以って教えてあげるよ」
相手から瘴気を貰っていた少年は、自身の身体諸共、その瘴気をドロドロとした不気味なモノに変化させていた。
それを見た私は息を飲む。
前に、このドロドロとしたモノをどこかで見た記憶があった。
その記憶に辿り着く前に、少年は相手に向かってその瘴気を放つ。
「痛タ……イ……!!」
相手はその瘴気に纏われていた。
振り返った千尋がその光景を見つめ、目を丸くさせる。
ドロドロしたモノは巨大な鎌となり、様々な所から顔を出していた。
その鎌が、一気に中央の相手へと返ってゆく。
相手はその中で微塵切りにされ、瘴気と共に空中で散った。
「い、いやぁ……!」
千尋が頭を抱え、どうしようという表情をしていた。
そんな千尋の周囲に、散っていた瘴気が集まっている。
『千尋、ダメ! 反応したら、ダメ!!』
私は慌てて千尋の元に行こうとして、背後から誰かに引き止められてしまう。
その気配と魔力で、私は我に返ることが出来ていた。
**********
▲ 視点
**********
千尋達の様子を窺っていた私達は、風見さんが自ら進んで瘴気の渦に入ろうとしているのだと気付いた。
だから、それを引き止める為に動く。
しかし、真っ先に辿り着いたのは、私では無く香穂里だった。
『全く、肉体が無いのは不便だよね』
そう愚痴りながらも炎を纏い、その炎で風見さんの周囲の風を絡み取る。
だから私は結界だけを作り、瘴気による攻撃がこちら側に来ないようにした。
私を振り返った風見さんが失笑する。
『助かったわ。私まで堕転してしまう所だった……』
『早急に我に返ってくれたのは有難いけど、当の本人、千尋はどこに居るのよ?』
香穂里に訊ねられ、風見さんは頭を横に振っていた。
もっとも、その答えは既に解っていたために、私達も溜め息をつくことしか出来ない。
3人でその瘴気の渦から離れ、千尋を探した。
そして、それはすぐに発見できた。
しかし、既に過去の千尋は堕転し、今にも悪魔の部屋を作ろうとしていた。
「いや……いや…………」
「何が嫌なの?」
急に、千尋の傍に1人の少女が現れた。
その少女に千尋が驚いている。
が、少女は気にせず千尋に笑いながらも食ってかかる。
「ねぇ、何が嫌なの?」
「お兄ちゃんが――私以外の人に、殺されたこと」
その一言に、私達はほぼ同時に耳を疑っていたのだと思う。
目を丸くして千尋とその少女の様子を窺った。
少女はニヤリと笑っている。
「まだ、嫌なことはあるのでしょう?」
「あるけど……」
「話しちゃえばいいじゃん」
少女はそう言いながらも、舐めていた飴を千尋の口に突っ込んだ。
その行為の所為か、千尋の堕転が集束していく。
しかし、その集束はあまり良くないと私達は気が付いた。
「お兄ちゃん――私のこと、守ってくれなかった。おじいちゃんも、お兄ちゃんのことを守っていた。いつも、いつも、みぃんなお兄ちゃんのことばっかり。私のこと、誰も守ってくれないの。だから、お兄ちゃんを殺すのは、私じゃないとダメなの。なのに、大きな鎌を持った子が、殺しちゃった」
「じゃぁ、復讐しなきゃダメだわ!」
少女は答え、千尋の心に完全なる闇を落とす。
オーラが黒く染まり、周囲には黒い結界が生まれつつあった。
それらは、千尋が完全に堕転したことを私達に伝えていた。
「そのお兄ちゃんを殺した子に復讐するの。その子を殺せば、お兄ちゃんを殺したことになるの。そうしたら、貴方の夢は叶うはずよ?」
「復讐が、夢……? それ、良いね……」
『……千尋?』
風見さんがその名前を呼んだのも、無理は無かった。
その千尋は、私達が良く知る千尋の雰囲気に変わっていった。
純粋で綺麗な水色が、私達が知っている千尋の濃い青色に変わっていく。
つまり、私達は既に堕転した千尋を良く知っていた、ということになる。
そして、千尋のその復讐を果たしたい相手は――。
『これって、事実を伝えたらマズイパターンじゃないの?』
香穂里が私達に言った。
瞬間、私達の隣に "誰か" がやって来る。
『彼女には夢があったの。だから、誰よりも大人びた考えをし、誰よりも孤独を愛し、自分の意思を捨て無心になり、他者の心に成ることを選んだ。その結果が、今の彼女』
”誰か" は既に輪郭だけだったが、何となく察した私は答える。
『キャラクターを演じることで、成りきることで、自分の空いた心を埋めようとしていた……君はそう言いたいのデショ。でも、違う。千尋はやっぱり、優しい心を持っていたのだと思う。だからこそ、上手く浸け込まれただけ』
『そうね。意思が無かった訳ではないわ』
風見さんの答えに "誰か" が黙り込む。
『私らだって堕転しなかったんだから、探せばどこか抜け道があるはずよ』
香穂里の一言で "誰か" が微笑んでくれた気がした。
『この4人なら、任せられる気がしたわ』
そう答えた "誰か" は私達の傍から離れて行く。
『悪に囚われた千尋を助けてあげて。その為のチャンスは、一度しか与えられないけど』
その声と共に、不思議と私達の目は急に重たくなっていった。




