129 ☈ 覚悟
私が山神の元から解放されたのは、それから数日が過ぎてからだと思う。
やっとの思いで神社まで戻って来てフラフラだったものの、結界に踏み込んですぐ異変に気付いた。
いつもなら、敷地に足を踏み入れたら半ば強制的に境界側の神社に行けていた。にも関わらず、今日は地界側の神社に出ている。
こちら側は参拝客もそれなりに多いので(といっても1日に10人くらいで、大半は地元住人らしい)、あまり来たいとは思ってもいない方だった。
それに、何故か岸間の魔力が所々に浮いている。が、普通に来ただけなら1ヶ所又は筋状でまとまっているはずだが、なぜか点在していた。
「お帰りなさい」
不意に鳥居の上から蓮の声がした。
蓮は普通にそこに座って足をブラブラと揺らしている。
蓮がこちら側に居ることは大して珍しくないらしいが、それでもこの異変に気付かない訳でもなかった。
神社の周囲にいくつもの悪鬼の気配がある。それも、悪神に近しいほどのオーラを纏っている。
でも、この敷地に足を踏み入れないのは、それだけ神社が神聖な場所だからなのだろうか……それとも、結界を越えるのが大変だからなのだろうか。
「そのどれも不正解」
何故か咲九のように心を読んだ蓮が答える。
「姉さんが僕達から気配を消しつつ、悪鬼には気付ける程度で逃げ回ってくれているからここに近付かないだけ、ですよ。尤も姉さんのことだから……そのまま死に絶えるつもりではないですかね?」
一瞬、理解が出来なかった。
が、このまま咲九が死のうとしているのだと理解して目を丸くする。
「何だと?!」
「お兄さんはこの数日間、必死に探していますよ。だけど、依然見つかっていないですね」
そう答えた蓮はやっと鳥居の上から私の前に下りて来る。
「先に言っておきますが、その間、僕がこの神社に結界を張って守っている、ということですよ」
「ここは、そんなに大切な場所、なのか?」
「こちらには元音神が1人で守り、1人で住んでいますからね」
そう言って蓮が境内を見れば、この地界の神社の正式な神主が座ってお経を読んでいる背中が見えた。
何度かは会って会話をしたことがある、リュウ様の実の父親。咲九と蓮だけではなく私のことまで受け入れてくれるくらいだから凄く優しい性格だと思っているが、そうでもないらしいことはリュウ様も蓮も呟いていた。
「今は魔力を殆ど失って霊力しか無いみたいですし……こんな時に悪鬼に執り憑かれても厄介ですからね。まぁ、そこまで軟な方でもないのですが」
元音神だったことまでは知らなかったものの、確かにそういう人が居てもおかしくは無い。また、そういう人が真っ先に狙われることは良く解っていた。
だからこそ、咲九は少しでも目を逸らさせようとしている、ということらしい。
「ちなみに、境界側――僕達が住んで居た方は消えました」
「……え?」
思わず、耳を疑った。
あちらには貴重な神器が封印されていたはず。
「あちら側は元々、壊れかけていた所を音神が雷神の為に守っていた場所でしたから、お姉さんが雷神としての自覚を持ち、その神器を姉さんから受け取った時点で、あの場所は不要になっていました。ひとまずは、この森を雷神がきちんと守っていれば悪鬼が侵入してくるようなことも無いと判断されたのでしょうね」
咲九に言われて私が守護神の範囲内から出てしまったことで、恐らくは森の結界の力が弱まってしまったのだと悟った。
即ち、遠回しで悪鬼が森に来ているのは私の所為だと言われている気がした。
「そうですよ?」
蓮はあっさりと私の意思に答える。
「姉さんに言われても、お姉さんが結界から出ていなければ、こういうことは無かった。しかも、本来なら僕がお兄さんの代わりに姉さんを探せれば良かったのですが、既に契約条件をクリアして解除されてしまった僕では、姉さんとの繋がりがあまりにも薄いので探せないのですよ」
「条件が、切れた?」
「えぇ。お姉さんが山神の所に数週間も籠っていた間に終えてしまいました」
そこで蓮はニヤリと不敵に笑った。
「……数週間、だと??」
数日間のはずだった。
が、蓮は今、数週間と答えた。
「そうですよ? 山神の神社の中はこちらより早く進んでいます。まぁ、あれでも近年は近寄りつつある方なのですが」
「何だと……」
それだけ居なかったら、現状がかなり悪い方向に進んでしまっていることも理解出来る。
「尤も、姉さんはその程度、お姉さんが居なくなることを承知で送り出したみたいですが」
そう言いながら蓮が見せてくれたメモ用紙には、『明日あたりに遠音が帰って来ると思うから宜しく』とだけ書かれてあった。
「これが僕の寝床にあった時は正直驚きましたよ。いつ結界の中に入って、いつ出て行ったのかと」
「それほど気配を絶っている、と」
納得するしか無かった。茫然と神社を眺める。
――まるで浦島太郎のような気分。
「……そろそろ気付いて下さいよ」
ワザとらしく呆れた表情の蓮が失笑する。
「僕が何者なのか……どうして隙を見せている時に覗き見ないのですか?」
「どうでも良いと思っているから、だろうな」
正直に答えて溜め息をついた。
蓮の正体よりも、最近はずっと咲九を救いたいと思っていた。
咲九に会って、ここに岸間が来た理由を問い質したい。そもそも、どうして山神の元に私を送り込んだのか理由も聞きたかった。
もし私がここに居たら、何が何でも、境界をも守っていたと思うから。
「それは無理な話しですね」
蓮はまたも私の意思を読んで答えていた。
「境界側は元々、限界だったんです。それが例え姉さんだったとしても、境界を守護できる神ではないと無理なんです。他者に契約された空間を守護するということは、森と違ってそれだけ厄介なんですよ」
「何でお前、さっきっから咲九みたいにオレの心を……」
と言いかけて、私は蓮の手にしている神器に気付く。
一見、普通の人が見てもそれはただの黒い杖にしか見えないだろう。しかし、雷神の記憶から蓮が何の神様であるのかを悟った。
「お前……まさか、」
「やっと解りました?」
蓮は不敵な笑みを浮かべて答える。
「ちなみにコレは、姉さんから核と共に直接、受け継いだモノです」
「……待て。ということは、咲九もあの神主と同じで、元神様だったってことか?」
「そうです。ただし、姉さんが僕にコレをくれたのは、僕の命が尽きそうだったからという単純な理由です。だから僕は姉さんの条件を呑んで契約したんです。命を、核をくれた姉さんを守りたかったから。だけど、それももう限界でした」
「限界って?」
「条件をクリアしなければいつまでも契約は続きます。だけど、それでもし主が死んでしまったら、契約している者が主の後釜にならなければならないんです。でもそれは、姉さんの望みではなかった」
あの時、咲九は鳥籠の核と一緒に死ぬのだと言っていた。
それが咲九の願いなら、蓮は契約を解除するしか方法が無い。例え条件をクリアする方法が全て揃っていたとしても、クリアしなければ永久に解除しなくて済むのだから。
「しかし、僕は条件をクリアして契約を解除した。そうしなかったら、今頃の姉さんは魔力が尽きていたと思います。契約していると、主の魔力が僕に注がれ続けてしまいますから」
「じゃぁ、リュウ様にも魔力が……」
「そうなりますね。だけど解除しないのは、他に理由があるから……かもしれないですが、今の僕では解りませんし、解ろうとも思っていません」
冷たく言い放った蓮は腕を組んだ。
「所謂、嫉妬という感情なんですかね。正直、僕にも解らない関係が2人にはあるみたいなんです」
「その気持ち、解らなくもないけどな」
「……解るんですか?」
不思議そうに蓮は私に首を傾げていた。
だから頷いて答える。
「解るも何も……誰にでも持ち得る感情なんじゃないか? もしお前が咲九と楽しそうに会話をしているのを見ていたら、きっとあのリュウ様だって嫉妬するんじゃないか?」
「そう……なんですかね?」
「そういうオレだって、咲九みたいに幼い頃から記憶があって魔力も強かったら、今頃はリュウ様の代わりに咲九のことを探しに行っていただろうな、と思うし。これも一種の、咲九への嫉妬みたいなもんだろ。他人を見て少しでも羨ましいと思ったら、それは嫉妬だろ?」
「……これが、嫉妬なんですね」
蓮は胸元に手を当ててギュッと服を掴んだ。
きっと独りで悩んで辛かったのかもしれない、何て同情する。
「僕にはまだ解らないことが多いんです。沢山の単語を知っていても、意味を解っていても、実感をしていないために解らないんです。だから、姉さんとの契約だって……本当は切りたく無かった。もっと姉さんに色んなことを教えて欲しかった」
今まで我慢していたらしい蓮の言葉が詰まる。
次第に目から涙を流し始めていた。
私よりも長いこと咲九の近くに居たから尚更辛いのだろうな、何て思いながらも、ある程度は覚悟をしていただけに――何となく、咲九がいつかは私の前から居なくなってしまうことを知っていただけに、私は泣くことなく訊ねる。
「……なぁ。どうしたら咲九は死ななくて済むんだ?」
「今のアンタらに出来る方法は無い」
急に背後の上空から声がして振り返れば、結界のすぐ外側、樹の太い枝にリュウ様が立っていた。
「むしろ、アンタがその方法を使ったら咲九の今までの行動が無駄になる」
「(それは即ち、)方法はあるんだな?」
「……ただし、それは俺の賭けでもある」
リュウ様はそう答えて下に降りて来てくれた。が、結界の中には入って来ない。
「それをすれば、恐らく咲九の延命は出来る。だが、代わりに俺は消滅する」
「なっ?!」
予想していなかった単語にも蓮は驚いてはいなかった。
それどころかリュウ様から目を背けている。
「俺の全部を使ってでも、それだけ咲九が頑張って守ってきた未来を見せてやりたいと、そう思っている。それだけ咲九に何度も助けられたからな。それに、咲九の中で俺が生き続けられるのであれば、それで良いと思ってもいる。その覚悟で俺は咲九と一緒に居ることを望んだ」
蓮が涙ぐんだその目でリュウ様を見た。
リュウ様がそんな蓮に語りかける。
「お前には、その覚悟があるか? それだけ咲九に恩を感じているか? ……違うだろ。お前は咲九に、ではなく、龍子――俺の妹に恩を感じているんだろ?」
「っ……」
「リュウコ……?」
「俺の義理の妹だ。訳あって家出中なんだが……まぁ、こちらの事情はアイツも理解しているからか、ここにはもう二度と来ないと思うけどな」
リュウ様は私を見てそう答え、蓮を見る。
リュウ様の答えが本心だったのか、蓮は何も答えようとしていなかった。
「黒猫の化猫だったお前が、傷付いて森の中で倒れていた所を助けてくれた龍子に、お前は吸血鬼と化してしまったものの血を分けてくれたアイツに恩を感じているんだろ?」
「どうして……」
「それだけお前と一緒に居たから、だろうな。お前が龍子を助けたいと思っているように、俺も咲九を助けたいと思っている。だが、それぞれやれることが違う。だから、これは仕方ないことなんだ」
そう答えたリュウ様は私を見る。
リュウ様の目は既に意を決めているようで、私は何も言えなくなってしまった。




