122 ☴(⛩▲) 廃病院②
記憶が無いこと――それは、偶然の一致にしては不自然に思えた。
きっと、それは千尋も本谷さんも同じ考えだったのだと思う。だから "風神の記憶" を信じて一緒に入ってくれたのだと思う。
病院の中は、今でも当時の現状が生々しく残されていた。
死体も骸になって足元に転がっている。
千尋も本谷さんも嫌そうな顔をしていたものの、私はそのまま真っ直ぐ進み、恐らく待合室だっただろうそのロビーの中央付近で立ち止まった。
――おかしい。
通常ならば、こういう事件のあった廃墟には最低でも悪霊の1匹は住んでいて、その悪霊が人間を襲いに来るはずだった。
だけど、ここにはそんな悪霊の気配すらしない。それどころか、これだけの異臭にも関わらずネズミやハエの1匹すら居なかった。
瘴気の所為でこちらの感覚が鈍っているのだと思って研ぎ澄ますものの、それでも気配は全くと言っていいほど感じられなかった。
『悪霊の気配すらしない……』
『その、"神毒" とやらの所為なのデショ?』
『悪霊すら寄せ付けない毒って……何か相当ヤバそうじゃない?』
千尋と本谷さんの会話に耳を傾けながらも、私はゆっくりとその場で目を閉じてみる。
入院していた私は看護師と共にここで誰かを見送った。
その後に、8階の自分の部屋に戻って、窓からその松葉杖を使用した誰かがおじいさんに支えられて、ゆっくりと駅に向かって歩いて行く誰かの様子を眺めていた記憶が戻る。
あの時は看護師が居てくれたけど、普段の時はエレベーターのボタンが押せなくて、仕方なく脇にあった階段を使った気がする。
『大丈夫』
自分に言い聞かせるようにして目を開け、2人に右側を指しながら伝える。
『あっちに階段があるわ。それを使って8階に行きたい』
『『8階?』』
後ろの2人がほぼ同時に答えていた。
私が不思議そうな顔をして振り返ると、既に2人が驚いた様子で互いに見合っている。
何となく、嫌な予感がした。
『もしかして、千尋の兄上も、岸間さんも、8階に入院していたの?』
あの時、貴も同じ8階に居た。だから、ここまで一致しているのであれば……。
『この建物は9階建のはずデショ? 内、病室は3階から上のはず』
本谷さんはそう答えながらも、私に先に進むよう背中を軽く押して来る。
そのまま階段の方へ歩みながらも本谷さんは続けた。
『なのに、揃いも揃って8階はおかしいデショ』
『当時の割り振りとか、残っていれば良かったのだけどねぇ』
千尋はそう答えながらもカウンターあたりの奥を覗き込んでいる。が、まぁ大体が焼けてしまっていて残ってはいないだろう。
千尋は溜め息をついていた。
『仕方ないわ。でも、思い出したこともあるの』
私はそう答えながらも階段を登り始める。
火災があったというのに階段はかなり頑丈に出来ていた。流石は病院、ということなのだろうか。
2人も最初こそ恐る恐る1段目を登っていた。
『8階には子供しか居なかったわ。そして9階は関係者以外立ち入り禁止だったのにも関わらず、何人かの子供は先生に連れられて9階に向かって行く所を見た気がするの』
『9階……』
『……あと、ね』
あの時の私は、階段に突如現れるその存在の意味が解らなかった。
だけど、今なら解る。
そこで切った私は先に進んだ。
そして、7階から8階へ向かう所に突如として現れる巨大な鉄製の門の前で立ち止まる。
返り見れば、千尋も本谷さんも驚いて言葉を失くしていた。
『何よ、これっ?! まるで逃げられないようにされているような……』
『2人は両親や背の高い大人と一緒にエレベーターでお見舞いに来たのでしょう?』
私はゆっくりと話し出す。
辛くは無いはずの記憶なのに、こんなにも伝えることが心苦しいとは思っても居なかった。それも、今し方思い出したばかりの記憶のはずなのに。
『だから知らなかった、それだけよ。エレベーターのボタンは何故か子供の手が届かない場所に配置されていたわ。それは子供が外に勝手に出てしまうことを恐れたため。私達はこの檻の中で "神毒" の人体実験を強要されていたの』
入院していた日々は、当時の私でも苦痛だった。
同じ病室なのにどんどん仲間が消えてゆく不安。
私だけが取り残されてしまう不安。
仲間が発狂し、仲間を殺め、仲間を裏切る日々。
1日2食は毎日のように肉料理で、どれも決して美味しいとは思わなかった。
その食事も土日には途絶え、薬で強制的に眠らされる。
その間に、無意識だった私も沢山の仲間を殺めていた気がするほどに、神経はかなり病んでいた。
それらが悪夢だったのか、現実だったのかすら解らない。
そこで出会った仲間の1人が唯一無事に退院したあの日、どれだけ自分のことのように喜んだか。
それだけは良く覚えていた。
だけど、その日の午後には兄上が迎えに来て、自分にも訪れた喜びさえも、帰宅直後に兄上によって奪われた。
鉄製の門は火災の時の影響か、軽く押しただけで大きな音を立てて後ろに倒れてしまった。
音が響いて余計に頭が痛い。
だけど、ここまで来て引き返す訳にはいかない。
普段は閉められていたものの、ある看護師がこっそりと開け方を教えてくれた。
その方法で脱走を試みたこともある。
だけど、薬が切れて道中で倒れ、気付くと病室の中で縛られていた、なんてこともあった気がする。
ただ、それもかなり昔の、薄れかけていた記憶。
何度も失敗したから、脱走する気力も失くしていた、と思う。
そんな懐かしい記憶に想いを馳せつつ、私はその門を飛び越え、その先へと進んだ。




