117 ☴(⛩) 祖父たちより
燃やされた方の手帳には大したことは書かれていなかった。
逃げながらだったのでちらりとしか見れなかったものの、最後のページにも兄上との楽しい日々が綴られていただけで、今までに思い出したことと内容に大差は無かった。
ちなみに、急いで戻った千尋の家族は無事だった。
ただし、私達の居た母屋は半壊させられてしまったので、今は皆で離れの家に雑魚寝をしている。
千尋の母上のお陰で結界は直り、今は夏の虫が鳴り響くほど静かな月夜になっていた。
そこから少し離れた縁側に座り、私はそっと、もう1冊の手帳を開く。
××年8月7日
千夏が赤子を生んだ。娘だったそうだ。
妻から一報を受けながらも、私はその場に立ち会えなかったことを無念に感じる。しかし、頭首としての責務と規律は守らなくてはならない。だが、千秋には私と同じ思いをさせたくはないと思う。
(中略)
△△年8月7日
純の6歳の誕生日だというのに、この日に限って定例集会を開くとは。近頃、千秋が何を考えているのか解らない。不気味なほどの笑顔をするかと思えば、満面の笑みをする時もある。これが岸間の血縁者の証なのだろうか。正直、恐ろしい。
(中略)
○○年8月6日
昨日、千秋が禁術を使用して千夏と悠君を殺害したらしい。千夏は実の母親だというのに。現場は騒然としていたが、私は純と貴のことが心配だったので搬送された病院へと急いだ。ところが、そんな子供は運び込まれていないと言われ、信じられなかったので自分の目で1部屋1部屋確認したものの、そこに純と貴の姿は無かった。
仕方なく事件の起きた家に戻ると、既に撤収していたのか誰も居なかった。だから屋敷に戻る。すると、何故かは解らない。急激な眠気を催した。歳の所為だろうか。
○○年8月13日
目が覚めたら数日が過ぎてしまっていた。6日のことも今日中には書いておく。
千秋が屋敷に戻って来ていた。いつの間にか屋敷は広くなっている。だが、誰も私に挨拶をしてこない。両親を殺したことを千秋に問い詰めたらあっさりと認めたものの、それは両親が千秋を殺そうとしたからだと話された。しかし……あの千夏と悠君が千秋に手を挙げることなど有り得ない。とはいえ、誰もあの現場で何が起こったのかは解らないのだからどうしようもなかった。きっと純と貴も殺されたに違いない。死人に口無しとは良く言ったものだ。
こんな会話をする間にも、千秋の傍には4人の女性が縛られて座っていた。誰もが話しを静かに聞いている様子だったから気にも留めなかったものの、良く考えてみればおかしかったかもしれない。
その日は、たったそれだけで疲れてしまった。病み上がりだったからだろう。少し寝ることにする。
○○年8月14日
足首に激痛を感じて夜中に目が覚める。しかし、胸元から下を動かせそうにも無い。背中に入れていたこれを取り出し、辛うじてこのことを書こうと思う。
鏡があって解る訳ではないが、幽体離脱の方法で自分の肉体を見て理解した。私の胸から下が腐っている。筋肉質だった足は腐敗臭まで放っている。
これは、おかしい。どう考えても眠って数時間でここまでにはならない。だから霊体のまま部屋を出てみた。外の景色にも大きな変化は無いことから、まだ1年は経っていないだろう。だとしたら、千秋が私をも殺そうとしているのではないかと考えた。が、昨日の千秋が居た部屋には誰の気配も残っては居ない。だが、ここが今の魔力で行ける限度だった。
○○年8月15日
今日が私の最終日だろう。
千秋にこの存在を知られてはいけない。だから、私の核に手帳を契約させておく。
千秋は死神を名乗っているが、あれは死神では無い。死神は他に居る。
純と貴が大人になる姿を見たかった。
私が無力だった。許して欲しい。
手帳の記録はそこで終わっていた。
もっとも、この記述部分は写しだったようで、この記述の前にそのような記述がされていた(しかし写した当初の私は理解していなかったらしい)。
それを読んでも涙が出なかったのは、凄く複雑な心境だったからかもしれない。
これを読む限り、私の本当の両親は千夏と悠という人物だったらしい。
でも、私の記憶の中には生きている両親も居る。こっちの両親との記憶は、風神の記憶と殆ど同じだった。
場面と構図は同じなのに、両親の顔だけが違う。記憶を奪われていただけではなく、改竄までされていたということなのだろうか。
でも、そこまでして私達を生かしておく理由が解らない。
いっそのこと、私達を殺してしまったら楽だったのではないか。
「純、」
名前を呼ばれて振り返れば千尋が立っていた。
その手にはオルゴールを持っている。
「これ……多分、私のおじいちゃんが書いたものだと思うのだけど……見てもらえない?」
そう言ってオルゴールの中を見せられた。確かに、機械側に何かが納まっている。
私はそっと、機械を傷付けないようにその紙を抜き取った。
「やっぱり」
千尋は意味深な言葉を呟いた。
不思議に思って千尋を眺めていれば、千尋はオルゴールを置いて私の隣に腰をかける。
「私では結界の所為で抜き取ることが出来なかった。だから、もしかしたら純宛に書いたのではないかと」
千尋の祖父が、つまりオルゴールの持ち主だった人が私宛ての手紙何て書くだろうか。
そう思いながらも小さく折り畳まれたそれを開く。
『風神へ
これを見ているということは、無事に核を手元に戻されたことでしょう。風神の核が無事で何よりです。
これから書くことは、貴方が風見家の清き正しき者だと見込んでお伝えします。
昔から、風見家は境界側を、宮本家はこの地界側の土地を守ってきました。外の世界から本来の世界を守る為にも、この関係はずっと切れないものだと思っています。
ですが、今の風見家は境界を守るどころか、境界を冒し、あろうことか境界から悪霊を地界に送り込んでいます。風見家がある森は人間から忌み嫌われ、やがては森そのものを、更には各地にある境界をも消すことになるでしょう。
天界を失った今、現存する境界を失えばこの地界も何れ消滅します。消滅を避ける為にも、本来の有るべき世界に戻さねばなりません。ですが、それは同時に風見家の中の誰かが犠牲になることを意味しています。
それでも貴方は先に進む覚悟がありますか?』
私達は同時に唾を飲み込んでいた。
千尋の祖父は未来に起こるこのことを、当時の時点で既に解っていたということになる。素直に恐ろしいと思った。
だけど、それよりも世界の消滅という点は、どんな未来予知よりも遥かに恐ろしかった。
――でも、覚悟なら既に決まっている。
「純……」
「覚悟なら当の昔に決めていたし、解っていたこと。だから、もう迷わないわ」
その発言をした、その時だった。
急にその手紙に続きが現れていることに気づく。
それはゆっくりと、しかしはっきりとした手紙と同じくらい黒い字で書き込まれてゆく。
『ならば、大火災のあった病院に向かいなさい。
あそこには未だに、当時のまま、全てが残されてある。
千春殿が亡くなられた原因もそこで解るでしょう。』




