114 ☴(⛩) 残酷な過去
古い地図を見てみたものの、どこに自分の家があったのか、までは解らなかった。そもそも、地図上で場所を確認したことすらなかった可能性が高い。
私が過去に森を走ってその場所まで行けることが出来たのは他人のオーラや雰囲気を辿っていたからであって、道で覚えていた訳ではなかったのだから仕方ない。
もちろん、沢山いるお弟子さん達にも首を横に振られてしまう。
「予想はしていたけど、……やっぱり、難しいわね」
千尋の呟きに私まで溜め息で答えてしまっていた。
オルゴールから風神の核を取り出して大元の球体に戻したものの、その球体はまだ完全では無かった。ヒビのような薄い溝がまだ埋められていない。
何となく、そこには大切な私の記憶があったのだと思った。
しかし、そこは兄上に奪われてしまっている。
千尋と一緒に街を案内してもらいながらも、何か手掛かりはないかと探った。
それを数日続けても、やはり思うようには見つからなかった。
そうこうしている間にも、黒い仮面の集団は結界のすぐ外で結界を壊そうとしている。
千尋が言わなくても、気付いていない訳では無かった。
しかし、今はその黒い仮面すら恐ろしく思う。
「どうしたら良いのかしら……」
本当は、ムラオカや紫に聞くのが一番早いことは解っていた。
でも、2人はこの結界には入れない。
しかし、私や千尋が結界の外に出れば――恐らくは黒い仮面の集団に拘束されてしまうと思う。
一か八かで飛び出すよりは、今はまだここで、期限ギリギリまで粘ってみた方が良いと判断した。
「兄が生きていたら……」
「前に言っていた、千尋の兄上?」
「そう。兄は森が大好きで、私に色んなことを――あっ?!」
千尋が何かを思い出したらしい。素っ頓狂な声を上げていた。
そして嬉しそうな表情で私を振り返る。
「そう言えば、アケビの木の近くに自縛霊が居た気がする!」
「自縛霊……?」
「その自縛霊だったら詳しいかもしれない! こっちよ!」
良く解らなかったものの千尋が走り出していたので、私は渋々ついて行くことにした。
魔力を使って1分ほどで着いたそこで、お地蔵さまが笑顔で迎えてくれていた。
それを見た私は思い出す――そう、確かこの近くにアケビの木があったことを。
その延長線上に、あの小屋が存在していたことを。
このことを千尋に伝える前に、既に自縛霊が表に出て来て私達を待ってくれていた。
『何だ、水の巫女様ではないか!』
幼い子供の姿をした半透明の霊だった。
しかし、異様なほどの魔力を持つその霊は、お地蔵さま以上の笑顔で千尋を見つめている。
『どうかしたのかー?』
『昔、ここに風見家の家があったと思うのだけど……知らない?』
千尋の質問に大きく頷いた霊は、やはり思い出した小屋の方角を指す。
『でも、今は誰かの境界に入っちゃっているから……凄く解りにくいと思う』
『キョウカイ?』
『この地界とは別次元の世界のことだよ。あっちの世界には、簡単には行けない。それに、もし行けたとしても、出て来る為にはこの世界から名前を呼んでもらわないと道が解らないようになっているんだって聞いたことがあるよ』
黒い鎖をジャラジャラと鳴らした霊は続ける。
『まぁ、僕みたいにこういうのがあれば、簡単に戻って来られるとは思うけど……あ、でも、そもそもコレの所為で入口まで行けないから、僕が入ることは出来ないよ?』
『そっか。でも、ありがとうね』
千尋はそう答えてから私を振り返った。
「どうする?」
「決まっているじゃない」
恐らくは、全く同じ考えだったと思う。
私が境界に入って、外から千尋が私を呼べばいい。
簡単に行けないと言っていたものの、そもそもその入口を見つけなければお話しにもならない訳で。
「とりあえず、行ってみようか」
千尋に言われるまでも無く、私達はほぼ同時にその方向へと進み出していた。
――近くまで来たのだろうか。
不意に貴の気配を濃厚に感じ取って、私はある1点を見つめて茫然としてしまっていた。
千尋が私を返り見て不思議そうにしている。
「どうかした?」
その発言を聞きながらも、その1点――本当に、普通の民家の普通の庭の空中、目の高さの位置にあった何も無い空間に、私はただ手で触れてみた。
そして、その後のことは良く解らなかった。
ただ、1回分の瞬きをしている間に世界は暗転していた。
千尋の姿も、それどころか人間の気配すらしない場所。
だけど、後ろを振り返って――元の世界では普通の民家が有ったはずの場所を見て、すぐに理解した。
「良く来られたね」
「貴!!」
私の目の前に貴が居て、更にその奥には、大昔に私が住んでいた道場が存在していた。
人間の気配がしない貴が動き出す。
「思念体……簡単に言えば、元の世界に幽体離脱してきたから長居は出来ないけど。鍵は開けておいたよ」
貴は手にしていた懐かしい屋敷の鍵を振り回す。
「その鍵、どこで……」
「それよりも、早く探してきなよ」
振り回すのを止め、貴は屋敷を指す。
「結界が破られるまでそう時間は無いはずだから」
「どういうこと?」
「ここに俺が入って来ていることは、既に兄上にはバレている。兄上は全力でこの地域を潰すつもりだよ。精神体の俺や姉上諸共――全ての証拠を消すために」
その言葉を聞いて、私は目を丸くさせていた。
「姉上と違って、最初から兄上が何をしたのか、俺はその全てを思い出していたよ。だけど、姉上は常に兄上の監視下にあったから、少しでも姉上が思い出そうとしただけで何者かにその記憶を消させていた。だから俺も言い出せなかった」
全てを理解した。
貴は兄上の異変を知っていた。
貴の記憶消失は嘘。
だからこそ、兄上の監視の目を和らげるために私を千尋の元に送り出してくれた。
貴の胸元には穴が空いていた。
恐らくは兄上に心臓を抉られたのだろう――私を送り出した本心を悟られて。
「心臓が無いのに……」
「兄上の特殊能力は "捕獲"。だから、奪われても死ぬことはないみたいだけど……見る者には不快感があるよね、やっぱり」
貴は答えながら自身の胸元を擦っている。
それを見て、やっと全てを理解した気がした。
兄上が属性神の核の一部、記憶を司る部分を "捕獲" している。だから誰も天界でのことを覚えていない。だけど、兄上に異変が起こる前に私が風神としての記憶を覚えていたとしたら、そのことを手帳に記述している可能性はある。
もしもそれが私の手に渡ってしまえば、何かを企んでいるらしい兄上の計画が無駄になってしまうのかもしれない。
もしかしたら、天界で何が起こっていたのか――それが兄上に異変を齎し、この事件の最大の鍵になっているのかもしれない。
「姉上、」
貴は私を呼んだ。
我に返った私は貴を見る。
「全てが終わったら、昔のあの優しい兄上は絶対に戻って来る。だから、姉上の中に潜む悪に負けないで、――」
急に言葉が途切れ、やがて貴の姿が妖精の光のように消えていってしまった。
でも、貴が言いたかったことは私にきちんと伝わっている。
自宅兼の道場の中は、何故かは解らないまでも凄く荒れていた。
見慣れていたはずの玄関の時計は真っ二つに割れているし、更にその下の靴箱も綺麗に分断されてしまっている。
土足で奥に進むと酷い異臭が鼻に付いた。
咽るほどのそれは、家族が揃って食事をしていた居間に進むほど強烈になってゆく。
そして、私は居間に辿り着く。
「(何、これ……)」
居間の畳が一面、何故か異様な茶色に染め上げられていた。
あちらこちらの壁にも液体が飛び散ったかのように茶色が点々と続いている。
良く見れば、廊下にもその茶色は続いていた。
――やがて、私は現実を思い出す。
あれは誕生日の前日、珍しく兄上が帰宅していた夕食後のことだった。
「皆に、話しが、ある」
兄上がそう言って、茶碗をまとめて置きに行こうとしていた母上を引き止めた。
母上はその手を休め、立とうとしていた足を元の正座に戻す。
「私は、もう、死んでいる」
その一言に父上も母上も、私達もが唖然と、何を言っているのだとばかりに兄上を笑った。
だけど、兄上は真面目な顔で続ける。
「逃げて、くれ、早く……」
「お前……疲れているだけだろう?」
父上はそう言って兄上の肩に手をかけた、はずだった。
だけど、その瞬間に父上の身体は消えていた。
何が起きたのか解らなくて――私が気付いた時には、父上の血肉を頭の上から思い切り被らされていた。
一瞬先に気付いた母上が私達を結界とその身で庇ってくれている。
だけど、それを見た時には母上も粉砕されてしまっていた。
一気に恐怖が襲って来たために、私はどうすることも出来ないまま、私の首に手をかけようとしている兄上を、貴の小さな体を守る様に抱いて見上げていた。
このまま兄上に殺されるのだとばかり思っていた。
「う、が、がが……っ」
急に兄上がその手を止めた。
そして、ゆっくりと兄上自身の首に向かわせている。
「貴様っ、まだ、生きて――」
「お前の、好きには、させない……っ」
兄上は独りでそう言いながら自身の喉元を潰していた。
目の前で兄上の血が私に向かって吹き出す。
「うああぁぁぁぁぁっ!!」
そう叫んだ兄上は、そのまま居間を高速で出て行った。
助かったと思う反面、両親を失った悲しみが込み上げて来て貴を強く強く抱いて、貴と共に泣いた。
現実は時として残酷を映し出す。
でも、今の私は泣いてはいなかった。
あの時に涙を流し過ぎてからというものの、私の涙は殆ど枯れてしまったかのように出て来ることはあまり無くなっていた。
でも、全く出なかった訳ではない。
それに、思い出したことで理解出来たことの方が嬉しかった。
私は手帳を自分で隠した場所に向かった。
居間を抜け、その奥の小さな台所に座る。
そして、母上が開けている姿を見て知った貯蔵庫をゆっくりと開いた。
そこからも凄い異臭がしたものの、麻痺してしまった鼻には効果が無い。
私はその異臭がする壺を退かし、その下敷きになっていた板を外す。
「(あった!)」
私は手帳を手にした。
間違いなく、私の大切にしていた手帳だった。
だが、急に気配がして居間を振り返り――後方に飛び退ける。
『流石、本物の風神というところかしらね』
そこに居たのは紅色の鬼面だった。




