110 ☴ 純の過去
永瀬さんがリュウ様と一緒に帰ってしまってからも、私はその2人やこの家との関係よりも、永瀬さんが雷神であったという事実が未だに信じられないでいた。
あの雷光は、何故だろう……良く知っている気がする。
雷神が合図で頻繁に使用する優しいモノで、威力はほぼ無いに等しいことも、知っている。きっと風神の記憶が私に教えてくれているのかもしれないが、それ以外の記憶は戻っていない。
思わず、私は溜め息をついた。
「あ、あの……っ」
木の陰に居るカナメ君、とやらが私に声をかけてくる。
ずっとそこに居るつもりなのかしら、何て考えていたら木から離れ、ゆっくりとこちらに歩み寄って来る。
「その岩、霊穴なので、使うと、良いです……」
消えるような声で言ったかと思えば、何故か顔を赤らめて執事の方へ走り去ってしまう。
極度の恥ずかしがり屋なのだろうと思いながらも、寄り掛かっていたその岩に座る。
確かに霊穴なのか、霊力は戻ってくる感じがした。しかし、今足りないのは魔力……霊力では風は扱えない。
それにしても、絶好なタイミングで永瀬さんが雷光を放っていなかったら、私は宮本さんと一緒に墜落していたかもしれない。
またあの時みたいに相方を見殺しにするしか無かったかもしれない。そう思うと怖かった。
だから永瀬さんには感謝をしている。
池は凄く静かだった。
嵐の前の静けさとはこのことだと思いながらも宮本さんを見つめる。
綺麗な肌が水に濡れて神秘的に映った。
「貴方がたの方の追手は山に戻ったようです」
急に執事が遠くから私にそう言った。
私は執事を振り返ると、執事はゆっくりとカップを手にして近づいて来る所だった。
少しだけ警戒したものの、執事はそれに臆することもなく私の前までやって来て、私にそのカップを渡してくれる。
「ところで、ソレがあると黒い仮面の者達にこの場所が探索されてしまうのですが」
執事の目線の先には私の足枷があった。
私はギクリとして一気に警戒度を高める。
が、執事は平然として続ける。
「風神の確信があるのでしたら、ソレを外して神毒を体内に入れられても、人間程の効果はありませんよ。それどころか、神毒の副作用によって魔力を一時的に取り戻せます」
執事の言葉に驚きつつも足枷に触れていた。
そんな効果があるなんて、知らない。
そもそも、目の前で神毒を入れられて融けた者を見たことがある気がして怖かった。あれが過去のことなのか、夢の中の私なのか、までは解らない。
それでも、その話しが事実だと知っていた気がする。
「どうしてそのことを……?」
「私の出身が風見家だから、ですよ」
そう答えた執事は仕方なさそうに目を閉じた。
私は唖然として執事を見つめ続ける。
「私の知る風見家は超能力者を迎い入れていましたが、何故か神は除外していました。神は里の主である死神様のみで十分だ、と。同じ神を迎い入れ、派生されることを嫌ったようです。お陰様で、里の主の従兄であっても除外して頂けたので、今こうして幸せに余生を過ごせています」
「余生?」
「……言い方が変でしたね。正しくは、運良く要様のお力添えで神名を頂き、生き存えることが出来た、という説明がピッタリですね。そんな命ですので、全身全霊で要様をお守りすることが私の使命だと思っております。ですので、決して神毒の所為で死ぬという意味では無いのです」
そう答えた執事は目を開けて私に微笑みかける。
その笑顔を見て、私はハタと気付かされた。
「カズ……兄?」
瞬間、私の頭がズキズキと痛み出す。
すると、手にしていたカップが足元で割れる音がした。
思わず頭を抱えれば、目の前の執事は私のことを支えてくれている。
その心配そうな顔も、私は良く知っていた。
……知っていた、はずなのに。
私は、目の前が暗くなった。
「カズ兄! 兄上!」
小さい私は、大きい2人の背中を追い駆けていた。その私の後ろを貴が追い駆ける。
追い駆けると言っても、既に同じ年頃の子供よりは速かったかもしれない。
「待ってよう、姉上ぇ」
「何よぅ、ノロタカシぃ~」
意地悪を言いながら振り返れば貴が転んでいた。
それを心配顔のカズ兄が脇から助けに入る。
「大丈夫か? 貴」
「カズ兄ぃ……うええぇぇぇん!!」
急に泣き出した貴に呆れた私が唖然とすれば、そんな私の脇に兄上がやって来る。
「泣き虫だなぁ、貴は。そんなことじゃぁ、いつまでもこの俺を追い越せないぞー?」
「えぐっ……うぅっ……」
「まぁまぁ。そもそも、千秋は厳し過ぎるんだよ。まだ3歳じゃ難しいって」
カズ兄のやんわりとした反論に兄上がムッとする。
「そうは言っても……」
「そういう千秋だって、3歳の時は5歳の僕に負けていたじゃないか」
「それとこれとはっ」
「同じことだよ。1人1人の成長には違いがあるんだから、その子に合わせて教えてあげないと……千秋みたいに挫折するよ?」
カズ兄はそう言いながらも微笑みを絶やさなかった気がする。
あの頃は、毎日のように修行を楽しんでいた。その修行の前後では、普通の子供の遊び……サッカー、テニス、花札、トランプなどで遊んだこともあった。
ただし、そのどれも4人だけの秘密だったからか、両親に報告することは出来なかった。
しばらくして、兄上は祖父と共に本家の屋敷で住むことになった。
そんな私達の寂しさをカズ兄は埋めてくれていたものの、1年後にはカズ兄も本家に行くことになった。もっとも、その頃には、姉の私が貴を守らなくてはならないのだと思っていたし、私達も何れ本家に行くことになるだろうとも思っていた。
数年後、そんなカズ兄が家出をしたと電話で兄上から聞かされた。
その直前にふらりとやって来たカズ兄に、偶然にも来年の近所の夏祭りに連れて行って欲しいと頼んでいた。もちろん、家族にも内緒で約束をした。
もっともその約束は果たされること無く、カズ兄は二度と私の前に現れることはなかった。
約束を破るような人ではなかったのに、そう思って家族に隠れて泣いた日もあった。
1年後、夏祭りの日。
不運にも、その日は家族で本家に出向いていた。
祖父が亡くなったので、葬式を兼ねて兄上の頭領としての任命式が行われるということだったが、それよりも私は如何にしてこの式を抜け出るか、ということばかり考えていた。
帰宅してもそれは変わりなかった。
家出をしたカズ兄が現れることはもちろん無く、私は我慢ならずに執事のムラオカの目を盗んで実行に移す。
その頃には、練習のために何度も両親や貴の目を盗んでは家を出て外で遊んでいた私は、そこで出会った友達から夏祭りの詳しい話しを聞いて知った――そんな輝かしい場所があるという事実を。
だから、一度で良かった。
見られるだけで満足だった。
だけど、懸命に走って会場に着けば、そこにはムラオカが既に待ち構えていた。
「戻りましょう、純様」
厳しい口調で言われた私は、そんなムラオカの向こう側を見て――仕方なく頷いた。
あまりにも輝かしいそっち側には、私達家族は入ってはいけないのだとそう悟った。
すぐ目の前なのに、あまりにも世界が違って見えていた。
服だって、誰もが色鮮やかなモノを着ている。
「一度道場まで戻って、着替えてからにしましょう」
ムラオカの二度目の言葉に私は耳を疑った。
だけど、ムラオカはいつもとは違う笑顔で私を見つめている。
驚いて、だけど嬉しくて、私はムラオカの両腕の中に飛び込んでいた。
「ご両親の了承は貰っていますが、本家には内緒でということですので他言は厳禁です。千秋様や貴様にも、です。良いですね?」
「うん! ありがとう、ムラオカ!!」
素直に私は感情を露わにしていた。
ムラオカと帰宅した私は、着替えさせるからという理由で母上の隔離小屋に呼ばれていた。
境内を守る母上は、魔力を消耗するからという理由で滅多なことでは外に出ないことは知っていた。
だから母上に着替えさせてもらっている間も、別に不思議には思ってはいなかった。
『良く聞いて、純』
母上は急にそう言った。
不思議そうに私は母上を振り返る。
が、母上の目力に気圧されて先程と同じように背中を向ける。
私を着替えさせながら何かを伝えようとしていることを悟った。
『近い内に、私達の記憶が消されることになったわ』
良く聞いても、意味が解らなかった。
だけど、母上の雰囲気から、このことは母上と私との秘密なのだろうとまでは気付いていた。
きっと、本家にもバレたらいけないことなのだろう、と。
『どうして? 記憶を消されるって、どういうこと?』
『千秋が頭領になったことは、純も理解しているわよね? でも頭領は本来、頭領がどんな人物なのかを家族にも知られてはいけないことになっているの。だから私達は、千秋のことを忘れる術をかけられることになったの』
兄上は用心深くて、修行に関しては兄上自身、凄く厳しかった。
だけど、それ以外の時間では色々なことを教えてくれた。
森の中の動物を式代わりに使う方法や、甘いアケビやイチイの実っている場所とその食べ方や、妖精の集まる泉など……それはもう一言では表せないほどの、友達でも知らないようなことを教えてくれた。
本心では本家に行きたくないことも、頭領を継ぎたくないことも、将来は父上のように外の世界で働きたいことも、私は知ってしまっていた。
『イヤだ!!』
私ははっきりと言っていた。
振り返ると、母上が目を丸くして手を止めている。
『純、』
『イヤ! 私、兄上のこと忘れたくない!!』
『純、あのね、』
そう言いながら母上は私にあるモノを見せてきた。
ソレを見た私はビクッとして身を固めてしまう。
ソレは、見た目ではどこにでもありそうなオルゴールだった。
兄上の命令で、とある家から神器を盗んで来るように言われた際に誤って盗んでしまったモノ。
あの時から、兄上は人が変わったように "悪いこと" を私達にさせるようになっていた。
その時の命令も、本当は誤って持って来た訳では無い。
何せ本物の神器がどういうモノかをあまり良くは知らなかったから、"魔力が詰まっていて結界に覆われているモノ" という説明だけでは、その家の中にはいくつも存在していて良く解らなかった。
でも、そんな中でも最も魔力が少ないモノを選んだのは、あの兄上が "悪いこと" を命令して来るとは思えなかったから。
結果的に酷い仕打ちを受けたものの、数日後に兄上が謝りの電話を入れてくれたことは、母上から聞かされてはいる。
前にこのオルゴールを持ち主に返したいと言ったことがあった。
母上が兄上に伝えてくれたのか、数日後には母上の元にオルゴールが戻って来ていた。その機会を母上が作ってくれると言っていたことを思い出す。
でも、兄上を忘れるということと上手く繋がらない。
『この中に純の今までの記憶を封じて、これを持ち主に返すの』
『……え?』
私は意味が解らなくて茫然とした。
目の前の母上が笑顔で続ける。
『そうしたら純は一度忘れてしまっても、また思い出すことが出来るでしょ?』
『でも、オルゴールは持ち主に……』
『純の記憶が無いと知った本家はどうすると思う?』
母上の質問で、私はハタと気付いた。
無いと知ったら、本家なら記憶を探すと思う。探し出して消されてしまう。
だけど、このオルゴールにはある程度の魔力と結界が張られてある。ましてや持ち主の元に戻ったと知ったら、コソコソやっている本家としてはどうすることも出来なくなる。
『解った?』
母上の言葉に頷きながらも不安に思って訊ねる。
『でも、持ち主に返すって……今から……?』
『夏祭りの主役の巫女さんに渡せば良いの。そのオルゴールの持ち主は、その巫女さんの祖父に当たる人だから、巫女さんから持ち主に返してもらえるわ』
そうして母上は私の背中に作ってくれた大きなリボンを叩いて完成を教えてくれた。
ムラオカを公衆トイレの外で待たせて、その裏側からこっそりと森側に抜け出した。
そして、気付かれないように気配と足音を消して、友達と良く遊んでいた古びた小屋に向かう。
それまでに、唯一の同じ "超能力者" の友達 ―― 紫に連絡を取っていた私は、そこで紫と落ち合った。
『本当に巫女さんの所に行くの?』
紫の疑問に私は頷いて答えた。
しばらく悩んでいた紫も、解ったとばかりに頷いて更に奥の森を指す。
『こっち』
本家にだけではなく兄上にも内緒だと母上が言っていた。
私が風神であることも、兄上がどういう人物であったのかということも、これから起こるこの夏祭りのことも、そもそも夏祭りがどういうモノかということも、……それら全ての記憶を、私はわざと風神の核を半分にして詰め込んだ。
自分で組んだ初めての術式も、恐らくは風神だからこそ知っていただけ。
私がオルゴールから手を離すまでの全ての記憶は、そのオルゴールの中の核に入るようにしておいた。
そして、父上から貰った風神の神器も核と同じ所に、しかしこちらは隠して入れてある。
もし核が奪われても、代わりの神器が覚えておけるようにしておいた。
このことは、ある程度までは紫には話しておいた。
でも、自分が風神であることや、兄上が頭領になったことなどは話していない。ただ深い事情は話さず、兄上を守る為に自身の魔力を封印したという事実だけは伝えておいた。
もしも私がこのことすら忘れ、母上もこの事実を忘れてしまったら、もう私は兄上の記憶を取り戻すことが出来なくなってしまうと考えたからだった。
それに、私一人で巫女さんに逢うのは少し怖かったという理由もある。
「あそこに居るのが、今年の夏祭りの巫女さん」
しばらく走った紫は立ち止まると、ある1点を指しながらそう言った。
覗き込めば、少し離れた所の大きな炎の前に私と同じくらいの小さな女の子の背中があった。その近くには、その子の母親らしき女性も居る。
「それを返すだけなら、ウチが行っても……」
「大丈夫っ!」
私は慌ててそう答え――オルゴールを落としそうになった。
だけど、まだ、あの巫女さんに渡すまでは覚えておかなくてはならない。
その決意だけで、私は森から一歩を踏み出させる。
「あの、す、すいません!」
私の一言で驚いたのか、女の子は振り返って小さく悲鳴を上げていた。
綺麗な青みを帯びた長い髪の所為で解らなかったものの、女の子は青と白の綺麗な服を着ていた。煌びやかなお祭りの服とは異なる、巫女の着物。
それは母上の着物によく似ていた。
もしかしたら、女の子の家は私の家に風習が似ているのかもしれない。
そう思ったら、もしかしたら友達になれるのではないか、という考えが頭を過っていた。
でも、今友達になれても私は忘れてしまう。
だから悔しさを勇気に変えた。
「これを、返しに来ました!」
そう言いながらオルゴールを前に差し出した。
しばらく不思議そうに覗き込んでいた女の子が、途中で何かに気付いたらしく両手でオルゴールを受け取ってくれる。
「ありがとう!」
が、私は手を放すことが急に恐ろしくなっていた。
その所為で、女の子はオルゴールを放しそうになる。
「ごめん……なさい……!」
手を放したら、私はこの目の前の女の子のことも忘れてしまうだろうと思った。
女の子の傍までやって来ていた女の子の母親のことも、この家の妖精が生み出す青い光で綺麗な庭のことも、ここに来た理由さえも、その全てを忘れてしまうだろうと思った。
でも、このままだと女の子がオルゴールを放してしまう。
「お願い……私が無事にここに戻ってきたら、お帰りって、言って……下さい……!」
涙ぐみながらも、私はその手を放した。
そして全速力で森を走って、逃げた。
少しでも女の子から離れようと思って、紫のことすら置いて行って。
私は無我夢中であの公衆トイレに走った。
そして私が公衆トイレに戻った瞬間、私はそれまでのことの全てを忘れていた。
ムラオカが夏祭りに連れ出してくれたことも、抜け出して友達に会っていたことも、そもそも友達が居たことも、カズ兄と兄上との修行の日々も、その全てを忘れていた。
皮肉にも、数日後の私の誕生日に、私の残りの記憶は兄上の手によって奪われた。
だけど、その前日に何かがあった気がする。
何かが起きて、目覚めた時には病院のベッドの上だった気がする。
「純」
不意に私の名前を呼ばれた気がした。
「……まだ、……かしら……」
「もう……、様子を……」
声がする。私はゆっくりと目を開けた。
すると、真っ先に千尋の顔が飛び込んで来る。
「純!!」
急に抱きつかれて何事かと思って頭を回せば、様々な顔が私を見て一気に安堵の表情に変化したことが解った。
私は、現実を思い出す。
カズ兄がカナメ君とやらの執事をしていて……そこの池を借りて千尋の魔力を取り戻していて……。
「純!! よかったぁ……!!」
千尋も安堵の表情をしたかと思えば、急に涙をポロポロと流し出していた。
驚いて目を丸くしながらも、私は千尋に手を伸ばす。
「良かった……千尋が、無事で……」
声が出しにくかったものの、何とか出せた。
想いが伝わったのか、千尋は何故か先程よりも多くの涙を流し始めている。
「何だか良く解らんが、2人共、門の前に寝かされていたらしい」
様々な顔の内の1人が私にそう言って教えてくれた。
「山での事情や、負傷した千尋ちゃんを背負って純ちゃんが運んでくれていたことは、千尋ちゃんが記憶している限りで聞いたけど、その後の純ちゃんに何があったんだい?」
根掘り葉掘り聞かれそうになるわね、何て覚悟を決めながらも、私はその場に流れている音楽に耳を傾けていた。
この優しい音色は、間違いない。
―― あのオルゴールの音楽。
「お帰りなさい、純……!」
私も、千尋のその一言で目頭を熱くさせていた。




