105 ☉(▲) 白雲運河の研修生
私が水を飲みたくなって夜中に1階に降りれば、居間の方ではまだ煌々とした灯りがドアの隙間から溢れ出ていた。その隙間から出る微量のオーラを見て、居間には紗穂里のママとお姉さんがいるのだと悟る。
が、気に留めることでも無かったので居間とは逆側の台所に向かおうとした時だった。
『どう? 研修生に上がれた気分は』
紗穂里のママがお姉さんにそう訊ねていた。
私は足を止める。
『まだ研修生の中でも下っ端……これからって感じ。でも、世界にはもっと多くの超人が居るのかと思うと、ちょっと挫折しそう』
『だからあれほど言ったでしょ? 白雲運河になれるのは一握りだと』
驚いて飛び上がりそうになった。思わず振り返ってしまったものの、私はこの思いをどうにか抑え込んで視線を階段に移した。
が、変な場所で立ち聞きをすればバレかねない。私は素直に台所に入ってしまうことにした。
恐らくは、そこでも会話は聴こえるだろうと思ったから。
『お袋も研修生だったって聞いたけど、何で辞めたの?』
これにも驚きだったが、先程よりは衝撃的では無かった。むしろ納得した、というのが正しいかもしれない。
というのも、紗穂里のママがただの占い師にしては、岸間家にあまりに詳し過ぎていたから。白雲運河の研修生だったというのであれば、もしかしたらその中には白雲運河として海外で活躍している岸間家の者もいるのかもしれないと思った。
『研修生時代は、私はまだ大学生だったの。大学を卒業してすぐに私はお父さんと出会い、結婚してしまったからよ。結婚出来たら妻として家を守ろうと思っていたから必然的に辞めた、というだけ。ただし、研修生時代に扱っていた仕事の内容は全て記憶から抹消されてしまったのだけど』
『そうだったのか……』
『でも後悔はしていないのよ。もし白雲運河になっていたとしても、それで日本で働けているとは限らなかったから。私は日本から出るつもりはなかったけど、私が辞める直前には既に日本に3人の白雲運河が居たみたいだから、どちらにしても枠が無かった訳で』
『ふーん』
『それに、あの時代に親友と知り合えていなかったら、私は今、過去を知る春神としてここに居られなかったから』
春神と聞いて、季節神の1人だとすぐに解った。
しかし、それならこの家に張られた結界も、紗穂里のママが放つオーラの大きさも、全てに納得がいく。
『今は香穂里と紗穂里を守ることに専念しているけど、本当は親友の子供達に会いに行きたいの。もっとも、その家は今、ほぼ内乱状態だから私の言葉は通じないだろうけど……それが終わったら、ゆっくりと会いに行こうと思っているの』
『お袋は、さ。白雲運河が誰なのか、知っているの?』
『何でそんなことを?』
『だって……父さんに白雲運河を紹介したのって、お袋じゃないの? じゃなきゃ、魔力を持たない父さんが白雲運河を知っているとは思えない』
しばらく間が空く。
私は静かにコップに注いだ水を飲みながらも、その返答に息を潜めて待つ。
『……そう、ね。知っていると言えば、知っているわ』
ゆっくりと、紗穂里のママはそう答えた。
『でも、正体を教えることは出来ないわよ?』
『ううん……そっちが聞きたい訳じゃないから、大丈夫』
お姉さんはそう答えていた。
間が空いてからお姉さんが続ける。
『白雲運河は、今回の大騒動の原因は "里の主" が根源だと言っていた。でも、報道では "死神様" だと連日のように言っている。だから、思う。その里の主というのは、本来は死神ではなくただの超能力者なのではないかって』
そう言われてみれば、という内容だった。
だからと言って "里の主" がただの超能力者には思えない。
『お袋ならこの事実を知っているのではないかって思ったのだけど』
『知っていたわ』
はっきりと紗穂里のママは答えた。
『でも、私は違う考えだった』
『違う考えとは?』
『 "里の主" という、"死神様" とは異なる人間がいるのだと思っているの。つまりは、"里の主" と" 死神様" は別人ということ。でも、見分けがつきにくくて同一視してしまっているだけなのではないかと思っているの』
そう答えた紗穂里のママだろうか。何かをテーブルに置く音がした。
『それに、(白雲運河は)私とも異なる考えもあるみたいでね。 "里の主" が死神を名乗る悪神に乗っ取られたから "死神様" を名乗っている、死神に酷似した能力を持った "里の主" が勝手に死神を名乗っている、実は "里の主" である "死神様" は捕えられていて全くの別人が "死神様" として "里の主" を担っている、など。本当に多種多様な考えがあるの。でも、どれも真実は掴めていない ―― そう、白雲運河であっても同じだと私は思っている』
『春神には、その記憶は無い?』
『 "里の主" が家督を継ぐ前の記憶しか無いのよ。だから私も良くは解っていないの。それでも言えることは ―― 親友の子供の1人が風神であった、ということだけ。しかも、それを知っていたからこそ、親友とその子供との、2人だけの秘密にしていたことは、解っているの』
私はゆっくりと目を閉じて、あの修学旅行中のことを思い出していた。
あの時のオーラの強さと色からして、あり得るとしたら風見が風神だろうとは思う。でも、世の中には風属性を持つ超能力者はそこそこに多い。だから確定ではないにしても ―― でもあの時、あの場に居たのは神様しか居なかったのではないか、何て未だに私は思っていた。
紗穂里に言っても笑い飛ばされて相手にされないけれど、不思議とそう思ってしまっているのは……やはり運命という言葉を信用している所為なのかもしれない。
だけど、もしも風神が風見であれば、風見のママが春神で紗穂里のママと白雲運河の研修生時代に知り合っていた、と言われてもかなり筋が通る。いや……これも私の勝手な思い込みなのかもしれないけど。
『風神って……え? まだ見つかっていないはずじゃ……』
『そうね。世間体的には、ね』
紗穂里のママはそう答え、しばし間が空いた。
『でも私達の ―― 占い師や、その同業者の間では結構、有名な話なの。年々積み重なった "里の主" の情報に誤差が生じて来ていて、その誤差と現実を結び付けて行った結果、大昔に雷神が訴えかけていた内容と同じであることが判明した』
『雷神……』
『でも、その雷神は当の昔に姿を消して ―― 以来、誰もその存在は知らないの。それでも、雷神が言っていたことは正しかったことが解って、その時の雷神を支えていたと伝わる相手と情報交換をしている、ということまでは聞いているわ』
私は思わず息を飲んだ。
もしも、あの場に居た全員が神様だとしたら。
水神は千尋、風神は風見、炎神は私、地神は紗穂里、音神は如月で。
残りは山田と永瀬だけど、そのどちらかが雷神という可能性は無い訳ではないはず。
どっちだったとしても、雷神を支えている相手が情報屋の如月なら全てが1本で繋がる。
『でも、雷神は過去に白雲運河が殺し、転生の輪から外したって……』
転生の輪……それは命あるモノが死んで、生まれ変わること。運命のこと。
この輪から外されたということは、生まれ変わらないということ。
つまり、雷神の核はもうどこにも存在しないということになる。
『そうね。過去の私達は真実を知ろうともしないで、ただ異端な思考回路をしているという理由だけで相手を殺し……真実を闇に葬っていたのかもしれない。私は古株の白雲運河にそう諭されて研修生を辞められたの。きっと、今の3人の白雲運河も同じ。何が真実で何が嘘なのか解らない。だから下手に手を下せないのだと思っているの』
――過去を繰り返してはいけないから。
私は白雲運河の行動を理解した。
同じ過ちを繰り返せば、その世界は嘘で満たされてしまう。今だって、もしかしたら嘘に満ちた世界に変えられてしまっている可能性が高い。
だからこそ、白雲運河は "死神様" に手を出すことはしていない。今は情報を集めることが最優先だとそう思っているのだろう。
だけど、それではいざという時に一歩も二歩も出遅れることになる。
もし命を奪い取る勝負にでもなれば、そんな状態の白雲運河の負けが決まったも同然。つまりは、”里の主" とやらは白雲運河をもう敵とは思っていない可能性が高い。
だからこそ、”里の主" は黒い仮面の集団による大事件を起こし始めたのかもしれない。
これを収拾しようと白雲運河が動けば "里の主" に多少の危機感を持たせられるかもしれなかったが……。
「(白雲運河は、これは警察や自衛隊の仕事だとテレビで言っていた気がする。ってことは、"里の主" は完全に白雲運河を舐めてしまう訳で ―― これって、かなりヤバイんじゃないの?)」
暗い台所の冷蔵庫に向かって悩んでいれば、急に灯りが点された。
私が驚いて声を失くしていれば、そこにやってきた紗穂里が私を見、甲高い悲鳴を上げていたのだった。




