第16話「武流の茨」
霧谷総合との一回戦は、
迷宮と影の底を経て、
ついに終盤へ差し掛かっていた。
紗佳は深度の揺れを抱えたまま、
震える指で牌を引いていた。
(揺れてる……
でも……抱えられる……
これが……私の影……)
だが、霧谷総合の変則は止まらない。
朔夜の影は一点に集まり、
揺れも散りもせず、
ただ静かに紗佳の深度を揺らし続けていた。
その時──
対局室の空気が変わった。
武流が、
控え席から立ち上がった。
武流は対局室の隅に立ち、
紗佳の打牌をじっと見つめていた。
その影は、
章仁の影とも、
京一郎の影とも違う。
重い。
痛い。
刺さるような影。
(……武流の影……
痛い……
胸の奥が……ざわつく……)
武流は紗佳の背後に歩み寄り、
静かに言った。
「霧島。
お前……痛みを知らないまま打ってるだろ。」
紗佳は息を飲む。
「……痛み……?」
武流は紗佳の肩に手を置く。
「影は揺れだ。
華は咲きだ。
核は中心だ。
だが──
茨は“痛み”だ。」
紗佳の胸が締め付けられる。
(痛み……
茨……
武流……)
武流は卓の上の牌を一枚取る。
「霧島。
茨は攻撃じゃない。
茨は……“傷の麻雀”だ。」
武流は牌を置きながら言う。
「茨は、
痛みを抱えたまま打つ麻雀だ。
勝つためじゃない。
守るためでもない。
ただ……痛みを刻むために打つ。」
紗佳は震える。
「……痛みを……刻む……?」
武流は頷く。
「霧島。
お前は影の揺れを抱えてる。
深度も二層ある。
それは強さだ。
だが──
痛みを知らない。」
紗佳は唇を噛む。
「……痛み……
私……そんなに……」
武流は首を横に振る。
「違う。
お前は“痛みを避けてきた”。
影が揺れると怖がる。
深度が震えると逃げる。
迷宮に迷うと怯える。
影の底に落ちると泣く。」
紗佳は胸が痛くなる。
(……私……
逃げてた……
痛みから……)
武流は静かに言う。
「霧島。
痛みを抱えたまま打てる人間は……強い。」
武流は卓の端に座り、
遠くを見るような目で話し始めた。
「俺は……昔、
大事な人を守れなかった。」
紗佳は息を飲む。
武流は続ける。
「その人は……
俺の麻雀を信じてくれてた。
俺の影を見て、
俺の揺れを受け止めてくれてた。」
紗佳は胸が締め付けられる。
(武流……
そんな過去が……)
武流は拳を握る。
「だが俺は……
その人を守れなかった。
勝てなかった。
迷った。
揺れた。
逃げた。」
紗佳は震える。
「……武流……」
武流は静かに言う。
「その時、
俺の影は壊れた。
深度も揺れも……全部壊れた。
残ったのは……痛みだけだった。」
紗佳は涙が滲む。
(痛み……
武流……
そんな……)
武流は牌を一枚置く。
「それが……茨だ。」
武流は紗佳の目を見て言う。
「霧島。
茨は“痛みの記録”だ。
影の揺れじゃない。
華の咲きじゃない。
核の中心でもない。
ただ……痛みだ。」
紗佳は震える声で言う。
「……痛みを……
抱えたまま……打つの……?」
武流は頷く。
「そうだ。
痛みを抱えたまま打つ。
痛みを刻みながら打つ。
痛みを忘れずに打つ。
それが……茨だ。」
紗佳は胸の奥が熱くなる。
(痛み……
私……
痛みを……抱えたこと……あった……)
武流は静かに言う。
「霧島。
お前は痛みを避けてきた。
影の揺れを怖がり、
深度の震えを拒み、
迷宮の中心を恐れ、
影の底で泣いた。」
紗佳は涙をこぼす。
「……怖かった……
痛いの……嫌だった……
揺れるの……怖かった……」
武流は優しく言う。
「それでいい。
痛みを怖がるのは普通だ。
だが──
痛みを抱えたまま打てる人間は……強い。」
紗佳は胸の奥が震える。
(痛み……
抱える……
私……)
武流は紗佳の肩に手を置く。
「霧島。
お前にも痛みがあるはずだ。」
紗佳は震える。
「……痛み……
私……」
武流は静かに言う。
「影の揺れの奥にある痛み。
深度の震えの奥にある痛み。
迷宮で迷った時の痛み。
影の底で泣いた時の痛み。
全部……お前の茨だ。」
紗佳は涙を流す。
「……私……
痛かった……
怖かった……
揺れて……
迷って……
逃げた……」
武流は頷く。
「それでいい。
痛みを認めろ。
痛みを抱えろ。
痛みを刻め。
それが……茨だ。」
紗佳は胸の奥が熱くなる。
(痛み……
抱える……
私……
できる……?)
対局室に戻ると、
朔夜の影はまだ一点に集まっていた。
揺れない影。
読みの入口がない影。
だが紗佳は、
胸の奥の痛みを抱えたまま席についた。
(痛い……
でも……逃げない……
これが……私の茨……)
朔夜が静かに言う。
「霧島紗佳。
影の底に落ちても……
まだ打つのか。」
紗佳は牌を引き、
震える指で一打を置いた。
「……打つよ。
痛くても……
揺れてても……
これが……私の麻雀だから。」
朔夜の目がわずかに揺れた。
迷宮の中心を抜け、
影の底に落ち、
深度の二層を抱え、
痛みを刻み、
それでも紗佳は打ち続けた。
揺れと痛みを抱えたまま。




