第15話「章仁の影の哲学」
霧谷総合との一回戦は中盤を迎えていた。
迷宮を抜け、影の底に落ち、揺れを抱えた紗佳は、
控え室の椅子に座り込んでいた。
胸の奥がまだざわついている。
影の深度が二層あると知ってから、
揺れの意味が変わった。
(揺れてる……
でも……これが私の影……
抱えられる……
はず……)
だが、揺れは止まらない。
深度の第二層は、
迷宮の中心よりも深く、
影の底よりも重い。
その揺れを抱えるのは、
紗佳にとって簡単ではなかった。
控え室の扉が静かに開く。
章仁が入ってきた。
章仁は紗佳の前に立ち、
静かに言った。
「霧島。
影の深度が二層あることに気づいたな。」
紗佳は頷く。
「……揺れが……
浅いところじゃなくて……
奥のほうで……
ずっと震えてる……」
章仁は椅子を引き、
紗佳の正面に座った。
「影の深度は“揺れの記録”だ。
浅い層は最近の揺れ。
深い層は……もっと昔の揺れだ。」
紗佳は息を飲む。
「昔の……揺れ……?」
章仁は静かに頷く。
「霧島。
お前は昔から影が深い。
読みの才能があるからこそ、
揺れを強く感じてきた。」
紗佳は胸の奥が熱くなる。
(昔から……
影が深かった……
私……)
章仁は続ける。
「影の深度は、
“心の揺れの履歴”だ。
負けた時の揺れ、
勝った時の揺れ、
迷った時の揺れ、
逃げた時の揺れ……
全部が深度になる。」
紗佳は震える声で言う。
「……そんなに……
私……揺れてたんだ……」
章仁は静かに微笑む。
「揺れていたからこそ、
お前の影は深い。
深い影は……強さになる。」
章仁は卓の上に牌を並べた。
「霧島。
影の哲学を教える。」
紗佳は姿勢を正す。
章仁は一枚の牌を指で弾いた。
「影は“揺れ”だ。
揺れは“迷い”だ。
迷いは“選択”だ。
選択は“記録”だ。
記録は“深度”だ。
深度は“強さ”だ。」
紗佳は息を飲む。
(揺れ → 迷い → 選択 → 記録 → 深度 → 強さ……
全部……つながってる……)
章仁は続ける。
「影を軽くするのは、
浅い揺れを整えるためだ。
だが深度は軽くできない。
深度は……抱えるしかない。」
紗佳は胸の奥が震える。
「……抱える……
怖いよ……
深い揺れは……
痛い……」
章仁は首を横に振る。
「痛いからこそ、
深度は強さになる。」
紗佳は涙が滲む。
「……強さ……?」
章仁は静かに言う。
「霧島。
お前の影は深い。
深度が二層ある。
それは……
“二つの揺れを抱えてきた”ということだ。」
紗佳は震える声で言う。
「……二つ……?」
章仁は頷く。
「一つは“読みの揺れ”。
もう一つは……
“心の揺れ”だ。」
紗佳は目を見開く。
(心の……揺れ……
私……)
章仁は静かに言う。
「霧島。
お前は読みの才能がある。
だがその才能は、
心の揺れと結びついている。」
紗佳は胸の奥が痛くなる。
「……心の揺れ……
私……そんなに……」
章仁は優しく言う。
「霧島。
お前は“人の影”を感じすぎる。
読みの才能があるから、
人の揺れを感じてしまう。」
紗佳は震える。
「……だから……
影が揺れるんだ……
私……」
章仁は頷く。
「霧島。
お前の影は、
読みの揺れと心の揺れが重なっている。
だから深度が二層ある。」
紗佳は涙をこぼした。
「……そんな……
私……弱いだけだよ……
揺れて……
迷って……
怖くて……」
章仁は首を横に振る。
「違う。
揺れるからこそ、
お前は強い。」
紗佳は顔を上げる。
「……強い……?」
章仁は静かに言う。
「揺れを抱えたまま打てる人間は、
強い。
揺れを否定せず、
揺れを受け入れ、
揺れを記録し、
深度に変える。
それが……霧島紗佳だ。」
紗佳は胸の奥が熱くなる。
(揺れてる……
でも……抱えられる……
私……)
控え室の扉が開き、
京一郎が入ってきた。
章仁は席を立ち、
京一郎に軽く頷いて控え室を出た。
京一郎は紗佳の隣に座る。
「紗佳。
章仁の話……聞いたんだな。」
紗佳は頷く。
「……私……
影が深いんだって……
読みの揺れと……
心の揺れ……
二つあるんだって……」
京一郎は紗佳の手をそっと握る。
「紗佳。
俺はずっと見てきたよ。
お前の影が揺れる瞬間も、
深度が震える瞬間も、
全部。」
紗佳は涙をこぼす。
「……京ちゃん……
私……弱いよ……
揺れて……
迷って……
怖くて……」
京一郎は首を横に振る。
「違う。
紗佳は強い。
揺れを抱えたまま打てるのは……
紗佳だけだ。」
紗佳は胸の奥が熱くなる。
「……抱える……
揺れを……
深度を……
全部……」
京一郎は優しく微笑む。
「紗佳。
揺れていい。
揺れた影を抱えたまま打てるのが……
お前の麻雀だ。」
紗佳は静かに頷いた。
対局室に戻ると、
朔夜の影はまだ一点に集まっていた。
揺れない影。
読みの入口がない影。
だが紗佳は、
胸の奥の揺れを抱えたまま席についた。
(揺れてる……
でも……逃げない……
これが……私の影……)
朔夜が静かに言う。
「霧島紗佳。
影の底に落ちても……
まだ打つのか。」
紗佳は牌を引き、
震える指で一打を置いた。
「……打つよ。
揺れてても……
これが……私の麻雀だから。」
朔夜の目がわずかに揺れた。
迷宮の中心を抜け、
影の底に落ち、
深度の二層を抱え、
それでも紗佳は打ち続けた。
揺れを抱えたまま。




