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歌奏和伝  作者: 自由のメガネ
変貌の秋
52/65

ー歌の栞 其の参ー

歌の起源、第三弾になります。

これで今まで登場した歌ほとんどを説明しきったかな?ということになります。少ない。

話を作ってから数年、キャラを作ったのはもっと前なので、日々の生活で初期の記憶も薄くなり、覚えていないんじゃないか、ということも増えて参りましたが、振り返ってみる事にします。

歌は参考書や参考文を見て、再度その意味を確認しながら書いておりますが、間違いや勘違いを含む可能性もありまずので、最後は自分の手で短歌の検索を行って頂き、自分なりの歌の解釈をもってもらいたいと思います。

11、鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける


 小倉百人一首の六首、中納言家持の歌です。意味は、階段に霜が降りたのを見て冬の寒さを感じながら夜が更けたのを知る、ということになります。ここで「鵲の渡せる橋」とは、七夕における乙姫と彦星が天の川の上に鵲が作った橋の事を意味し、宮中の階段が天の川に掛かる橋ほど素晴らしいものである事を表現しています。この場合、10で紹介した凡河内躬恒がさり気なく、まるで同じであるように表現したのに対し、空にある筈の橋が地上にない事は周知であり、表現であることがあからさまであるとされます。

 つまり、短歌上に出てくる鵲は鳥そのものではなく、天の川を示唆するための言葉となります。私自身、この歌の一番印象の強い言葉は「鵲」であり、百人一首かるたを行う時にも「かささ」を聞いて「しろき」を探していました。なお、競技かるたができるわけではないので「か」の「ぁ」でとるような技能は持っていません。つまり、この歌から擬人化するにも、能力を形作る際にも、一番重視したのは歌からもっともかけ離れているともいえる「鵲」でした。とりあえず「鵲」がどんな鳥なのかを調べたところ、まず初めに驚いたのは鵲がカラス科であること。結構可愛い顔をしているけれど、個人的には不良のようなイメージのあるカラスの系統なんだというところにちょっとしたギャップを感じ、これを軸にしてしまいました。それがなんやかんやとあり、ガワが不良な人物ができあがりました。

 能力も同様の軸からきており、「先入観」「誤解」「ギャップ」「思い込み」といったことから組み立てられ、相手の思考を密やかに操作するものとしました。


12、蝉の声 聞けばかなしな 夏衣 薄くや人の ならむと思へば


 古今和歌集七百十五首、紀友則の歌です。意味は、蝉の声を聞くと秋が近く感じて寂しくなる。あの人の気持ちも薄まっていくような気がして、というようになります。私としては蝉は夏の存在という印象がありますが、旧暦の季節を考えると蝉が鳴き始めるのは五月・六月の夏、そこから秋の七月・八月・九月に渡って鳴き続けるので、当時としては秋の間際の虫だったということになります。逆に現在とすると夏衣は薄いものだと想像することが容易いですが、当時は五月・六月ということになるので薄い衣というべきは暑かろうと思われる秋の方、つまり秋衣ということになりそうですが、暖かくなり衣服が薄くなっていく、移ろいの季節とするには秋よりも夏だったのだろうと考えられます。その変化する衣に人の心を重ね合わせたということになります。しかしながら、初期段階で夏を現代で設定したため、夏らしい元気な人物となりました。

 一方の能力に関しては、「蝉」及び「夏衣」がキーワードとなっています。蝉の鳴き声は翅の振動によるものであり、これをきいて人は夏を感じます。よって、人に影響するものを「振動」とし、まとうものとして能力としました。


13、天地の 別れし時ゆ 神さびて  高く貴き駿河なる 富士の高嶺


 天地の 別れし時ゆ 神さびて  高く貴き駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継ぎ 言い継ぎ行かむ 富士の高嶺は より一部。万葉集の三百十七首、山部赤人の長歌になります。その意味は、偉大な富士山を自然の中から表現することにあるようです。正直な事を言いますと、一番最初にこの歌から能力および人物を形作ろうとした時に、なぜここで区切ったのか、なぜ区切ってでもこの長歌を選んだのかはちゃんと覚えていません。ただ、この歌から人においての富士山がとても大き過ぎる存在であり、神とまごうようだったことが感じられたことだけは覚えており、それを歌にも人物にも取り入れているつもりです。まだ小説内でも詳しく書き込んでいない為、しっかり小説内で紹介してから再度振り返ろうと思います。


14、北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行く 月を離れて


 万葉集の百六十一首、持統天皇の歌です。意味は…といいたいところなのですが、この歌は不明な点が多いらしく、はっきりとした意味合いは分かっていないようです。しかし、この歌には天武天皇の死が関わっているという点から、星と月、流れる雲の位置関係が生きている人と死んでいる人の関係性を示しているのではないか、というように考えられているようです。

 以上のような事を考えず、この歌を素直に見た時、北山という山の傍で星と月が見え、そこを雲が流れて離れていく風景が思い浮かぶと思います。私はそうでした。ここから私は雲の自由さを感じ、人物像と能力に反映されればと思いました。考えてみれば、この雲の不定形さや自由さは亡くなって、身体から自由になった魂と同義に捉えることもできるかもしれません。

 ちなみに、北山という山も飛鳥にはなかったそうです。そのような点も歌を不思議にするのかもしれません。


15、明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな


 小倉百人一首の五十二首、藤原道信朝臣の歌です。意味は、夜の間しか逢うことの出来なかった当時、朝が来たことに、また夜が訪れて再会しようと、一度離れなければならない事の悲しさを詠った歌とされています。この歌を初めて見た時驚いたのは、短い文の中で一日の動きを見事に表現している、ということでした。一部の時間・季節・風景を切り取る歌は多くありますが、別れの近い朝を軸に暮れの再会を思い描き、その先の次の朝の別れまで連想させられるこの歌は、百人一首の中でも早く覚え、そして濃い記憶として残っています。

 以上のような考えもあってか、能力を考えようとした時、この歌に関しては直ぐに考えが至りました。私がこの歌を能力とする際にキーワードとしたのは「時間の流転」「人にはどうにもならないもの」といったことです。ゆえに強い能力でありながら、上手く扱いきれず、これからも上手く扱えるようにはならない能力とすることにしました。ただし、それなりの理不尽さを孕んだ能力である為か、作者としても扱いに困る部分も多々あり、元々超能力的表現が少ないこの小説内でも登場のしづらいと考えています。

主人公組の歌が全部出切りました。


こんな事しているんだったら、早く書けって話ですよね…。

まぁ見ている人はいないと思いますが。

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