ー歌の栞 其の壱ー
この様な物語を作るようになってから二年ほど。三十三話の時点で話中で出した歌は十三。まだまだ活躍しきっていないし少ないですが、百人一首を始めて擬人化したのが五年前、能力を付けようと考え作ったのが其の一年後で、大分遠くの記憶になりました。
此処では、自分がした歌の力の解釈を今更に振り返り、初心に帰る事を目的としていこうと思います。
ただし、歌の解釈は「何故、この歌はこのような能力になったのか」で、私の歌に対する印象が大半である為、本来の歌の意味と異なる事があります。
真に受けてはいけません。
1、誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
小倉百人一首三十九首、藤原興風の歌です。百人一首は中学、高校時代に国語の時間に全首覚える、百人一首大会をする等ありまして、先ずは印象を持って自分に覚えさせようとしていた事もあり、最初この歌は「友達のいない寂しい歌なんだな」という風に覚えていました。しかし、よくよくこの歌の情報を集めてみると、この歌は確かに「友達がいない」が、元々いないのではなく「自分だけが長生きをして周りがいなくなった」、だからいないという事を知ったのです。其処から感じた事を物語中での高砂友の言葉にしたつもりです。
二つの印象を持った事で、最初の印象を人物像とし、改めた印象を能力として話の軸としました。
2、秋風に 初雁が音ぞ 聞こゆなる 誰が玉梓を かけて来つらむ
古今和歌集二百七首、紀友則の歌です。此の歌の詠い手を初雁玉梓とした通り、この歌では「初雁」と「玉梓」に注目が行きました。この歌で人を考えるまでは百人一首までの擬人化ですましていたのですが、この歌も人の名前になりそうだと思い、百人一首を中心として他の歌も交ぜられた話が作れないかと考えて、このような話を作ったので、物語の始まりだと思っています。その割には、あまり出ていなかったりと扱いは雑なんですが。
この歌は「雁が飛んでいるのなら、誰かに手紙を運んでいるのだろう」という歌です。ですから、この歌では、雁が召喚されるべきだと始めから決めていました。そして、手紙の要素として対象へ何かを運ぶという行為があるべきだと考えた時に、鳥の羽根は飛んでいる間にも落ちるものであり落ちれば人の手にも届くと考えた際に、羽根が手紙の役割を担う事ができそうだと考えたのです。
爆発する点に関しては、初めて作る異能力としては攻撃的な力であって欲しいという私的な思考が混ざっています。攻撃的な手紙として考えついたのが「爆弾」です。酷い話ですが、アニメでも現実でも爆弾が届け物として届くというのはあります。バトルありきの相手を傷つける事もある話を作りたいと思っていたので、雁に届けられる手紙が爆弾であってもいいかなと考えました。結果として爆弾の仕組みを組み込めなさそうな細い羽根が主人公の目の前で爆発するという非日常を見せつけられるシーンを作る事が出来たかなと思っています。
3、ゆきなやむ 牛のあゆみに たつ塵の 風さへあつき 夏の小車
玉葉集にて藤原定家が詠った夏歌です。この歌を見てすぐに日の照る夏に砂埃にも負けずに牛が牛車を引く情景を思い浮かべました。牛は夏の暑い日であっても、人の労働力として働かなければなりません。其の頑張りを応援したいという考えの下、能力に変換しました。ストレートにすんなり決まったのでそんなに書く事もありませんでした。
ただし、詠い手の性格がどうして少しばかり変態化したのかを覚えておりません。なぜ、ああなった…。
4、我が宿の 池に藤波 咲きにけり 山ほととぎす いつか来鳴かむ
古今和歌集の百三十五首、読み人知らずの歌です。この歌で作った能力の経緯は少しばかり朧気ではあるのですが、「藤」という言葉に目を止めた事だけは覚えています。我が宿とは自分の家の事である為、この歌は自分の家の池の畔に咲きだした藤について詠っている事が分かります。
一度は行ってみたいものですが、現代において咲く藤の花の有名どころというのは、自分の真上を花の天井というばかりに藤が覆いつくして広がっている風景を写真でよく見ます。
これ等に印象から、この歌の力は自分の定めた陣地において藤を咲き乱れさせるものと考えました。藤色から分かるように、藤で連想される色は「紫」、平安時代に最も高貴とされた色…の淡い色は国の首都ではないにしろ大都市をまとめる詠い手には丁度良いと考えました。
5、梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久ならば 恋しけむかも
万葉集の三百十一首、鞍作村主益人の歌です。昔見た豊国の鏡山を長く見ていないと懐かしく感じられるといった意味合いが受け取れると思います。梓弓は神事に使われる弓、歴史的にも神様に行く先を尋ねたという事はよくあったでしょう。であるから、能力は詠い手を導くような能力であるべきだという土台ができました。
更に、思い懐かしむという点から過去の光景を脳裏に蘇らせる、特に風景では視覚の情報から入り、その後に風の感触など他の五感を思い出すだろうという考え方。また、鏡山という地名である為、厳密には違うものですが、多くの小説等の表現で「目に自分の姿が映る」「目の中に風景が反射する」といったものがあるように、その性質上、目は鏡と捉える事ができるだろうという結論に達しました。
以上の事をまとめて、相手の過去見た風景を視覚情報として目の表面に映し出し、自分の目と合わせ鏡のようにする事で情報の複写を行う力が生まれました。
上手く説明できているのだろうか…。
こうしてみると、一つ一つが懐かしいです。




