第6話 憧れ
五月に入ってからというもの、朝陽の日常は少しずつ変わっていた。
朝、体育館へ向かうこと。
放課後、隣のコートで練習する葵を見かけること。
そして、ときどき交わす何気ない会話。
そのどれもが、朝陽にとっては特別な時間だった。
「おはようございます」
朝練へ向かう葵を見つけ、朝陽は自然に声をかける。
「あ、おはよう。朝陽くん」
もう驚かない。
名前を呼ばれることにも、少しだけ慣れてきた。
それでも胸はちゃんと高鳴る。
「今日も早いね」
「先輩たちの練習を見てると勉強になるので」
「真面目だなぁ」
葵は柔らかく笑った。
「無理しすぎないようにね」
「はい!」
その笑顔だけで、一日頑張れる。
◇
放課後。
男子バスケットボール部は実戦形式の練習を行っていた。
「朝陽!」
御門からパスが飛ぶ。
受け取る。
一歩目で相手をかわし、リング下へ切り込む。
ディフェンスが寄る。
無理には打たない。
ゴール下の結翔へノールックパス。
「ナイス!」
結翔がレイアップを決めた。
「いい判断だ」
一ノ瀬が頷く。
朝陽は小さく息を吐く。
少しずつだが、高校のスピードにも慣れてきた。
そのときだった。
「ナイスプレー!」
隣のコートから聞き慣れた声が飛んできた。
葵だった。
男子の練習が一区切りついたタイミングで、笑顔を向けてくれていた。
「ありがとうございます!」
思わず大きな声で返事をする。
その様子を見ていた結翔が、小さく笑う。
「本当に頑張る理由が分かりやすいな」
「うるさい」
「でも、いいことじゃん」
朝陽も少しだけ笑った。
頑張る理由がある。
それは思っていた以上に、自分を強くしてくれる。
◇
練習後。
体育館横の自動販売機。
スポーツドリンクを買おうとした朝陽の隣に、葵が並んだ。
「偶然だね」
「はい」
二人でボタンを押す。
同じスポーツドリンクが二本落ちてきた。
「あ、一緒だ」
葵が少しうれしそうに笑う。
「本当ですね」
「好きなの?」
「はい。こればかり飲んでます」
「私も」
たったそれだけのことなのに、朝陽は心の中でガッツポーズをしていた。
好きな飲み物が同じ。
そんな小さな共通点まで、うれしかった。
「じゃあ、お疲れさま」
「お疲れさまです!」
葵が歩き出す。
その背中を見送りながら、朝陽は缶を握りしめた。
いつの間にか、憧れだけではなくなっている。
もっと話したい。
もっと知りたい。
もっと隣で笑ってほしい。
その気持ちに、もう名前はついていた。
「……好きなんだ」
誰にも聞こえないようにつぶやく。
ようやく、自分の本当の気持ちを認めた瞬間だった。
◇
【葵 side】
帰り道。
紬と並んで歩きながら、私は何気なく今日のことを思い返していた。
「朝陽くん、また頑張ってたね」
自然と口から名前が出る。
「最近、その子の話が増えたね」
紬が笑う。
「そう?」
「うん。今日も男子の練習、見てたでしょ?」
「少しだけ」
本当に少しだけ。
でも、朝陽くんがコートを走っていると、つい目で追ってしまう。
入部したばかりなのに、一生懸命で。
先輩たちの背中を必死に追いかけていて。
応援したくなる。
「頑張れ」
心の中でそう思っていた。
まだ、それは恋じゃない。
でも――。
朝陽くんの笑顔を見ると、私まで少しうれしくなる。
そんな変化が、自分の中で静かに始まっていることに、私はまだ気づいていなかった。




