第3話 もう一度、話したくて
入部して三日。
高校の授業にも少しずつ慣れ始めた頃には、朝陽の生活リズムも決まってきていた。
朝は少し早く登校する。
授業を受ける。
放課後は部活。
そして、一日の最後に少しだけ硯先輩と話せたら、それだけで今日は良い日だったと思える。
「おっ、今日も早いな」
昇降口で声を掛けてきたのは結翔だった。
「まあ、ちょっと」
「“ちょっと”で毎日この時間に来るやつはいないって」
朝陽は苦笑いを浮かべる。
本当の理由は言わなくても、自分が一番よく分かっていた。
朝練を見たい。
いや――。
硯先輩に会いたい。
二つの気持ちは、もう朝陽の中では同じ意味になっていた。
体育館へ向かう渡り廊下。
扉の向こうから、ボールの弾む音が聞こえてくる。
朝陽は邪魔にならないように、そっと入口から中をのぞいた。
女子バスケットボール部が朝練をしている。
「ナイス!」
「切り替えていこう!」
誰よりも大きな声を出しているのは、やっぱり葵だった。
疲れているはずなのに、笑顔を絶やさず仲間を励ましている。
だから、みんなが自然とついていく。
「……すごいな」
思わず小さくつぶやく。
「おはよう」
「っ!」
突然後ろから声がして、朝陽は飛び上がりそうになった。
振り返ると、そこにはスポーツバッグを肩に掛けた葵が立っていた。
「あ、お、おはようございます!」
「びっくりした?」
「は、はい……」
葵はくすっと笑う。
「そんなに驚かなくても大丈夫だよ」
「すみません」
「謝ることじゃないよ」
優しく返されて、朝陽の緊張は少しだけほぐれた。
「毎朝来てるよね?」
その一言に、朝陽の心臓が止まりそうになる。
「えっ……」
「朝練を見てくれてるの、何度か見かけたから」
覚えられていた。
うれしい反面、少し恥ずかしい。
「その……勉強になります」
正直な気持ちだった。
葵は少し照れたように笑う。
「そんなこと言われると恥ずかしいな」
「本当です。硯先輩のプレー、すごく好きなので」
言ってしまった。
勢いで口にした言葉に、自分で慌てる。
「あっ、いや、その……」
「ありがとう」
葵は少しだけ目を細めて笑った。
「そう言ってもらえるとうれしい」
その笑顔を見た瞬間。
朝陽は改めて思う。
やっぱり、この人は特別だ。
「じゃあ、朝練始まるから」
「はい! 頑張ってください!」
「朝陽くんもね」
名前を呼ばれた。
そのたった四文字だけで、一日頑張れる気がした。
◇
放課後の練習。
朝陽は今まで以上に声を出し、一本一本のシュートに集中した。
「いいぞ、朝陽!」
一ノ瀬の声が飛ぶ。
「はい!」
横を見ると、隣のコートでは女子部も練習中だった。
葵がこちらを見て、小さく親指を立てる。
――頑張って。
言葉はなくても、そう伝わった気がした。
朝陽は自然と笑みを浮かべる。
「よし!」
放ったシュートは、きれいな放物線を描いてリングを通り抜けた。
その音が、いつもより少しだけ心地よく聞こえた。
◇
帰宅途中。
結翔が肩を並べて歩きながら言う。
「最近、楽しそうだな」
「そう見える?」
「見える。前よりよく笑うようになった」
朝陽は少し考えてから、小さく笑った。
「高校に入ってよかったって思えるからかな」
「理由は硯先輩だろ?」
「……半分くらいは」
「半分なんだ」
「もう半分はバスケ」
「はいはい」
二人は笑い合いながら駅へ向かう。
朝陽はまだ知らない。
この何気ない朝の挨拶が、二人にとってかけがえのない日課になっていくことを。
――――――
【葵 side】
朝陽くんは、毎朝体育館に来る。
最初は偶然だと思っていた。
でも、三日続けば偶然じゃない。
練習を見つめる目は真っ直ぐで、純粋にバスケットボールが好きなんだと分かる。
「頑張ってください」
そう言われるたび、不思議と力が湧いてくる。
「いい後輩が入ってきたな」
そんなことを思いながらコートへ戻る。
まだ恋なんて考えていない。
でも、朝陽くんを見かけると自然と笑顔になる自分がいることには、まだ気づいていなかった。




