謎のクレーマー、あるいは熱源の過剰供給
タナハシカメラのフロアの隅で、長谷川店長は震える指先で一人の客を指し示しました。白髪を逆立て、ヒョウ柄のメガネをかけたその老人は、数々の販売員を精神的ロストへ追い込んできた伝説のクレーマーでした。
「田所、いいか。あの人には絶対に近づくな。一度捕まったら最後、店舗の運営時間が全て溶けるぞ……」
其の一:標的の確定
しかし、店長の懸念を嘲笑うかのように、老人は一直線に田所へと向かってきました。
「ちょっとお兄さん、聞いてくださるかしら? 私が可愛がってたおしゃべり人形の『みーちゃん』が、今日は寒いねって言うもんだから、こたつで寝かしてたのよ。そしたら、まだ寒いって。どうしたらいいのかしら?」
田所は無表情のまま、老人が抱える布製の人形をスキャンするように見つめました。
「(……いけない。この個体ユニット『みーちゃん』の内部温度が、エンドユーザーの要求値に達していない。これは熱力学的な管理の瑕疵であり、重大な『ぬくもり』の欠落だ)」
其の二:熱源の目下捜索
田所は深く頭を下げ、老人の手から「みーちゃん」を恭しく受け取りました。
「お客様、ご安心ください。こたつという緩慢な加熱デバイスでは、このユニットの深部まで熱が浸透しきれていないようです。現在、私が最適な熱源を目下捜索中でございます。……私についてきてください。内見(ご案内)を開始します」
田所が向かったのは、最新型の高級ビルトイン・グリル調理器コーナーでした。
「お兄さん、そこはお料理するところじゃないの?」
「いいえ。ここは『高密度熱エネルギー管理センター』です。みーちゃんという名の資産を、分子レベルで再加熱いたします」
其 三:全損寸前の加熱処理
田所は周囲の静止を聞かず、展示品のグリルの扉を開けました。
「みーちゃん、安心してください。今すぐあなたの『寒さ』という名のバグを、300度の集中管理によって消去いたします」
あろうことか、田所はおしゃべり人形をグリルの中に放り込み、強火のスイッチをホールドしました。数秒後、最新の消臭機能さえ追いつかないほどの異臭と共に、みーちゃんのポリエステル製の髪の毛から黒煙が上がり始めました。
「あら!? みーちゃんから煙が! みーちゃんが燃えてるわ!!」
「お客様、落ち着いてください。これは『寒さ』という名のマイナス資産が、熱エネルギーによって浄化されている過程です。現在、みーちゃんの芯まで温かさが目下捜索中――」
其 四:鎮火と原状回復
「田所ぉぉぉ!! 何を焼いてるんだお前はぁぁ!!」
異変に気づいた長谷川店長が、全力疾走で消火器を抱えて飛び込んできました。
「プシューーーッ!!」
店内に響き渡る消火剤の噴射音。グリルの隙間から溢れ出す白い粉。みーちゃんは真っ黒に焦げ、タナハシカメラの看板フロアは一瞬で吹雪のような惨状に変わりました。
「店長……。せっかくみーちゃんの内部温度を最適化していたのに、あなたの介入によって熱源データが完全にロストしました。これは営業妨害、あるいは『ぬくもり』の隠匿です」
「お前の頭を消火器で冷やしてやろうか!! 店舗が全焼するところだったんだぞ!!」
今回のリザルト:調理設備および顧客資産の全損
結局、田所は「おしゃべり人形を直火で焼き払った」として、老人から「みーちゃんが物言わぬ炭になった」と激しい抗議を受けました。長谷川店長は泣きながら、真っ白になったフロアで返金処理とグリルの廃棄手続きに追われることになりました。
「長谷川店長……。再発防止のために、店内の全商品にスプリンクラーを内蔵し、温度が1度でも上がった瞬間にフロア全体を水没させる『絶対零度管理システム』を導入してよろしいでしょうか……?」
「一秒でも早くそのベストを脱いで店から出ていけ!!」




