九条と長沢
大好きだった。だからすごく痛かった。
「やめなさい」の一言は。
「〇〇さんはい!」
教室に響く元気な声。
私はプリントを回しながら、自然とその場を仕切っていた。
クラスの誰とでも話せるし、勉強もできる。
だけど九条君はいつも無表情で、誰とも積極的に関わろうとしない。
必要なことだけを話し、感情をあまり見せないタイプ。クラスメイトともそれなりにうまくやっているが、そこに気持ちはないようだった。
それでも――。
ある日、通学路にいた私は、見知らぬ男に絡まれた。
「ねえ、お姉さんさ、ちょっと時間ある?」
「さっきから見てたんだけど、めっちゃ可愛いよね」
戸惑った瞬間。
「何か用ですか」
背後から静かに声がした。
振り返ると、九条だった。
彼は迷いなく私の前に立ち、無表情のまま相手をじっと見つめた。
男は少し怯んだように目をそらし、「なんだよ、つまんねえな」と呟いて去っていった。
「……助かった」
私は息をつき、九条を見上げる。
彼は何事もなかったかのように視線を戻し、ふっとため息をついた。
「お前、もっと警戒しろ」
「え?」
「誰でも話すから、絡まれんだろ」
「……そんなこと言われても」
「まぁ、別に気にすんな」
それだけ言って、彼は歩き出す。
いつも通りの冷静な姿だった。
でも――それから。
その日から、九条とのLINEが始まった。
最初は必要なことだけ。
九条:「明日、課題忘れんなよ」
私:「わかってるよ!」
だけど、徐々にそれは変わっていく。
九条:「お前、今日の授業、俺より頭良すぎ」
私:「それは言いすぎでしょ笑」
九条:「いや、お前はたぶん俺より上」
私:「……それ、褒めてる?」
九条:「どうだろ」
こんな何気ないやり取りが増えていった。
LINEのやり取りが増える中で、九条はときどき少し間を置くようになる。
それは、私が他の男子の話をしたときだった。
私:「今日、〇〇くんに数学教えてたんだけどさ…」
九条:「……そっか」
私:「なんか意外と理解早くてびっくりした!」
九条:「ふーん」
短い。
いつもより、ちょっとだけ素っ気ない気がする。
私:「なに、その反応?」
九条:「別に」
私:「もしかして、ちょっと嫌?」
九条:「……いや、お前が誰と話そうと自由だけど」
私:「でもちょっと気になるんでしょ?」
九条:「……さぁ」
こういうやり取りが増えていくうちに、九条が時々考え込むように間を置くことに気づく。
学校では、九条は相変わらず必要なことしか話さない。
私とは普通に接するけれど、他の人から見ればただのクラスメイトに過ぎない。
でも、LINEでは――。
九条:「今日の授業、寝た」
私:「いや、ちゃんと聞いてたでしょ?」
九条:「お前がいたし」
私:「……それ、褒めてる?」
九条:「どうだろ」
面と向かって言わないことを、LINEではさりげなく伝えてくる。
そして、時々――。
九条:「お前と話すと落ち着くな」
私:「え、それどういう意味?」
九条:「深い意味はないけど…まぁ、そういうこと」
私:「それって、特別ってこと?」
九条:「……うん」
九条とラインで話すのは楽しかった。
LINEを見た母が言った。
「受験がうまくいかなかったらどうするの?」
「進学校に行けなかったら?」
「そんな余裕ないでしょ?」
猛反対だった。
「やめなさい」
「今はそんなことしてる場合じゃない」
私は言葉を失った。
このやり取りが、そんなに悪いことなの?
九条と話すことが、そんなにいけないことなの?
でも、どんなに考えても、答えは出なかった。
LINEを送る
私:「どうしたらいいかな…」
九条:「……俺とのことか」
私:「うん」
九条:「そっか」
私:「どうしよう」
九条:「……これで終わりにしよう」
言葉が詰まった。
終わりにしよう?
そんなの、嫌だ。
まだ、好きの一言も言えてない。
でも、何も言えなかった。
受験を前に、最後のLINEを送った。
私:「いつか、連絡してもいい?」
九条は、少しの間を置いて、ただ一言返した。
九条:「待ってる」
この文章をみたとき、私、長沢立夏は高校に合格し、いい成績をとった上で連絡しようと心に決めた。




