90.お前はスゴいヤツだ
6月下旬、帝都郊外にある小さな教会の戸口で、ゴズ・イワオとバーバ・ヤーガの結婚式は、ささやかに行われた。
というのも、イワオが大々的な式を嫌ったこともあるが、何より新婦が【狂愛の魔女】バーバ・ヤーガであることをはじめ、列席者に【ヒヨコの魔王】グリンカムビ、伝説の軍人【烈女】ハンナ・シュバルツ、気鋭の黒魔道士【嫉妬の魔女】パミーナ・フォン・ナハトと、その両親である【夜の女王】コンスタンツェ・フォン・ナハト、【昼の神官】ザラストロ・フォン・タグシュバーといったそうそうたるビッグネームが名を連ね、それがまた、あまり公にされるべきでない情報を共有していたためである。
そして、何より、そこには【扇動の勇者】も出席していた。
『勇者』と『魔王』が同じ場所にいるということは、自ずから何がしかの政治的意味を生ずるものであり、これが公になることは、新郎新婦の意思に反することだった。
白い上下の軍服みたいな衣装を着せられたイワオが視界に入った瞬間、ソウタは腹を抱えて笑ったが、その後、真っ赤なドレスに銀のティアラを被ったバーバ・ヤーガが現れ、2人が誓いの言葉を交わし、指輪の交換をする段に至って、特にこれといった信仰心を持たないソウタにも、不思議と形容し難い厳かさのようなものが感じられた。
視線を交わす2人の眼差しを見た時、ソウタは、なぜかふと腹に落ちたような心持ちがした。
(ああ、こいつは、バーバ・ヤーガと出会った時、すでにこの世界で生きて行くと腹を決めとったんやな)
ある日突然異世界で目覚めるなどという状況は、控えめに言っても支離滅裂だし、彼らはそれまで、親の扶養で生きてきた子どもに過ぎなかった。
己の命と魂以外に何も持たなかった彼らは、哲学的な逆説みたいだが、無けなしの命を惜しみなく死の気配に晒すことより他に、生きる術を持たなかった。
そうした中でも、ソウタが、見ようによっては飄々と、この世界を渡ってこれたのは、いかなる状況でも(いや、必ずしもそうとは言えなかったかもしれないが)泰然と構えて動じないイワオが横にいて、「いや、どういう仕組みやねん」と首を傾げながら、この変テコな世界の変テコな流れに、自らの常識という棹を堂々と刺して両足を踏ん張っていたからと言っても過言ではない。
イワオは元よりそういう奴だった。
元々、ソウタは取り分けイワオと仲が良かったというわけでもない。だが、彼のそういう性分は、何となく一種の高潔さに近い独特の空気を醸し出していた。
思い返してみれば、かつての世界だって、彼らにとっては、『よく分かること』より|『よく分からないこと』の方がずっと多かった。しかし、イワオはそうした『よく分からない』状況の中でも、うろたえるでも嘆くでも投げやりになるでもなく、「ほなら、俺はこうするわ」と平然と言える男だった。
そうした彼の判断は、必ずしも良い結果をもたらしたわけではなかったし、誰もが納得するような選択とも限らなかったが、本人にとってはそうしたことも、大した問題ではないように見えた。
その身体と器の大きさによって、周囲からも一目置かれるような存在だったイワオが、一方で、決してコミュニティの中心的立場に位置しなかったことは、おそらく彼が、自ら何かを成し遂げようという熱量に欠けていたからだと思われる。
しかし、この世界でバーバ・ヤーガと出会ったイワオは、自らの進むべき道を、その揺るがぬ足取りで歩き出した。
丁度、参列者の間を、彼女と共に1つのヴェールを被せられて通り過ぎようとする、今、この時のように。
イワオがすれ違う瞬間、目を合わせた彼に、ソウタは、呟くように言った。
「お前は、スゴいヤツや」────────
────────このような羞恥を甘んずる風習というのは、一体誰のためにあるものなのだろうか、とイワオは常々疑問だった。
親戚の結婚式に参加したことも一度や二度ではなかったが、気の弱い従兄弟の兄ちゃんや、声のデカい叔父ちゃんが、まるで似合わないタキシードだかフロックコートだかを着せられ、冗談みたいな蝶ネクタイを首から垂らし、胸ポケットからはキャベツみたいにくしゃくしゃのハンカチを突っ込まれ、あるいははみ出させているのを見ては、「これは、どういうことやねん」と首を傾げずにはいられなかった。
(まさか自分が、その立場になるとはな……)と思いながら、腹を抱えて笑うソウタを一瞥し、イワオは教会の戸口に立っていた。将来自分が結婚するとすれば、役所に届けだけを提出して終わるのだと固く心に決めていたはずだった。
人生とは、えてしてこうした決意の変更の連続である。
しかし、真っ赤なドレスに、銀細工のティアラを被ったバーバ・ヤーガが、参列者の後ろから現れた時、そうした諦念めいた嘆きは、どこか遠くへ消え去った。
息を呑むほど美しい。
それはそうだ。一目見た瞬間から、この女と生きていく、とそう決意させた女である。
彼女が何者であろうが、何歳であろうが、まるで関係がなかった。
祝別された指輪を、神父だか司祭だかが彼らの前に差し出すまで、その教会の職員の話は半分もイワオの耳には入らなかったが、「互いの指輪がはめられた、その指の血管は真っ直ぐに心臓へ達し、これを以て互いの心が、結婚を承諾した印とする」という言葉だけが、妙に印象に残った。
「ごっつハズいねんけど……」と呟くイワオに、バーバ・ヤーガが濃厚な誓いのキスをした後、ふと参列者の中のソウタの姿が目に入った。
(どういう表情やねん)と思わず声が出そうになるのを堪えるほど、ソウタの面持ちは、神妙だった。
ソウタとイワオは、まあ、友だちかと聞かれればそうだと答える、という程度の仲だった。
誰にでも愛想が良く、かと言って媚びるでもなく、思ったことをはっきり言う男で、例えば道に迷った隣のクラスの女を街で見かけたとして、「声を掛ければ何か妙な意味が出るんちゃうか?」というような気遅れを一切せずに、さらっと声をかけられるような奴だった。
決してコミュニティの中心にいるわけではないが、注意深く見れば、人と人との間を繋いで、その周りを蝶のように飛び交っている。そういう、一種の優雅さのようなものを持っていた。
右も左も分からないこの世界で、彼らが人に恵まれてきたのも、ソウタのこの資質によるところが大きいとイワオは感じている。
初めてダンジョン中層に挑戦した時、大勢のベテラン冒険者の協力を得られたのも、ソウタのコネクションが元だったし、学園で最初の仲間、パミーナとの仲も、ソウタが彼女を慰めたことが始まりだった。
これからも、コイツはそうして、多くの人と繋がって生きていくのだろう、とイワオは妙に感心めいた心持ちで、一人頷いた。
バーバ・ヤーガが彼の腕を取り、赤い絨毯の上を歩いて行く時、すれ違ったソウタと目が合った。
イワオは自然と、呟いていた。
「お前は、スゴいヤツや」────────




