91.男子高校生2人のゆる〜い異世界生活
結婚式は、ささやかに終わりを迎えたが、それはあくまで式に限った話であって、その後の宴までしめやかに行われることを保証する者は誰もいなかった。
名だたる大物が参列したとは言うものの、半数以上は同期の学生であり、そうした若者に酒を振る舞えば、その席がどういうものになるかは想像に難くない。
念のために断っておくが、この世界には未成年の飲酒を制限する法律が存在しない。飲み水の安全性が保証されない世界では、ブドウの搾りかすや麦を発酵させたものは、主要な飲料だった。当然それらには多かれ少なかれアルコールが含まれる。
その日一日は過酷な訓練や降って湧いた特殊な任務から解放されると共に、友人の結婚とあって、居酒屋に着くと程なく、同期たちはほとんど殺気に近い狂喜に任せて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを演じた。
教官である【烈女】ハンナ・シュバルツは、頃合を見て、そうした学生たち一人一人の元へ足を運び、丁度、勇者と戦ったソウタにそうしたように、強烈な平手打ちで彼らの正気を取り戻すと、口を開いた。
「約1年後には、貴様らも卒業となるわけだが、毎月数十名が入学し、また卒業する学園での卒業式などというのはあっさりしたものだから、この機会に言っておく。
学園での俺の役割は、最初の1年で訓練について来れない者を間引くことだった。ここで毎年半数以上が脱落する。ところが、貴様らは、入学当初の20名から、15名も生き残っている。これは、異例のことだ。
結婚式だから立てるわけじゃないが、これはイワオとソウタ、この2人の異世界人が持ち込んだ、独特の価値観や空気感が大きく貢献したと考えている。
はっきり言って、貴様らは、戦闘能力で言えばこれまで俺が受け持った中で、ぶっちぎりの最弱だ。だが、単に互いの利益に基づいて協力するという以上の連帯が、貴様らをここまで生き延びさせた。
俺は貴様らに、『強い』ということの、本当の意味を教えるつもりだった。剣技で俺に敵う者など大陸中を探してもほぼおるまいが、そうした者たちにも、俺には出来ないことを成し遂げる可能性があるのだということを。しかし貴様らに、それはもう、不要だ。
これがどういう意味か、分かるか?」
フィガロが率先して手を上げた。「つまり、『もうお前たちに教えることはない』と、そういうことでしょうか!」
教官は鼻で笑う。「バカが! これからは体力と戦技だけを鍛え抜けば良いのだとはっきりしたということだ! これからの1年は、地獄の鬼も裸足で逃げ出す本物の地獄を見せてやる!」
学生たちはやぶれかぶれに叫んだ。
不意に肩を叩かれて、ソウタは後ろを振り向いた。そこには身なりの良い男女が立っていた。黒いドレスの夫人と、聖職者を思わせる白いローブの男である。
男の方が口を開いた。「君が、タカマツ・ソウタ君かね。『娘』から、話は聞かせてもらっている」
「はあ、娘さん……」とソウタは気の抜けた返事をした。
「私は、ザラストロ・フォン・タグシュバー、そして、こちらは妻のコンスタンツェだ」と男は名乗った。
ソウタは曖昧に返事をしてから、はたと気付いて血の気が引いていくのをはっきりと感じた。
「あ……パミーナちゃんの、ご両親……」
「ふむ……それほど、見込みのある男には見えんがね……」と男は言った。
「あら貴方、あまり脅かしては可哀想ですわ」と隣の夫人がたしなめるように言ったが、その実ちっともそれを咎めるような雰囲気ではなかった。夫婦の視線には、かなり明確な敵意が滲んでいる。
男は形ばかり頷いて、続けた。「そうか、では、これだけは伝えておこう。君と娘の間に、何らかの間違いが起こった場合、私は、神と皇帝陛下に誓って、君の四肢を引きちぎり、君の目の前で豚のディナーにするつもりだ。もちろん、そのようなことが必要となる事態は、起こることがないと信じているがね」
隣の婦人が引き継ぐ。「殿方としての責任は、四肢が捥げても果たせるでしょうから、娘のそばにいてやって下さいね。もっとも、そうなれば逃げ出すことなど出来ませんでしょうけど」
ソウタはにわかに震え上がって、「うーん……なるほど……」と返事とも言えぬ声を漏らした。
それを見ていたイワオが、夫婦が去っていった後でソウタに耳打ちした。「そっくりやな」
「ああ。恐怖より納得が先にきたわ」
ちょうどその時、それを見ていたパミーナが満面の笑みで彼らに駆け寄ると、「あの、私、卒業したら、もう、教官に遠慮することもないと思うので、その時には、こう、魔法で『えいっ!』とやって、キセイジジツを作るつもりで、そうしたら、男の人は逃げられないってお母さまに教わったので!」とまくし立てた。
「俺、卒業後、1年無事に生きれるやろか」とソウタが尋ねると、イワオは唸った。
「まあ、確率で言うたら15%くらいちゃう?」
顔を上げた時、酒場の隅で一人グラスを傾けている男がソウタの目に入った。「勇者アイツ、よう来たな」
「せっかくやし、挨拶しとこか」
2人が勇者のテーブルまで進むと、勇者は決まりが悪そうに「おめでとう」と言った。
「ありがとう。まさか、お前が来てくれるとは思えへんかったわ」とイワオが言うと、勇者はうなずいた。
「友だちってわけじゃないしな。まあ、『勇者』が参列した式ってのは、ハクが付くんじゃないか? 俺も、この世界の風習にそれほど明るいわけじゃないが」
「まさか、そんだけのために来たわけでもないやろ」とソウタが言うと、勇者は少し思い悩むように目を細めた。
「ああ。確かに、そうだ。どうしても、お前たちに聞きたいことがあったんだよ」と言うと、勇者はグラスをあおった。「お前らは決して、強くはなかった。大したスキルも無ければ学もない。ロクに本も読まんだろう」
「読むわ!」とソウタは反論した。「『ノンタン』とか」
「お前何才やねん。歯医者さんのキッズコーナーにあるヤツやん」とイワオが口を挟む。
「まあ、いい。それでもあの時、俺の喉笛を噛みちぎったのは、お前らの覚悟だ。お前らはあの時点で、ただ逃げることだって出来たはずだ。『ここに勇者はいなかった』そう仲間に告げて、仲間を戦いから遠ざけることだって。
貴様らの覚悟は、一体何のためのものだったのか。結局貴様らは、一体何を守ろうとしたのか。最後にこれだけは聞きたかった」
「いやお前、世の中ムチャクチャにするとこやったやん」とイワオは顔をしかめる。
ソウタは少し考えてから、勇者の質問に答えた。「まあ、誰かが仮に、この世界を物語にするとして、そこで主人公になるのは、俺やイワオやあれへんやろな。ホンマしょうもないことしかしてへんからな。
けど、このしょうもない日常を物語にするなら、その主人公は俺やねん。そんなもん、俺自身にしか価値がないかもせえへん。別にそれでええねん。
俺たちは、俺たちの日常のために戦ったんや。イワオと2人で、このよう分からん世界に飛ばされて、なんやかんや、ぐだぐだやって来た日常が、俺たちにとっては価値のあるものやから。
俺たちが守ろうとしたのは、『男子高校生2人のゆる〜い異世界生活』や」
「それがお前たちの物語のタイトルか」と勇者は呟いた。「つまらなそうだ。まるでセンスを感じない」
「やかましわ。たまにクスっと笑えることが起きるねん」
勇者は、憑物が落ちたような晴れ晴れとした表情で、しかしどこか演技じみた調子で不服を表すように鼻を鳴らした後、「魔界に来る時には、せいぜい気を付けるんだな」と吐き捨てた。
「まだ、何かあるんか?」ソウタは眉間にシワを寄せる。
「いや、俺は魔界中を開墾しながら、そこら辺に野グソをしている。お前らがそれを踏んで悲嘆に暮れるのを楽しみにしている」と勇者は笑った。
あの日、自分の野グソを見られまいと必死だった勇者は、野グソを笑い飛ばせる男になっていた。
それを、人としての『成長』と呼ぶべきか『退化』と呼ぶべきか、ソウタはもちろん、おそらくその場にいた誰もが、明確な答えを持たなかった。
──「誠にめでたい席である」──と頭の中に声が聞こえ、ソウタとイワオは辺りにその声の主を探した。何せ小さいので、彼を見つけるのは困難だったが、【ヒヨコの魔王】グリンカムビは、勇者の座る椅子の、股の間で麦か何かの粒をついばんでいた。
──「勇者は今、魔界の地を耕しておる。此奴の耕した土、撒いた水で、種は苗へと育ち、やがて実を結ぶ。
作物は人の腹を満たし、また土へ還り、次なる作物の糧となる。世界が回るとは、元来そうしたことであろう」──
「ホンマええこと言うわ。ダテに魔王やあれへんな」とソウタは深く頷いた。
──「今より善くあろうとする時、成る程、何かを捨てねばならぬかも知れぬ。新しい何かを打ち立てようとする時、代わりに何かを壊さねばならぬかも知れぬ。
しかし、捨てようとするもの、壊そうとするものにも、確かに価値があったはずだということに思いが至らねば、その者は単なる破壊者に落ちぶれるであろう」──
「ホンマ、深いわ。マリアナ海峡や」
──「いつの世も、人は未熟で世界は未完成だ。誠に宜しいではないか。結構ではないか。人が未熟であればこそ、我らは手を取り合うのであろう。世界が未完であればこそ、我らは戦うのであろう。人を愛そうではないか。世界を楽しもうではないか!」──
「いや、ちょっとクドなってもうてるわ。そこまでいくと。ええ事言おう、ええ事言おうとする意気込みが出過ぎてもうてんねん」とソウタは流石に口を挟んだ。
『ヒヨコの魔王』グリンカムビは、短い羽をパタパタと羽ばたかせ、近くのテーブルの陰に隠れた。
──「ソウタ、其方そういうところがあるぞ」──
「ごめんて」と詫びながら、ソウタとイワオは店の中を見渡した。どうということはない、この世界ではありふれた、むしろややリーズナブルな居酒屋である。
「まあ、『ゆる〜い』とは言いながら、何となくドタバタした感じの日常が、これからも続いていくんやろなぁ」




