83.目覚めよと呼ぶ声あり
イワオの戦斧が円卓を中央から真っ二つに叩き割った。
「クソが……! やったるわ!」
戦斧の柄を握り直して勇者を睨むイワオの裾を、バーバ・ヤーガが引いた。
「待って。妾は大事ない」
「大事ないってお前……」イワオは着衣の襟を引っ張り胸元を覗き込んだ。赤黒い血に濡れてはいるが、そこにあるべき傷は見当たらない。
「驚いたな。胸を貫いたはずだ」勇者は目を見開いて、バーバ・ヤーガを見下ろす。
「凡百の魔法使いと混同するな。齢を経た魔法使いの身体は、並の人間とはモノが違う。小さな穴1つ開けた程度で勝ったつもりか」
「いや、鉄砲で撃たれるて、大変なことやと思うで」ソウタは呆れて言った。本来、人を殺すのには、街を1つ焼き払うだけの火力だとか、時空も切り裂くような腕力だとかいったものは必要が無い。
小指の先ほどの弾頭が、かつての世界で夥しい屍の山を築き上げ、その土壌に人々が暮らして来たのだということくらいは、学のないソウタも漠然と理解していた。
「化け物が……」勇者は忌々しげに吐き捨てた。
「これは、『聖剣』を鋳溶かしたものだな」バーバ・ヤーガは自らの胸を貫き地面に落ちた金属の礫を指先で拾い、弄んだ。
「その通り。魔素の濃い土地で育った魔族は、細胞の組成に魔素を大量に含んでいる。魔族に対抗するために歴代の勇者が用いた『聖剣』が、魔王をはじめとして魔族に高い効果を挙げてきたのは、それが魔素を分解する性質を持った金属から造られたものだからだ。
これは同時に、特殊な呼吸法で大気中の魔素を取り込み、術式によって出力する魔道士の魔法をも無効化出来るということを意味する。
傷が塞がったことには正直驚いたが、今までのように魔法を自在に扱えるか?」
「なるほど、確かに」そう言うと、バーバ・ヤーガはおもむろに立ち上がった。
「大丈夫なんか?」イワオが彼女の顔を覗き込むと、バーバ・ヤーガは寂しげに笑った。
「魔力を体内で制御する回路に傷がついて、力を抑え込めない。魔法を扱おうとすれば、何が起こるか妾にも分からぬ」
「今、回復したるから、ちょっと待っとけ」イワオはバーバ・ヤーガの手を握り、一心に念じた。
「無駄だと言ったろう。1000年の時を積み上げた魔女の防壁を貫通し、魔力回路を寸断するほどのものだ。魔法使いとしてはほとんど神に等しい【冬の魔女】をして、肉と臓腑の再生をするのがやっと、お前のような半端者にどうこう出来るような傷ではない」
「お前に言うてへんわボケカスこらぁ! 何してくれとんねん! 後でバチくそしばいたるから覚悟しとけやアホンダラ!」
「お前は、まだ自分の立場が分かっていないらしいな。魔法を使えない魔道士と、せいぜい駆け出しの冒険者2人、“俺”はすぐにでもお前たち3人を八つ裂きに出来るのだということを、忘れるべきじゃない」
「『魔法を使えない』? 妾がいつ、魔法を使えないなどと言ったか。妾は、『力を抑え込めない』と言ったのだ。妾の命と引き換えに、この地もろとも塵にしてやっても構わんのだぞ」バーバ・ヤーガが嘲るように言うと、イワオは彼女をなだめた。
「あかんあかん。カッとなりやすいのは、あかんところやで」
「でも、あいつ生意気なんだもん。せいぜい2、30年生きた程度の青二才が」
「それ言うたら、俺なんかまだ17年しか生きてへんわ」
「それはいいのよ。好きだから。妾のために怒ってくれて、嬉しかった」
「何言うてんねん。いつも守ってもろてばっかりやん。今度は俺が守ったる」
「嬉しい……!」
ソウタはたまらず口を挟んだ。「いや、お前ら何イチャついとんねん。鉄砲で撃たれてんねん。危機感どこに置いてきてもうたんや」
彼らのやり取りを眺めていた勇者が、おもむろに立ち上がって口を開いた。「さて、そろそろいいかな」
「ええことあらへんがな。話は何も始まってへん。『魔王』はな、魔王が魔王であるまま、勇者が勇者であるまま、お互い潰し合わなあかん宿命を克服しようとしとんねん。
お前には、それに見合うだけの『正義』があるんか? 多分俺には、調教師のおばちゃん使って、何も悪いことしてへん村の人たちを襲わせたお前の正義に共感出来ることはあれへんと思うけどな、それでも、何も話聞かんと、ただ殺し合わなあかんことには納得出来へんねん」
「いや、そいうことじゃないんだ。お前たちに、我々の意図を知るまでここを去るつもりがないのは分かった。であれば、それはそれとして、我々は別の手段を使うだけ。そして、その準備は整った」
そう言うと、勇者は剣を抜き払い、ランプの光にかざした。
「なんやコラ、やるんか?」とイワオは相手の意図を測りきれず、戸惑いながらも威嚇したが、勇者はそれを鼻で笑った。
「お前を傷付けて、【冬の魔女】に癇癪でも起こされては面白くない。要はお前たちをここに拘束して、我々はここで『革命』を実行すればいい。
もっとも、完全な形でそれが出来なかったことは残念だが、まあ、良しとしよう
一口に『勇者』と言ってもね、『魔王』と同じようにそれぞれ個性があるんだ。“私”には残念ながら極端な戦闘力は与えられなかった。
知っての通り、【烈女】ハンナ・シュバルツと同等程度だろう。もちろん、一般的な尺度から言えば十分強いことにはなるだろうが、これまでの勇者のように、単独、又は少数の仲間を連れて、『魔王』やその軍団と伍するのは些か厳しい。しかし代わりに、“僕”は面白いスキルを授かった」
勇者はそこで一旦間をとった。
「サクッと言えやボケ」とソウタが苛立ちを隠さず言ったが、勇者は構わず続けた。
「人間社会において、最も恐るべき者が誰か、考えたことがあるか?
例えば見境なく人を殺して回るような殺人鬼も、国家の前では容易に叩き潰せる1匹の害虫に過ぎない。
では、国家を強力に支配し、圧政を敷く専制君主を恐れるべきか? それとも、圧政を覆した末、社会主義や共和制の名の下に大量の人民を粛清した、ポル・ポトやロベスピエールのような独裁的な革命家を恐れるべきか?
いや、違う。絶対的な権力を手中に収めた専制君主に堅牢な城を造らせたのは、対外戦争だけではない。独裁者が起こした虐殺は、彼らの恐怖の裏返しだ。彼らは何を恐れていたか、それはね、『大衆』だよ」
「お前の話、視点がデカい上にフワッとしてて分かりにくいねん」
ソウタの苦情を含み笑いで受け流すと、勇者は自らの刃に向かって、高らかに言った。「目覚めよ! 人民よ! 友愛の皮を被って我らの地を侵す、卑劣にして高邁な魔族どもを一匹残らず蹂躙し、以て我らが祖国の地に人民の旗を掲げるのだ!」
「誰に言うとんねん」ソウタはあんぐりと口を開けてそう漏らす。
「魔界と帝国の和睦によって、大量の魔族が北大陸に進出している。逆も然り。魔界にも相当数の非魔族が入り込んでいる。
この剣には、そうした非魔族の大衆意識に直接語りかける通信魔法が付与されている。それに乗って、“僕”の声は『大衆』に届いた。
『大衆』は武器を執り、蜂起する。これが“俺”のスキル、『扇動者』だ」
勇者は誇らしげに宣言した。
「全然ピンと来えへんわ」




