81.魔女襲来
「平伏せよ。【冬の魔女】ゴズ・バーバ・ヤーガが亭主、ゴズ・イワオ殿の御前である」
バーバ・ヤーガの宣言に、勇者一党は、混乱を極めた。
その理由は言うまでもなく、【烈女】ハンナ・シュバルツの襲撃から逃れて転移した先に、何の前触れもなく現れた大魔導士【冬の魔女】バーバ・ヤーガの出現にあったが、それに加えて彼女の言っていることにも、他人からすれば色々と理解し難い要素が含まれていたことだろう。
「外堀の埋め方エグない? ゼクシィ何冊分の破壊力やねん」
とは言いながら、彼女とイワオの関係性を承知しているソウタからすれば、さして驚くほどのことではなかったが、『冬』という概念の神話的表現とまで言われ、実に1000年の時を生きるという半ば神格化された魔女に、「亭主」と呼ばれる相手がいるということは、この世界の人たちにとって、例えばキリストに子がいた(事実『マグダラのマリア』を妻として、こういう仮説が存在することはさておき)とか、釈迦が双子だった(だとすれば、母のマーヤーは両脇から1人ずつ子どもを産んだことだろう)とかいうくらいの衝撃なのかもしれない。
その上、それぞれの立ち姿が醸すオーラから言って、魔女の両脇に侍るお付きの小間使いにでも見えようかという2人の男の内1人が彼女の夫であり、その夫に平伏せよと言うのだから、混乱も極に達する勇者の仲間たちには同情を禁じ得ない。
こうして見れば、彼らの来訪は、物理的な破壊行為を伴わなくとも、敵組織を間接的に弱体化、または無力化する、ある種の情報攻撃とさえ言えた。
バーバ・ヤーガは、慌てふためくそうした人たちを、背を反らして見下しながら、鼻で笑った。
「戸惑うのも無理からぬこと。我が夫の故郷では、苗字を先に置くのが通例である。従って、北の帝国と、南の魔界に共通する姓名の慣習からすれば『バーバ・ヤーガ・ゴズ』となるべきところ……」
「多分、そこやないと思うわ」とイワオは彼女の言葉を遮った。
周囲は、これまで彼らが駆け回っていたのと何ら変わりのない密林の中だった。目を凝らせば、うっすらと、天幕のようなものがそちらこちらに見え隠れする。
どうやら、人間の『認知』を阻害する幻術の一種が施されているものらしい。
ひとしきり慌てた後、どうやら直ちに危害を加えるつもりは無いようだと見たものか、徐々に冷静さを取り戻してこちらの様子を伺い始めた勇者の仲間たちに向かって、ソウタは「あのー……『勇者』さん居てますか?」と、初めて遊びに行く友だちの母親に言うような調子で尋ねた。
「いや……いるけど、どういった御用向きで……?」いかにも事業で失敗した末、紆余曲折を経て勇者に拾われたといった雰囲気の、冴えない中年の男が恐る恐る聞き返してきた。
「あー……いや、何と説明したもんか……。言うたら、何とか戦わんと解決出来へんもんやろかという相談を……」
「問答無用で襲いかかって来たのはそっちだろ!」中年男の後ろの方から、さも社会から爪弾きにされて荒れていた自分を受け入れてくれたのは勇者だけだった、といった風の若い男が怒鳴りつけた。
「ほら、やっぱ菓子折り必要やったやん」とソウタはイワオに抗議した。
「問題はそこちゃうやろ」
やはりソウタの顔は覚えられていたらしい。が、冴えない中年の男は、若い男をたしなめた。
「ここで我々を殲滅するつもりなら、すでに【冬の魔女】が何らかの攻撃を仕掛けてきたはず。それこそ、『勇者』を誘き出す策略かもしれんが、だからといってここを拒んでも、我々に【冬の魔女】を退ける手は無い。対抗出来るとすれば勇者だけだ」
「左様。其方らの仲間にどれほどの魔道士が居るか知らぬが、逃れようというなら、30人からいる仲間を引き連れ逃げる先に、妾はたった3人でつけ回し続ければ良いだけだ。そもそも、魔力の差は大海と雨粒を比べるようなもの、どちらが先に尽きるかは猿でも分かろう。
其方らは戦うにせよ、従うにせよ、妾が居る以上、勇者をここへ連れて来るよりほかにない」
バーバ・ヤーガはそう言いながら、人垣の後方を遠く見通すように視線を上げ、水平に掲げた右腕の先で人差し指を曲げた。
「あっ……!」女の声が唖然とする人の群の陰から聞こえた。
見れば、白いローブを着た金髪の女、先の戦いでコミューンを守った魔道士が、地面から突き出した無数の蒼白い手に足を掴まれ立ち尽くしている。
「婢女、この妾の目を盗めると思うてか」バーバ・ヤーガは嘲るように言った。
「サロメ、いい。彼らと話をする」人混みを分けて、1人の男が進み出た。額に赤い宝玉の嵌め込まれた金の環を被った男である。
「なるほど、独特の気配がある」とバーバ・ヤーガは言った。
ソウタとイワオは、昼間に直接彼の顔を見たはずだったが、頭に被った金の環以外に、彼を勇者と識別する術を持たなかった。魔族の集落で会った調教師の言う通り、ひどく印象が薄いのだ。
「“私”が、当代の『勇者』だ」と男は名乗った。
「いや、普通名前言わん?」ソウタは抗議に近い口調で尋ねた。
「知って欲しいと思わない」勇者は目を合わせずに言う。
「何やコイツ」イワオは顔をしかめた。
「ひねくれとんな。教室の隅の方でひたすら『話しかけんなオーラ』出し続けるタイプのヤツや」
「“俺”のことはどうでもいいだろう。用を言え」勇者は不愉快そうにソウタを睨んだ。
「魔王がお前と話したがっとる。その話し合いが成立すれば、取り敢えず俺たちは、お前らと戦わんで済むねん」
「話が見えないな。どうして君らが、魔王の使いをするんだ?」
「友だちやし」とソウタが答えると、何か、1つの区切りをつけるように、勇者は目を細めた。
「君たちは、『人間』だろう?」
勇者の質問は、何かとても重要なことを尋ねているように聞こえた。
「せやな。『魔王』かてそうやけどな。見た目はヒヨコやけど、話が出来て、手紙まで書いてきよるからな」
「なるほど、君は、そう“線引き”するわけだ」
「お前はちゃうんか?」
「君は、『こちら世界』の歴史や、進化生物学について、どの程度理解している?」
ソウタは自分の漠然とした予感が当たっていたことを確信した。「お前も、そうなんやな?」
「いや、どっちか質問に答えろや。質問に質問で返すなて」イワオは顔をしかめた。
豪雨はやんでいた。




