80.Warp
魔界の雨季というのは、例えば日本の梅雨のように、一日中しとしとと雨が降り続けるというものではない。1日に何度か、世界の終末を思わせるような、強烈な豪雨を伴うスコールが吹き荒れ、それを過ぎれば、まるで深刻なトピックの後の芸能ニュースみたいに、空は曇りなく晴れるというのを繰り返す。
『別班』第一斥候として偵察に出たイワオとソウタに指示された基本的な戦術は、このスコールに紛れて複数選定された敵の予想集結地付近まで前進、雨止みと共に周囲の茂みに隠れつつ一帯を観察し、また次のスコールに隠れて次の予想集結地へ移動するというものだった。
もちろん、斥候に出ているのは彼らだけではない。
フィガロとジェミマ、フィオルディリージとドラベッラ、メグとピッポがそれぞれ偵察に出て、彼らと同じように山野を駆け巡っている。
そのうち誰かが接敵した場合、ピッポの用意した信号用手投弾の爆音と閃光で合図が出され、そこに【烈女】ハンナ・シュバルツが駆け付けた時点で戦端が開かれる。
こうなれば、イワオやソウタの力ではもはや介入の余地が無い。
4組の斥候は、味方集結地を中心に半径2kmの範囲を、90°ずつ受け持つこととなっており、ソウタとイワオは南東に広がる扇型のエリアを、集結地から外側へ広がるように索敵する命令だったが、彼らは通信障壁の魔法が味方の通信も阻害していることを逆手に、この命令に反して真っ直ぐに南東へ2km直進、班本部との距離を取った。
まともに索敵をすれば、樹上移動で驚異的な機動力を発揮するエルフの2人組、フィオルディリージとドラベッラが最速であることが明らかだったし、あくまで2km圏内に勇者一党のコミューンがあるとすれば、それぞれの斥候がそれを発見する確率は単純に4分の1、ソウタとイワオのエリアでなければそれで終わりの話である。
従って、彼らはここに来て、最強のカードを切る決意をしていた。
「ここや」地図を広げて林道の形と歩測から、エリアの南東限界に到達したことを確認すると、イワオは頷いた。
「いったれイワオ。最強の召喚術や」
「お前、次それ言うたらシバいたるからな」とイワオは釘を刺し、恋人の名を呼んだ。「バーバ・ヤーガ……」
豪雨に打たれる低木の陰に、ふと女の声が聞こえた。「……はい」
「いつの間に……」とソウタは思わず呟いた。
すでに、彼女はそこにいたのである。
「婿殿が妾の名を呼ぶ時、妾は婿殿のそばに居る」
「いっつも不思議やってんけど、それどうやってんの?」とイワオが聴くと、バーバ・ヤーガは何事も無いように答えた。
「イワオさんの髪の毛を媒介に、位置を捕捉出来るの。ベッドの抜け毛を集めて、大事に瓶にしまってあるから」
ソウタはその様を想像すると、ゾッとして口をつぐんだ。(何集めとんねん。『羅生門』のババアやないか……)
「それで、来てもろたのは……」と説明しようとするイワオの言葉を、バーバ・ヤーガは遮った。
「『勇者』とハンナ・シュバルツの戦いを回避して、『魔王』との会合を成立させる。勇者に兵を退かせ、全てを平和裡に解決する」
「甘いか?」とイワオは尋ねたが、バーバ・ヤーガはそれに答えなかった。
代わりに、「妾は、婿殿の全てを尊重する」とだけ言って、バーバ・ヤーガはその場に膝をつき、両手を地面にあてた。
「何しとん。服汚れるやん」とイワオが彼女に手を差し伸べると、彼女はその手を取って立ち上がった。
「ここから真っ直ぐ南に1km半くらい、濃い憎しみの意志と魔力が淀みを作っている」
「じゃあ、そこが?」
「ええ、勇者一党のコミューンと見て、まず、間違いないわ」
このやり取りを横目で見ていたソウタは、思わず感嘆の声をあげた。「え、嘘やん。もう分かったん? 最初っから国挙げて彼女にお願いしとったら良かったんちゃうん」
「妾は、婿殿以外の何者の指図も受けん」
「あー、なるほど。ほいで、どないする? なんか急に緊張してきてんけど。勇者に会ったら何て言うたらええねやろ。『こんばんは』?」ソウタは意味も無くキョロキョロと辺りを見回す。
「まあ、挨拶は大事やろな。問題はその後や。お前、勇者の野グソ暴いてもうてんから、向こうも警戒してるやろ」
「いや、あの場面で野グソしとる方も悪ない?」
「ええとか悪いとかの話ちゃうやん。『恥ずかしい思いさせてごめん』て謝っとき」
「まあ、ええねんけど、その後やねん。ちょっと考える時間欲しいわ」
ソウタが言うと、バーバ・ヤーガは首を横に振った。
「状況から見て、いつまでもそこにいるとは考え難い。今であれば感知した魔力溜まりを目掛けて転移が可能だが、次に彼奴らがコミューンを移動するのは今この瞬間かもしれん。時間は無いと考えるべきだ」
「会った後のことは会ってから考えたらええねん。俺らだけでまごまご考えとってもしゃあないわ」イワオはそう言って、バーバ・ヤーガと目を合わせた。彼女は頷いて、目を瞑り、何か口の中に念じ始めた。
「ほんま? 菓子折とか要らんの?」
「菓子折かぁ……、前な、親戚のおばちゃんから近江八幡のお土産に『黒糖わらび餅』いうのもうてんけどな、ごっつ美味いねん」
「いや、その話今要らんやん」
「土産はもうしゃあないやん。『手ぶらですまん』て謝ったらええ。それより早よ終わらせて帰るで。魔界、でっかい虫多いから嫌やわ」
例によって、勇者をどう説得するかという問題は何も解決していなかったが、バーバ・ヤーガの転移魔法は、彼らを勇者の元へ連れ去った。
その先で、勇者とその一党が大混乱に陥ったのは言うまでもない。




