78.Holy Shit!!
「勇者が頭に付けてるヤツや」イワオは男を視認するや、そう声を上げた。中央に赤い宝石のはめ込まれた、金の輪のことである。
「お前、いくらなんでも早すぎるやろ! 紆余曲折を経ろや!」とソウタは『勇者(暫定)』を怒鳴りつけた。
薮を漕いで仲間たちが駆けつける。
「大体、お前こんなところで何しとったんや」とイワオが尋ねたが、『勇者(暫定)』は答えなかった。
「ははーん……」ソウタはそれにピンと来て、口の端を吊り上げた。「さては、野グソやな」
「違う!」と『勇者(暫定)』は喚く。
「慌てて否定するところが余計怪しいわ。ちょっと見てくる」
「やめたれや。見てどうすんねん、そんなもん」とイワオは気の毒そうに『勇者(暫定)』を見下ろしながら、ソウタを引き留めた。
その後ろから、教官が叫んだ。「総員、抜剣! 奴の背後は隠されたコミューンだ! ここで叩く!」
「違う! やめろ!」と『勇者(暫定)』は大声で、しかし懇願するように言った。
「ほだらいっぺん、そこ退けや! お前の後ろが村やないねやったら、お前の野グソがあるはずや! それ確認したら『ああ、村やあれへんかったな』て言うたるわ!『聖なるウンコ』を見してみろや!」
「なんで二択やねん」イワオは素朴な疑問を口にする。
「見られて困るもんなんて、その2つしかあれへんやんけ」
ソウタが足を踏み出そうとした時、『勇者(暫定)』はおもむろに剣を抜き払った。
一瞬にして緊張が走る。
次の瞬間、ソウタの背後から巨体が肩をかすめたと思うと、10メートルはあったであろう距離を一足に飛び越え、教官の刃が『勇者(暫定)』の頭上に振り下ろされた。
耳をつん裂くような太刀音に、周囲の木々から鳥が飛び去る。
その時ソウタが得た確信は、【烈女】ハンナ・シュバルツと完全に一致していた。
「間違いない! こいつが『勇者』だ!」段平の柄に力を込めて、教官は言った。
『勇者(確定)』は、時空も斬り裂く教官の初太刀を受けたのだ。
「教官! 気を付けて! ウンコ踏まんように!」とソウタは声をかけた。
「だから、野グソじゃ……」と否定に気を取られた勇者の腹を、教官は蹴り飛ばす。
勇者は後ろによろめきながら舌打ちをすると、「サロメ!」と叫んだ。
その背後に果てもなく続いていた枝葉が分かれ、開けた空間に武器を執った人々が、こちらを睨んで息巻いている。
村だ、とソウタは息を飲んだ。ざっと見るだけでも20人は下らない。
「『ペザンテ』!」と叫んだのはパミーナである。村ごと強烈な重力で押し潰そうというのだ。
サロメと呼ばれた人物は、分かれた薮の向こうに隠れていた金髪の女だった。装いを見るに、彼女も魔道士と見て間違いない。「『ホーリー・ウォール』!」と唱えると、白い光の壁がドーム状に、枝葉に隠れて全体を見通すことは出来ないが、おそらく村全体を、包み込むように覆った。
「勇者! 中へ!」とサロメと呼ばれた女の声が、そう叫んだ。
勇者は素早く踵を返し、その白い光の壁の中へ消えた。
「名前で呼んだれや。仲間やろ」とソウタが言うと、教官は段平を肩に担いで振り向いた。
「だったらお前も私を名で呼べ」
「いや、人前やし……」
不意にズブズブと低く不吉な音が聞こえ、その方へ目を向けると、パミーナの身体を黒いモヤが覆っていた。「疫病ネズ……」イワオは慌てて彼女の口を塞いだ。
「あかんあかん! 勝負はここやないで!」イワオが言い聞かせると、彼女は小さく頷いた。
「そう、勝負はここじゃない……」白い壁の向こうから、ジャングルの湿った空気にも似た勇者の低い声が木立の中にもったりと響き、教官が追いつく前に、白く光る光の壁は、その村ごと消え去った。
【烈女】ハンナ・シュバルツは言葉にならない唸りを上げて、近くの木を斬り倒した。「クソが……追うぞ!」
────「落ち着かれよ」────
不意に頭の中に声が響いて、一同は足を止めた。
ソウタはすぐにその声の主を理解した。「魔王!」
【ひよこの魔王】グリンカムビである。
「恐れながら、『勇者』とその一党は、潜伏していたコミューンもろとも転移しました。空間の大きさから言って、それほど長い距離を移動出来るものとは思いません。今動けば、まだ奴らの首に手が届く」ハンナ・シュバルツはそう主張した。
────「卿の言うことはもっともだ。おそらく、其方らの脚ならば一両日中には再び接敵するだろう。しかし、これは、勇者と魔王の、『運命』に対する戦いである」────
「『運命』?」とソウタは尋ねる。
────「左様。『勇者』とは、『魔王』が生まれた瞬間にその使命を授かり、魔王と戦うことを宿命づけられた存在だ。その力はどの時代も拮抗し、戦乱は長きにわたった」────
「それを、先代の魔王と勇者が覆したワケやな」
────「先代の魔王と勇者は『生前退位』という形でこの宿命を逃れた。これは一見、この戦いの宿命を克服したかに見える。だが、厳密に見れば、『魔王でない者』と『勇者でない者』が結ばれたに過ぎん。先代魔王は勇者と結ばれんがために、長く続いた戦乱を圧倒的な早さで治め、帝国と和睦を結んだ。これによって現在の世界を形作ったとさえ言われるが、魔王が魔王であるまま、勇者が勇者であるまま、この宿命を乗り越えることはしなかった。
余は、己が己自身であるまま、この宿命を克服する。それが、この世に生を受けた意味ではないかと考えておる」────
「『勇者』は今や、凶悪なテロリストです。深刻な外交問題に発展し得る」【烈女】ハンナ・シュバルツは反論と助言の中間というくらいの口調でそう告げた。
────「余は、お母さん……いや、間違えた、ソウタの目を通して其方らとのやり取りを見ていた。奴は仲間のいるコミューンをかばったな。余が見るに、奴には奴なりの『正義』がある。少なくとも、仲間を喰いつぶすような者ではない。もちろん、奴が魔界に仇なすならば、余は持てる力の全てを投じて奴を倒す。だが、その前に尽くすべき手段を、余はまだ尽くしていない」────
「つまり、『勇者』と『魔王』の平和的会合のため、我々は奴を拘束すべしと」ハンナ・シュバルツは目を細める。
────「手伝ってもらえぬか」────
かくして、この任は、単に勇者の捜索及び討伐から、魔王と会合の場を設けるための拘束に性質を変えた。
しかし、イワオにはそれより気になっていたことがあった。
「魔王、生まれて初めて見たモンがお前やから、母親として刷り込まれてもうてんちゃうん。がっつり『お母さん』言うてもうてたけど」
「ああ、俺もびっくりや。そして、それよりびっくりしたことあんねんけど……」と、ソウタは藪の中、勇者が潜んでいた辺りを見下ろしながら言った。
「何やねん」
「そっちはそっちでしとったわ」
そこでソウタが見たものを、あえて詳細に記述すべきではない。が、後に【烈女】ハンナ・シュバルツはこのように述懐している。
「『勇者』という男は、中肉中背というよりやや小柄と言ってもよかったように記憶しているが、部下が発見した『それ』は、およそ想像し得る大きさをはるかに超えていた。
他人の『それ』を見る機会などそうは無いし、これからも無いよう願うが、仮にあったとしてもあれを超える大きさのものに出くわすことはないだろう。
思うに、その小さな身体に見合わぬ戦闘力の一端は、強靭な消化能力によって支えられていたのではないかと推測される」
後世、一説にはこれが語源と考えられるスラングが広く使われるようになるが、関連は定かでない。




