76.“その時”が来たら……
イワオとソウタは、今さらながら、強烈なカルチャーショックに直面していた。
「やっぱり、なんだかんだ言うて異文化やな」2人用のバラックに戻ると、イワオは言った。
ソウタは頷いた。「スイスじゃ銃持って国守ることが、便所の水流すのと同じくらい当然のことらしいしな。やっぱ日本人とは感覚ちゃうわ」
「欧米やったら路上でカルピスの原液くらい濃厚なキッスするやん」
「『キッス』て言うのやめてくれへん? ごっつ嫌やわ。何で跳ねるねん」
「『S』2つ付いてんねんから跳ねるやん。発音省略して何を『こなれ感』出しとんねん」
「いやそれ、『こなれ感』て解釈ある?」
────話が逸れたので少々時を巻き戻すと、この集落に来て5日後の夕方、魔界にて『勇者』と名乗る人物が同志を募り、魔界転覆あるいは魔王の殺害を準備しているとの疑いが濃厚なものになると、教官である【烈女】ハンナ・シュバルツは直ちにフィオルディリージの長距離通信魔法を介して魔界、帝国の両担当当局に通報(調教師の件は自己の判断で伏せた)、自ら『勇者討伐』に名乗りを挙げた。
つまり、教え子たちを巻き込んで、「よし、殺そう」となったわけである。
おそらく、魔物の闊歩するこの世界において、『死』というものはより身近なものであり、魔物の脅威に対抗するため一般人の武器の携行にも制限のない社会では、これを悪用した犯罪者を現地で直ちに処理することも、また当然のことなのだ。
思い返してみれば、彼らの訓練にしても、安全上の措置がとられているとはいえ、人に向かって刃を振い、また魔法を放ってきたのである。当然こうしたものも、いざと言う時には人間に対する武器使用を躊躇しないための訓練に他ならない。
調教師の話によると、彼女は『勇者』の仲間に相応しいか否かを、村の襲撃を通して試されていたのではないかと想像され、このことは、『勇者』がまだそう遠く離れてはいないことを示唆していた。
そして、彼女の辿った足跡のどこかに、勇者一党が根城にするコミューンが存在するということも。
このコミューンの攻略について、最初に口を開いたのはパミーナだった。
「コミューンの場所が分かれば、私の新しい闇魔法が役に立つかもしれません」と言うので、どういうものか尋ねると、「『疫病ネズミ』という魔法です」と彼女は答え、夥しいネズミを一帯に放ち、黒死病を蔓延させるという魔法だと説明した。
「あー……素晴らしい魔法だが、戦後処理で問題になる。最後の手段として取っておこう」と教官は判断した。
「そうですね……最後の手段……」パミーナの瞳は吸い込まれるように黒かった。
(この子、バーバ・ヤーガに似とるんよな……)とイワオは怖気に慄いた。────
「ほいで、どないする? 人間殺さなあかんくなったら、俺、普通に嫌やねんけど」とイワオは言った。
「いや、ホンマ、流れるように『ほな、殺そ』ってなったな。死生観がちゃうねん。魔物やったら『まあ、ええか』みたいなとこあったけど、人間やったら話ちゃうわ」
「パミーナちゃんなんか、疫病撒いて皆殺しにしようとしとったからな」
「こっちの人ら、ホンマ躊躇ないわ。『悪人やったらいてもうたれ』みたいな感覚やねんな」
「俺漫画とかで、『殺されへん……』みたいな奴嫌いやってんけど、自分がその立場なったら普通に嫌やな」
「せやねん。『覚悟が足らんねん』みたいな説教する奴いてるけど、自分が殺されへん立場やったら、『いや、何でやねん!』てなるわ。『常識で考えろや!』言うて。けど、そない悪い奴おるの分かってて、ほっとかれへんしなぁ」とソウタは腕を組む。
「それやねん。悩むわぁ。同期がバチバチ戦っとんのに、俺らだけ『人殺されへん』言うてオタオタしとんのもなんやし」
「ゲンコツで何とかならんもんやろか」
「ならんやろ。それに逆の心配もせなアカンのんちゃうん」
「それはずっとそうやろ。俺ら今までずっとギリッギリやったやん」
「人間相手になると、やっぱちゃうな」
「生々しいねん。何で俺らは先にこれが想像出来へんねやろな」
「何とか、話し合いに持ち込まれへんやろか」
「いや、どうやろな。話し合いでどうにかなるような奴やったら、最初からこんなことなってへんのちゃう」
「言うて、人殺したないねやったら、やるしかないやろ」
「まぁ……せやんな。それに、俺ちょっと教官が心配やねん」ソウタはバラックの外の気配を気にしながら、少し調子を変えて言った。
「おお、彼氏としての自覚が芽生えたん?」
「いや、そういうのやなしに。ちょっと雰囲気ちゃうやん。魔王の時でさえ、『鍋が吹きこぼれた程度』て言うててんけど、今回はガチっぽいねん」
2人がうーん、と首を捻っていると、不意にバラックの入り口に下げた布が開いた。
そこから顔を出したのは【烈女】ハンナ・シュバルツだった。
「ソウタ」と彼女は手招きして、そのままソウタの手を引きバラックを後にした。イワオは自分が勘のいいタイプとは思わないが、これから何が行われるのかは明白だった。
イワオは地面に草を敷いた寝床に仰向けになって、その側に置いた背嚢をまさぐり、中から魔石の嵌め込まれた腕輪を取り出した。通信魔法の付与された魔道具である。
イワオはそれを口元に近付けると、「バーバ・ヤーガ」と呼びかけた。程なく、弾んだ女の声が返ってきた。「こっち来れるか?」
「貴方のいる所なら、どこへでも」と女は答えた。
その夜、教官の天幕から激しい地鳴りが起こったというので慌てて外へ飛び出した村人と同期たちは、時を同じくしてイワオのバラックが不思議な光に包まれているのを見た。
事情を察したフィガロが、「ある意味危険なので、近付かないで。適切な距離さえ保てば、心配はないので」と村人たちをなだめたそうだ。
イワオが後から聞いた話では、その日同期たちはパミーナを心配して彼女のバラックに集まったが、彼女は「勝負の時は今じゃない……」と呟いたそうである。




