75.『勇者』とは
『勇者』という言葉は、ただ「勇気のある者」とする以外の意味が、この世界ではあるようだ。
「『勇者』について分かることを教えろ」と言う教官の口振りに、ソウタはそういう響きを聞き取った。
頭を整理したいので、日を改めて欲しいという調教師の申し出を受け入れ、村の襲撃から数えて5日後、彼らは村の集会所として広く作った天幕に集まった。
「私が彼に出会ったのは、つい最近のことです」と女は言った。
教官は簡素な椅子に脚を組んで頷いた。「お前は、20歳の頃にはテュポーンを手懐けたと言ったな。お前個人の憎悪が、この村を襲ったとすれば、これまでにもっと深刻な被害が出ていなければ辻褄が合わん」
「確かに……」と女は俯いて、考え込むように少しの間沈黙したが、やがて再び口を開いた。「私が、心の中に、焼け付くような憎悪を抱えていたのは事実です。けれどそれは、何というか……表現するのが難しいのだけれど、絶望と結び付いていて、自分の力に打ち震える一方で、誰からも必要とされない無力感と常に一体にあったように思うのです……。
私は、自分の力が、私を捨てた人たちを見返すだけの力だと思ったし、そうなった時のことを夢想したりもしたけれど、実際そのために魔族を襲うような推進力を持ってはいなかった」
「魔族と帝国が友好関係にあるということも、貴族の娘なら知らぬわけではなかろう」
「その通りです。確かに、私はそのことを知っていました。ただ取り憑かれたように魔物を狩っていたのも、そうしている内は、誰からも敵意を向けられはしなかったから。
けれど、この村を襲った私の行動は、私を見捨てた王国を含む、帝国の利益に反する行為で、彼らを見返し、自身の有用性を見せつけたいという私自身の意思と矛盾している……」
「お前自身の激しい憎悪が、思考を曇らせたと言えばそれまでだが、『勇者』と接触したとなると、別の仮説が浮かび上がる。
『勇者』とは、自ら『勇気ある者』というのではなく、『魔族と敵対する強い意志を持ち、さらにそれを伝播する者』だということなのではないか」
「それは、『勇者』とは言えへんのでは」イワオがそう尋ねた。
「まだ帝国と魔界が敵対していた時代、『如何なる犠牲を払ってでも魔王を打ち倒す』という強い意志は、『勇気』と区別がつかなかった」
教官の説明によると、『魔王』がそうであるように、『勇者』もまたそれと対を成すように、時代時代において現れるものである。
これまでの戦乱を治めて帝国との和議を結び、善政を敷いた『賢帝』として名高い先代魔王の治世でさえ、勇者は魔王討伐に向かったという。
「いや、あきませんやん。誰も止めたらへんかったんですか?」とソウタは聴いた。
「勇者とは一個人だからな。帝国軍の統制を受けない。それに戦争というのは頭がすげ代われば直ちに終息するというものでもない。勇者が旅立った当初は、まだ戦乱の只中にあった」
「ほだら、『勇者』やられてもうたんすか?」先代魔王が生き残って善政を敷いたということは、すなわち勇者の敗北を意味するのではないか。
「いや、結論から言えば、魔王と勇者は、互いにその地位を生前退位した。2人が恋に落ちたためだ」
「そんなん、アリなん?」ソウタは首を傾げた。
「ステキやん」とイワオが言う。ラブコメ好きの琴線に触れたものと見える。
「いや、ステキかもせえへんけど、シリアスムードやったやん」
「ええねんて、ムードとか。どうせガチガチに緊張していったところで、なんやかんや肩透かし喰らって『ヘコーッ』てなんねんから」
「あーしの『図書館』に情報ありますよ」とフィオルディリージが言った。「先代の勇者と魔王の話、まじエモいから」
これは彼女がこの1年で新たに習得した通信魔法の応用で、自身が指定した図書と、魔力を介したアクセスが出来る。彼女の魔法は現時点で、帝国図書館の膨大な蔵書の3分の1程度に紐付いており、好きな時にそれらを閲覧することが出来る。
「『ブルースカイ・ライブラリ』!」とフィオルディリージは唱えた。
「おいおい、ええんかソレ」イワオが眉を寄せる。
「先方は権利関係とか、ちゃんとしてはんねんから……」とソウタもそれに続いたが、イワオとソウタ、それと調教師以外は、何のことを言っているのか、いまいち伝わっていないようだった。
「先代勇者と魔王の恋愛譚は取り敢えず置いておけ。今は今代勇者の情報が欲しい」教官は調教師に目をやった。
「彼について──そう、『勇者』は男でした。──、私が知っていることはあまり多くありません。出会ったのも2週間ほど前のことです。
不思議なのは、いまいち顔がよく思い出せないことです。何となく、整った顔立ちの若い男だったような気もするけれども、中年と言われても驚きはしないような、何というか……ひどく印象が薄いのです。
この村を襲う直前まで、私は彼と行動を共にしていました。2人きりです。私は彼に自らの生い立ちや、自分の心の深いところまで、色んなことを話しました。
当然それは、彼の話したことの中に──とりわけ、その吸い込まれるような憎悪に──深い共感を得たからだったはずです。
けれど、では彼が何を話していたかと問われると、これが一向に思い出せない……」
同期たちはその薄気味悪さに、揃って息を呑んだ。
「え……何なん? 怖い話? やめろや。何やねんいきなり。勇者の話や思って聞いとったやんけ。純愛ものやと思っとったのに、いきなり寝取られカマシてくるエロ漫画か」
「ホンマやで。おんねん、たまに。いきなり怖い話してきよるヤツ。怖い話する時は、先に『怖い話する』って言うてくれや。ほんで、聞くか聞けへんか選ばしてくれ」
イワオとソウタは口々に抗議する。
「正直なところ、私にもよく分からないのよ。この話にどういうタイトルをつけるべきか。
ただ、覚えてることもある。彼は、『仲間がいる』と言っていた。それもどうやら、5人6人なんて話じゃなく、何十人も。それが魔界にコミューンを形成して隠れ住んでいるらしい」
「『コミューン』? って何? ポケモン?」とソウタが聞くと、調教師の女は顔をしかめた。
「広義には、『地方自治体の最小単位』というくらいの意味だけど、社会活動家や新興宗教なんかが創る『小規模な共同社会』ってニュアンスの方が強いわね。当然私も、後者の意味で言ってる。
とにかく、彼らはそこで共同生活をしている。その目的は、『新しい生き方を探す』なんて生易しいものではないはずよ。おそらく私は、試されていた。そこに加わる資格があるか」
「この村を襲うことも、そのテストの一環だった」と教官が言った。
「おそらく。彼の精神的薫陶を受けた結果、私の行動にどういう変化が生じるのか、観察していたのではないかと思うのです」
「つまり、『勇者』は、お前を、そして我々を『観て』いる……」
ソウタは背筋の冷たいものが走るのを感じて、肩をすくめた。




