69.そうだ、魔界へ行こう
「うわっ! 毛虫や! デカっ!」イワオは木の上から肩に落ちた拳大ほどもある毛虫を払い落とした。
照りつける陽光が低木や下草の葉脈を透かして、目も眩むほどビビッドな緑が果も知れず続き、辺り一面の奥行きや輪郭を曖昧にしている。立っているだけで汗が噴き出すように蒸し暑く、猿や鳥の鳴き声が不規則に響く。
『帝立ヘルメス騎士・魔法学園』にイワオとソウタが入学してから1年余、彼らは魔界に訪れていた。
「修学旅行やん!」「来たで! 学校らしいの!」とイワオとソウタは歓喜に沸いたが、当然、そんなハズはなかった。
『魔王』の人柄(ヒヨコ柄?)から誤解していたが、魔界というのもまた、そう生やさしい場所ではない。帝国のある北の大陸に比べて未開の地が多く、大気中には魔力の素となる魔素が格段に多いのだという。
そのため、魔物は巨大で強力、人里には小さな集落でも例外なく堅牢な市壁が張り巡らされ、その門を一歩外に出れば、北大陸とは比較にならない数の魔物が当たり前に跋扈している。
何より彼らを苦しめたのは、その暑さと錯雑したジャングルだった。
「冬の訓練もキツいけど、暑いのはホンマかなんな」見境なく地面を覆うシダや、低木の枝、またそこに絡みついて垂れ下がったツルを切り払いながら、イワオは止めどなく滲む汗を拭った。
「鎧脱がれへんしな。さっきなんて、俺手甲無かったら猿の魔物に腕ガッブゥいかれてたで」
「ほいで、虫や。多過ぎるやんけ気色悪い。嫌いやねんて」
「カブトムシおるかも分かれへんけどな。おったら捕まえるねんけど」
「少年か。そんなん捕まえてどないすんねん」
「飼うやん」
「要らんわ。ブーいうて飛ぶやん。キショいねん」
「いや、カッコええやんけ」
「あんなん表面ツルツルしとるだけで羽開いたら中身ゴキブリと変わらんやん。裏側『わっちゃぁ』なっとるし。しかも幼虫キッショいやんけ。『お前元々芋虫と変わらんかったクセに何一丁前みたいなツラしとんねん』て腹立つねん」
「繊細やなぁ……」とソウタはため息を吐きつつ、縦隊中央の教官から「休憩」の号令が発せられると、待ってましたとばかりにその場に腰を下ろした。
「いうて、この遠征もタイミング的には丁度良かったけどな」とイワオが言うと、ソウタも頷いた。
「せやねん。もう、半分ケーキ屋さんになりかけてたもん」
「ていうか、流行り過ぎてちょっと引いてもうててんやんか」
「分かる。放課後、ケーキ焼き続けてる間『俺は何をしてんねん』てずっと思ってたしな」
「それやねん。自分で食われへんし。何やってん、あの時間。人妻ものAVのドラマパートか」
「よう分からんねんけど、その例え」
「メインとちゃう所になんぼ時間食うねんて。洋楽PVの音楽かかる前のとこ言うたら分かるやろ。大体車乗りよんねんけど」
「全然分からん」
半年と少し前、ソウタとイワオを中心として、同期たちが異世界の菓子『ケーキ』の再現に成功すると、その噂は学内を駆け巡った。
最初は同期から、個人的に繋がりのある学生が関心を示しているという話がぽつりぽつりと聴こえてくるのに応えて、ケーキを焼いて寄越していたが、半月も経たない内にそうした話が急増、金を払うから作ってくれという要望が多数寄せられることとなり、あれよという間に、放課後の寮舎東側、釜の前には夥しい人だかりが出来るようになった。
これに味をしめたのは、同期の中でも、きっての俗物、フィガロである。
これは商売になると踏んだフィガロは、継続的な仕入れルートを確保、言葉巧みに同期を唆して生産体制を整えると、販売網を拡大、購入整理券を発行することにより寮舎東側の混雑を解消するとともに学園の運営側を懐柔したばかりか、購買層に引き入れた。
しかし、前述の通りこの購入整理券を売り捌くダフ行為が横行すると、憂慮した学園側より一時発売禁止処分を受けたが、この処分も一週間後には解かれた。
それも学園上層部にまで食い込んだ固定購買層による圧力があったのだと噂されるようになり、学園内には異様な雰囲気が漂った。
そんな折、『魔界遠征』の話はケーキを求める学生・職員に混乱を呼び、学園上層部からも遠征の中止を求める声が上がったそうだが、「学生の本分は勉強であります」という【烈女】ハンナ・シュバルツの至極真っ当な言い分に対抗する術がなく、彼ら同期を見送ることになったいう。
「フィガロのヤツ、ショボくれとんちゃう?」とイワオが言うと、ソウタは首を横に振った。
「逆や。あいつウッキウキやったで」
「何で? 魔界で新しい商売始めるん? あいつ商魂エゲツないからな」
「いや、魔族の女の子て、巨乳多いねんて」
「徳が低いわぁ……」イワオは呆れて空を仰いだ。鬱蒼と茂る木々の間を、馬鹿馬鹿しいほど派手な色の野鳥が飛んだ。




