68.彼らがケーキを作った理由
放課後の娯楽室、ジェミマは黒板に図を描きながら、オペラのレチタティーヴォ(歌とセリフの中間みたいな部分)のような調子で蕩々と歌い上げた。
「玉子を強くかき混ぜ気泡を形成し、これを熱することで気泡を膨張させ、またタンパク質の熱変性によって凝固させることで、生地の骨格を形成する。さらに小麦粉を加えることで生地の中で形成されたグルテンと糊化したデンプンによって骨格を強化し……」
「ちょいちょい……待って、要するに?」
ジェミマの説明を遮って、ソウタは結論を求めた。
「完成したわ。スポンジが。これが、そうよね」ジェミマはそう言って皿を差し出す。
皿の上には紛れもないスポンジケーキが、恥じ入るような黄白色の柔肌を晒している。
「来た! これや!」ソウタは歓声を上げた。
「材料は分かっていたから、あとは出来上がりのイメージから配合と工程を逆算しただけ。簡単だったわ」
「エグっ! どんだけ頭ええねん!」イワオもたまらず声を上げる。
「ピッポの窯なら一度に10個は焼ける。取り敢えず、5個用意した」フィガロが言うと、その後ろからドラベッラが顔を出した。
「チョコレートも完成だ。これは、売り物になるぜ」
ドラベッラの皿には、黒真珠のような光沢を放つチョコレートが積み上がっていた。
「フルーツも揃ったよ。あーしの故郷の長老に言ったらまぢ一発だから」フィオルディリージが掲げた籠には一杯に、苺やバナナ、ナッツ類が詰め込まれている。
「揃ったで。全て。後は、これを上手く盛れば完成や」
ピッポが用意した、金枠にワイヤーを通したケーキスライサーで生地を水平に切ると、同期たちは思い思いにケーキを盛り付けていった。
ある者は親の仇のようにクリームを塗りたくり、ある者は夥しいフルーツを乗せ、またある者は溶かしたチョコレートで表面を覆う。
出来上がったケーキを切り分けつつ、それぞれ品評しながら、同期たちはブドウのジュースを片手に発起人であるソウタの号令を待つ。
ソウタは同期たちの前に立つと、少し緊張しながら口を開いた。
「みんな、俺らのフワッとしたアイデアに乗っかってくれてありがとう。正直、こない順調にことが運ぶとは思ってなかってん。みんなの協力のお陰や。
こんな立派なケーキがホールで5個も、ハッキリ言って想像以上や。
正直、異世界からこっち来て、もう死んだんちゃうかと思うことが山ほどあった。けど、俺らは結局人に恵まれて、なんとかやって来れたんやと思う。
これからも……」
「いや、長いねん! 結婚式か!」イワオは堪らず口を挟む。
「何やねん。ええ話しとるやろがい!」
「その『ええ話したろ』って感じが鼻につくねん。お前ほっといたら『大事にせなあかん3つの袋』とか言い出すやん。早よ食わせろや」
「何やねん。ええ話しとる途中で、そういう風に言われて、俺は恥ずかしい。カラオケでこれからサビって時に店員入って来たみたいなシラケ方さすやん」
「それはごめん」とイワオは頭を下げた。
「もうええわ! 食えやオラぁ!」
ソウタがやぶれかぶれにそう叫ぶと、同期たちは先を争ってケーキにフォークを突き立てた。
ソウタとイワオは、自分たちがケーキに手を付けるより先に、まずパミーナを見た。
彼らがケーキを作ろうと思ったそもそものキッカケは、戦闘訓練でボロクソに酷評されたパミーナを元気付けるためだった。
彼女は、彼らが入学以来、初めて親しく接した最初の同期だったし、その小さな体に似合わぬ闘志で彼らの戦意を鼓舞したのも、その圧倒的な破壊力であらゆる状況を打開(というよりほとんど殲滅)したのも彼女だった。
そういう意味において、他の同期たちの手前口には出さずとも、彼女はイワオとソウタにとって特別な同期と言って良かったのである。
彼らの視線の先で、パミーナは、生クリームがふんだんに盛られた苺のショートケーキに、未知への期待と躊躇いを込めた仕草でそっとフォークを通し、一口、口に運んだ。
「……どやねん……」ソウタは隣のイワオにだけ聞こえるように呟いた。
パミーナは大きくつぶらな目を、さらに大きく見開いた。「信じられないくらい、美味しい……。夢みたい……」
イワオが片手を開いて掲げると、ソウタはその手を力一杯叩いた。
「痛っ! お前どこで『狂戦士』出してきよんねん」
かくして、この日のケーキ試食会は大盛況の内に幕を閉じた。
その後、『異世界スイーツプロジェクト』は、生地にチョコレートを混ぜ込む、季節のフルーツを盛るなど、レシピに発展を見せ、ほとんど原価を回収する程度といった価格設定も手伝って、噂を聞き付けた学生や教官からの注文が殺到した。
窯の大きさや材料の入手、訓練のための時間的制約などにより量産が困難なことから、購入整理券を発行すると、この整理券を闇で売買するダフ行為が横行、一時はダフ屋の一斉摘発やケーキそのものの発売禁止処分といった問題にまで発展したが、彼らの販売網はその時すでに学園上層部まで深く食い込んでおり、一種の圧力によって営業再開を許された。
そればかりか、釜をはじめとする設備の増築に資金が投入されると共に、砂糖やカカオなどといった魔界特産の材料確保に外交当局さえ駆り出しての増産体制がとられ、もはや学生による片手間のお遊びでは済まないレベルにまでこの事業は拡大していく。
一方で、この措置は学園内部に深い亀裂を生み、後に『甘党』と呼ばれる推進派と、その強引な手法に反発した反対派『辛党』との間で学園内の勢力は二分され、血で血を洗う武力抗争にまで発展したとか、しないとか……。




